28話:目覚め、空へ*1
「ま、待ってくれ。顔を上げてくれ。頼む」
これにはグレイも驚いた。驚いて、困惑して、何やら頭の中でぐるぐると渦巻いていたものが全て、すぽん、と飛び出ていってしまったかのようである。そんなグレイであるので、ただおろおろと、エメディアに懇願するしかない。
するとエメディアは、やはりばつの悪そうな顔で、おずおず、と頭を上げた。しかし、しょんぼりとしてしまっているのは変わりがない。エメディアの肩の上で、ウサミミもまた、へにょ、と耳を垂れさせている始末だ。
「身を守ることについては、あなた以上の人は居ないわ。安全をちゃんと考えるなら、あなたの指示に従うべきだった……」
「い、いや、それは……」
グレイは、もう何をどう言ってよいものやら分からないまま暫し考えていたが……結局のところ、考えたところで上手い言葉が出てくるわけでもない。グレイはアイオンではないので。
「……そう、だな。俺は、あんたに、あの時、逃げてほしかった」
そうしてグレイは、正直にそう言うことになる。エメディアが神妙な顔でそれを聞いているものだから、ますます気まずいが。
「だが……その、結果として、あんたは無事だったし、ルイナは、彼女が望むようにできた、んだろうから……これで、よかったんだろう」
「……そうかしら」
……気まずいが、それでも、自分が思っていたことを口にすると、何やら少しずつ、落ち着いてくるような……考えが整理されるような、そんな風に思えた。
グレイは、エメディアに逃げて欲しかったが……今、こうして無事でいるエメディアを見れば、これはこれでよかったんだろう、と思える。
「それに、何か、掴んだように見える。あんたにとっても、きっと、あれは必要なことだった。そう思ったから、あんたはあの時、立ち向かったんだろ?」
「……そうかも」
エメディアは、うん、と頷いて、それから、くすくす笑う。……不思議なことに、エメディアが笑うとグレイも気分が明るくなる。
「グレイは……すごいわね。私よりも私のこと、分かってるみたい」
「やめてくれ。そんなんじゃない」
「そんなん、だと思うけれど」
……気分が明るくなってきたと思ったら、また、困惑させられている。グレイはつくづく、エメディアに弱い。エメディアの喜怒哀楽に振り回されているばかりだ。だが、それが不愉快だとは思わないのは、エメディアの恩恵のせいなのだろうか。
「……これからも、仲間でいてくれるかしら」
「勿論。……あんたが、それでいいなら」
「よかった!じゃあ、これからもよろしくね、グレイ!」
そうしてエメディアは、グレイに特大の安心を与えて去っていった。スファルとアイオンにも『ごめんなさい!』をやりに行ったらしい。……とはいえ、スファルは『やったな!』と喜ぶばかりであったし、アイオンは『勇ましくも美しい一撃であった!』と喜ぶばかりであったが。……2人とも、血の気が、多い!
そんな中、ルイナは1人、月の竜の死体を見ていた。
……彼女にとって、上官であり、姉であった人物の死体だ。今はこうして、ドラゴンの姿の死体となっているが。
そんな死体をじっと眺めているルイナを見ていると、どうにも、申し訳なさが生じてくる。
「……悪かったな」
グレイはルイナに、そう声を掛けた。
「あんたにわざわざ、嫌なことを言った」
「え?」
「月の竜と戦い始める前だ」
「ああ……あれ、ですか……?」
ルイナはきょとん、としていたが、少し考えて思い当ったらしい。……覚えていないならその方がよかったのだが、あの時恐慌状態にあったというのに、ルイナはしっかり、グレイの言葉を覚えていたらしい。
「……嫌なことを、仰ったんですか?」
「……ああ、うん」
「嫌なこと……でしたか……?」
が、ルイナは『心底意味が分からない』とばかり、首を傾げている。グレイは只々、困るしかない。本日のグレイは困ってばかりである。
……が、そうしてルイナが首を傾げ、グレイが困っていると。
「グレイ・シンダー。あまり、見くびらないでいただきたいものです」
ルイナは、また表情の読めない顔で、グレイを見上げてきた。
「私があなた達と手を組むことを決めたのは、恐怖や嫌悪故ではありません。私は、私自身の意思で動きました。テルミナス・サジータの目を射抜いたのも、あなたに恐怖を煽られたからではない」
……自分より低い位置から投げかけられる瑠璃紺の視線を受けて、グレイは『そうだな』と頷く。
「……失礼なことを言ったな。その……」
「それから」
だが、ルイナはそんなグレイが謝ろうとするより先にグレイの言葉を遮った。……そして、表情が読めなかったはずの目が、そっと、恥じらうように伏せられる。
「思ってもいないことを言ってでも私を助けようとしてくれた人に、報いたいと思いました」
「……そうか」
グレイは返事をしながら、『どういうことだ?』と首を傾げていたが……ルイナはまた、表情の読めない顔で、しかし、最初に見た時よりも随分と生気に満ち溢れた様子で、一礼した。
「この恩は、生涯忘れません。そして……あなた方のことは、必ずや、全員無事に空へ届けます」
ルイナはそう言って、月の竜の死体へと向かっていく。
……グレイとしては困惑すること頻りであるが、まあ、とにかく、グレイ達は強力な協力者を得た、ということなのだろう。ルイナの信頼を勝ち得た、とも言えるだろうし……ルイナ自身が、グレイ達の信頼を勝ち得た、とも言える。
「さて。月の竜の力を食ってしまわなければ」
さて。
そうして、話も落ち着いたところで……早速、当初の目的通り、月の竜の死体から、その力を奪わなければならない。
ルイナは月の竜の死体に近付くと、無感動にそれを見下ろして……そして、『このあたりでしょうか』と、月の竜の胸部を眺め始めた。
「こいつを食うのか?焼くのか?煮るのか?」
「……肉は煮るなり焼くなり捨て置くなり、ご自由にしていただいて結構ですが、魔力を食らうならば、心臓石を採るのが一番よいかと」
「ほう。『竜の心臓石』か」
「その通りです
ルイナが探しているのは、ドラゴンの心臓にあることがある『竜の心臓石』であるようだ。
「ドラゴンはその心臓の近くに、強い魔力を秘めた石を生み出します。それを、自らの魔力の礎とするのです」
「そして、それ故に、魔力を多く持つドラゴンの心臓の中にしか無い。もしあっても、ごく小さな……親指の爪程度の大きさでしかないことも多い大きなものなど、稀だ。何せ、そんな『竜の心臓石』を持つほどのドラゴンを仕留められる狩人はそうは居ないからな!」
アイオンが高らかにそう言うのを聞いて、グレイは、『そういえば、いつだったか竜の胸から石を取り出したことがあった』と思い出した。
あの時、グレイはどこかのパーティに入っていて……盾役として、随分とこき使われていたが。あの時仕留めたドラゴンの胸から、パーティの者達が何か石を取り出して歓声を上げていた。あの時の石の大きさは、やはり、親指の爪より小さいくらいだっただろうか。
「じゃ、さっさと切り開こうせ。……なんか、剣とかねえのか?」
グレイが記憶をなんとなく掘り起こしていたところ、スファルが『寄越せ』とばかり、手をひらひらさせる。……だが、寄越せ、とやられても、困る。
「無いな。生憎、私は斧を持っているだけだ」
アイオンも、困っている。何せ、彼の武器はモーニングスターと手斧である!ドラゴンの胸を切り開くには、少々、心許ない!
「……そう大きくないナイフで良ければ、あるが」
「ああ?……もうちょっと、なんか、ねえのかよ……」
「後は斧槍だけだ。悪いな」
グレイも『これ以上は何も持ってないぞ』とばかり、両手を広げて見せてみると、スファルは忌々し気に舌打ちした。
「ったく、しょうがねえなあ……おい、アイオン。斧貸せ、斧」
「どうぞ?」
結局、スファルはアイオンの手斧を借りることにしたらしい。アイオンは、『お手並み拝見といこうか』などと楽し気に笑いつつ、スファルがやりにくそうに手斧でドラゴンの胸を切り開き始めるのを見守る。
……そして、これらの様子を見て、ルイナは少々、困惑していた。『あなた達がやるのですか』と言わんばかりの顔である。だが……スファルは既に、ごく当たり前に『ルイナに協力するもんだ』と思ってやっているようだし、グレイとしても、それに異論は無い。
結局、ルイナはアイオンと並んで、スファルの斧捌きを見学することになったのだった。
ドラゴンの解体作業は、非常に困難を極めた。まともな道具が手斧しか無いことも勿論だが……それ以上に、ドラゴンが大きすぎるのである。
「テルミナス・サジータは魔力を多く持って生まれてきたようです。だからこそ、生まれてすぐ、『次代の月の竜』と言われていましたし……この大きさにまで成長しました」
ルイナはそう教えてくれるが、月の竜が大きいことは、今のグレイ達にとって喜ばしいことではない。大きい分、面倒なのだ。
「ええと、大きさって言うと……ルイナはどうなの?」
「……現時点では小柄な方ですね」
「……えっ、もしかして、魔力を食べたらルイナ、大きくなっちゃうの……?」
「大きくならないと、あなた方を載せて飛べませんので……」
ルイナは、『大きいことはよいことでは?』と首を傾げているが……エメディアは、『ルイナは小さめのサイズの方がいい気がするわ……』と複雑そうな顔である。……どちらの気持ちも、分からないでもない。
何はともあれ、そうしてグレイ達はなんとかかんとか、月の竜の胸を切り開き、そしてその奥にある『竜の心臓石』を探して、また苦労する羽目になった。
切り開いた胸の内側、血に塗れた肉の間へ手を突っ込んで、手探りで石を探すのだ。到底、楽しい作業ではない。
だが、こんな作業をそれなりに楽し気にやる者も、居ないでもない。……スファルである。
「おっ!あったぜ!ほらよ!」
スファルは、嬉々としてドラゴンの胸の内側を探り、そして、美しい石を取り出した。血のような、真っ赤な石である。その上、スファルの掌の上で燦然と煌めくそれは、胡桃ほどの大きさがある。相当な大物だと言ってよい。
「で、これ食うんだろ?煮るのか?」
「……石ですので」
「……生か」
「生……と言ってよいのでしょうか、これは」
ルイナは、スファルが『ほらよ』と何の躊躇いもなく寄越してくれたそれを見つめて、『生……』と複雑そうな顔をしている。自分を虐げてきた姉の遺体から取り出した石なのだから、他にも思うべきところは色々あるのだろうが……スファルの『生か』でそのあたりは吹き飛んでしまったらしい。
「呑み込むんじゃない?ダンジョンの核はそうするわよね」
「ダンジョンの核を呑んだご経験が?」
「ええ。2回ほどね。……だから、ええと、ちゃんと洗ってからにしましょうね」
エメディアは『こういうのを怠ると、グレイが悲しそうな顔をするの……』と真面目な顔をしながら、水筒の水で竜の心臓石を洗った。ルイナはまたもや、複雑そうな顔になってしまった。
「……では」
そうして、ルイナはいよいよ、竜の心臓石を掌に載せて、それを見つめる。……呑むぞ、と、意を決しているところらしい。
「おう!いけいけ!」
「スファル。君には風情というものが理解できないのかね?これは神聖なる竜の儀式だぞ!もっと厳かに、静謐に行われるべきではないか!?」
「は?お前の方がうるせえだろ」
「なんと……!」
……そんなルイナの緊張は、またもや消し飛んでしまう。スファルとアイオンが騒がしいので。
ルイナはなんとも気の抜けた顔をしていたが……それでよかったのかもしれない。ルイナは今度こそ躊躇いなく、竜の心臓石を飲み込んだ。




