26話:月の竜*6
一気に緊張が走る。
遺体が無い、ということは即ち……『相手はまだ生きている』ということに他ならない。
グレイ達は黙って周囲を見回す。『月の竜』を探すため。
エメディアは、黙って杖を構え、微弱な魔力を周囲に放っていた。あれで魔力を共振させて、月の竜が居るかどうかを確認しているのだろう。
スファルとアイオンは、それぞれ、拳を構え、モーニングスターを構えて、周囲を警戒しており……そして、ルイナは。
「……月の竜が、生き、て……」
……ルイナは、酷く動揺していた。
ルイナがグレイ達と共に来ることになったのは、月の竜が死んだと思われたからだ。
月の竜が……テルミナス・サジータが死んだからこそ、ルイナは自由を得て、そして、自らが次代の月の竜になることを目指した。
だが、テルミナスが死んでいないのならば、その前提は崩れる。
ルイナはまた、テルミナスの元へ戻り、月の竜の序列最下位として生きることが、できる。
「ルイナ」
グレイは、ルイナへそっと、囁いた。
「月の竜と俺達と、どっちにつく?」
……ルイナの目が、揺れる。
気持ちが揺れているというのならば、まだ、やりようはある。意図したように人の心を動かすことは、グレイの得意とすることではないが……それでも、幾らかなら、やったことがある。特に、『嫌悪』の方向については。
「いや、違うな。あんた、『俺達に』どっちについてほしい?」
「……え?」
ルイナが、『意味が分からない』とばかり、グレイの顔を見上げてきた。それを見つめ返して、にやり、と笑ってやりながら……グレイは、ルイナの嫌悪と恐怖を煽ってやる。
「どっちにつくか選べるのは、あんただけじゃない。俺達もだ。……例えば、『月の竜を殺して、このダンジョンの核を手にしようとしていた裏切者』を月の竜に差し出せば、俺達は見逃してもらえるんじゃないか?」
グレイがそう言えば、ルイナは青ざめた。
……無論、グレイとしては、テルミナスにルイナを差し出したところで事態は好転しないだろう、とは思っている。テルミナスは、協力するに値しない相手だ。信用できない。グレイ達を背中に乗せて空高く舞い上がったところでグレイ達を振り落とす、くらいのことはやりそうだ、と思う。
だからこそ、グレイは、ルイナにここで、こちらについてほしい。しかしそれを決めるのは、ルイナだ。
グレイにできることは……ルイナに、嫌な記憶を思い起こさせること。それによって、嫌悪と嫌悪の板挟みにして……判断が付かない状態にすることだ。
『どちらにもつかない』ならば、それでいい。その間に、グレイ達がテルミナスを倒せば、それで。
……ルイナに、実の姉を殺せ、とは、言えない。彼女自身は手を下さなくてもいいだろう、とグレイは思っている。
それでいて……グレイとしては、ルイナにはテルミナスの支配から逃れてほしい、と思っている。それはただ、個人的な考えとして。……仲間達に大切にされるでもなく、ただ任務に身を窶して、捨て駒として死ぬ運命の者など、居ない方がいい、と思うので。
「俺達は別に、どっちでもいいんだ。あんたでも、テルミナスでも。もしあんたが、またどこかで捨て駒扱いされたいっていうなら、俺達がそうしてやってもいいが……よく思い出せ。あんたは、向こうでどういう仕打ちを受けていた?」
グレイは、ルイナに迫る。……実際にルイナがどんな仕打ちを受けていたかなど、グレイは知らない。知らないが、どうせ碌でもない扱いをされていたのだろうから、このまま押し切るつもりである。
「なあ。あんた、向こうに、戻りたいのか?向こうに戻ったら、あんた、負け犬のまま死ぬことになるぞ」
そしてグレイが言い募れば……いよいよ、ルイナは凍り付いたように動かなくなった。
「居た!前方右側!魔法銀の鉱床の奥よ!」
そこへ、エメディアの声が飛び、即座にスファルとアイオンが身構えた。
グレイも、ちら、とルイナを見てからそちらへ向かう。
……ルイナは相変わらず、動く様子は無かった。そして、そんなルイナへエメディアが駆け寄っていたので……まあ、ルイナは大丈夫だろう。
グレイはグレイの仕事を果たす。大楯と斧槍を携え、スファルとアイオンよりも前に出る。そして、魔法銀の鉱床の奥に隠れていた、テルミナス・サジータを見つけた。
「グレイ・シンダー。……私を殺しに来たのですか?」
テルミナスは、白銀の髪を一部、血で染めていた。頭かどこかを切っているのだろう。
そして、ルイナと同じく瑠璃紺の瞳は、警戒と憎悪を宿して、鋭い。
「……殺さなくて済むなら、そうしたいところだが」
グレイは『どう答えたもんか』と思いつつ……結局は、策を弄することなど、できない。ただ正直に、考えを口に出すだけだ。
「あんたはもう、俺達を殺すしかやりようが無いんじゃないか?」
グレイがそう言った途端、テルミナスはその唇を笑みの形に歪めた。
「……いいえ。そうとも限りません。無論、あなた方が私に協力してくださるなら、ということにはなりますが……」
テルミナスは一瞬、ちらり、とグレイとスファルとアイオンとを眺めた。恐らく、戦力を測っている。いざとなった時に、自分1人でどれだけ勝算があるかを見ているのだろう。
「私がエメディア姫を欲したのは、彼女が強い魔力をその身に宿しているからです。しかし……別に、魔力さえあるならば、彼女でなくとも、構わない」
「そうか。つまり、『ダンジョンの核を寄越せ』と?」
「ええ。このダンジョンの核を、手に入れられればそれで済む話です。いかがでしょう?私に協力してくださるならば……無用な争いは、避けられそうですが」
テルミナスはグレイを見つめて、尚も微笑む。
「そして勿論、あなた方を上空へお連れすることもできます。もう、私の真の姿はお分かりになっているのでしょう?」
「あんたがドラゴンだってことはルイナから聞いた」
「ルイナ?……生きていたのですか」
テルミナスの表情が、すっ、と冷える。だがそれも一瞬のこと。
「……ルイナが失礼を働いていなければよいのですが。或いは、皆様に嘘を吹き込むなど……いえ、そのくらいは、見定めのできる方々でしょうから、心配には及びませんね?」
テルミナスは再び、微笑みを湛えてグレイを見つめた。
「ルイナは、言ってはいませんでしたか?『ダンジョンの核を手に入れられれば、自分も空を飛べる』などと」
グレイは何も答えない。
「彼女には不可能です。何せ、あれはもって生まれた魔力があまりに少ないですから」
まだ、グレイは何も答えない。
「ダンジョンの核の1つ2つ程度では、到底……」
「悪いが」
……そうしてようやく、グレイは『もうそろそろいいだろう』と、ため息交じりにテルミナスの言葉を遮った。
「俺はもう、どっちにつくか決めてる」
グレイが大楯と斧槍を構えると、テルミナスの表情が強張った。
「私は、こういう時にどう行動するべきか、よく知っている」
更に、そこへアイオンがしゃしゃり出てきた。時間稼ぎおよび敵の注意を逸らすためには抜群の効果であろう。
「より、『美しい』方へつくべきだ。即ち、私はルイナ嬢につく。彼女の物語の方がより美しいのでね!」
「……そうですか」
テルミナスも身構えつつ……ちらり、と、スファルを見た。途端、スファルは鼻を鳴らして侮蔑の目をテルミナスへ向けた。
「誇り高きオーガは、正直であることをよしとする!だから嘘吐きとは手を組まねえ!」
堂々と言い切って、スファルもまた、身構えた。これでこちらは、いつでも戦える。
「ふむ。時にスファル。その理屈でいくと、ルイナ嬢とも手を組めないのではないか?」
「嘘吐いてましたごめんなさい、ってやったらそれはそれでいいだろ。少なくとも、新しく嘘を吐き始める奴よりは数百倍マシだね!」
「おお、いいのか……。ううむ、君のその実直さは美徳だな……」
アイオンがスファル相手になんとも気の抜けたことを言う中、テルミナスはじりじりと、半歩ずつ後退り……そして。
「……ならば、あなた方には『月の竜』の贄となって頂くより他にありませんね」
瑠璃紺の瞳をぎらり、と光らせたのも一瞬のこと。
……次の瞬間、テルミナスを中心に、風が吹き荒れた。
ルイナが翼を出した時の比ではない。テルミナスがドラゴンへと変じていく間、凄まじい魔力の流れと、魔力に煽られた風とが吹き荒れて、目も開けていられない程だった。
だがそれでも、グレイは大楯で身を庇いながらテルミナスの様子を見ていた。
……白銀の髪が一気に伸びたかのように見えたのは、その体が白銀の鱗に覆われたからだ。
瑠璃紺の瞳の、その眼光はいよいよ鋭さを増し、瞳孔は縦に開いて、いよいよ人間のものではなくなっていく。
そして……その体躯が膨れ上がり、腕は逞しく強く伸び、爪や牙が長く伸びて……そして、翼が大きく空気を打つ。
咆哮を上げて、『月の竜』が現れた。
「さあて……俺達の仕事はあんのか?」
「無いだろうな」
だが、グレイ達は全く焦らない。ただ、月の竜の攻撃に警戒するだけで……不安に思うことなど、何も無い。
何故なら、信じているからだ。自分達の後ろで、今も杖を構えているのであろうエメディアのことを。
テルミナスの御託に付き合ったのは、時間稼ぎのためだ。
いきなり戦闘に入るのでもなければ、こうやって時間を稼げばよいのである。
……そして。
「いくわよ!」
エメディアの声が凛と響いた直後、ぐわん、と、魔力の波が空気を揺らした。




