24話:月の竜*4
そうして、グレイ達が未知なる翼を目の前にして、ぽかん、とし終えた後。
「……え?何、これ」
最初に我を取り戻したのは、エメディアであった。エメディアは、『私の見間違い?なにこれ?』と混乱しつつも尋ね……。
「……翼です」
「えっ、えっ……あ、本当に……?」
「はい」
ルイナがやはり緊張の面持ちでいる中、エメディアは『ほ、ほんとだったわ、グレイ……』と、何故かグレイに助けを求めてきた。グレイとしてもエメディアを助けてやりたいのは山々なのだが、グレイはグレイで今も尚、混乱しているところである。何せ、人間の背からドラゴンの翼が生えているのだから!
「あの……ええと、失礼じゃなかったら、触っても、いい?」
エメディアが、じっ、とルイナの瑠璃紺の瞳を覗き込む。ルイナはそれにたじろいでいたが……。
「ど、どうぞ……」
許可を出しながら、そっと、エメディアに向けて翼を伸ばす。……そうなのだろうな、とは思っていたが、本当に翼がルイナの意思で動いているのを見ると、『本物だな……』という感慨があった。
そうしてエメディアの親指と人差し指が、すり、と、ルイナの翼の被膜を挟んで、撫でる。
「わあ……すごい、生き物の、体の一部だわ……」
すり、すり、と少しばかり撫でた後、翼の骨の部分……恐らく本当に骨があるのであろうそこも、エメディアは指でそっとなぞる。
「ここ、骨があるのね?わあ……あ、血が通ってる……」
エメディアは、ルイナの翼を触りながら目を輝かせている。珍しい不思議なものを前に、この好奇心旺盛なお姫様は大いに心躍らせているようだ。
……だが、エメディアの指が、ルイナの翼の骨と被膜の境目を、そっとなぞったその時。
「あっ、あのっ、エメディア姫!」
ばっ、と、ルイナが翼をひっこめた。
突然のルイナの行動に、思わずエメディアは手をひっこめたし、グレイはエメディアを庇うべく動いていた。
だが、ルイナは特に、エメディアを攻撃するでもなく、ただ翼をひっこめて、縮こまらせているばかりだ。
「……その、大変、失礼ながら……その、ええと」
ルイナは赤くなった頬を隠すように俯きながら、言葉を探すように視線を彷徨わせ……そして。
「……ドラゴンの翼は、その、人間の体で言うところの……臀部?に、あたります……ので……」
そう言った。
「……えっ」
エメディアはぽかん、としていたが……ルイナの言葉を理解した直後、大いに慌て始めた。
「わ、私、ルイナのお尻を撫でまわしちゃったっていうこと!?ごっ、ごめんなさい!」
「あっ、いえっ、違います!違うんです!その、繊細な部分ではありますが、臀部というわけではなくて、そこまでじゃなくて、もう少し違って……え、ええと、太腿……ほどでもない、ええと、違い、まして……」
大慌てのエメディアにつられてか、ルイナも大慌てである。2人でわたわたとしている様子を、グレイとスファルとアイオンはそっと静かに眺める。こういう時には、存在感を消すに限る。
そして。
「……訂正します。ドラゴンの翼は、人間でいうところの、二の腕の内側です」
「そ、そう……二の腕の内側……」
訂正された情報を聞いて、エメディアは神妙な顔で頷いた。『お尻じゃなかったわ……』と呟き、そっと胸を撫で下ろし……それから、ふと眉根を寄せて、自分自身の二の腕の内側を、ふに、とつまんだ。
……そのまま、エメディアが自分自身の二の腕の内側をふにふにやるのを、全員が静かに見守る。グレイは我に返ることを止めた。こういう時は何も考えないに限る。
「……ごめんなさい。お詫びに私の二の腕の内側、触ってもいいわよ」
やがて、エメディアが項垂れながらそっと自身の腕を差し出すと、ルイナはなんとも困惑した表情でそれを見つめた。
「……いえ、その、結構です……」
「そ、そうよね……」
……そうしてエメディアとルイナは、向かい合って互いに俯いたまま、おろおろしている。グレイには最早、どうすることもできない。嗚呼。
「……ふむ。ではルイナ嬢。私の二の腕の内側を揉むかね?」
が、そんな中でも発言できるのがアイオンである。グレイは、『本当にこいつは大した奴だ』と素直にそう思う。
「結構です」
「そうか。ならば話を戻そう。麗しの淑女2人に居心地の悪い思いをさせ続けるのは、私の美学に反する。まあ、悪くない眺めだったが……それを楽しんでいては紳士的とは言えないからな」
そう言うアイオンを見て、エメディアは、『私、久しぶりにアイオンのことちょっと尊敬してるわ』という顔をしていた。グレイは特に久しぶりというわけではないが、まあ、エメディアの言いたいことは分かる。
「さて、ルイナ嬢。君がドラゴンだということは、分かった。……即ち、『月の竜』の一族、ということだな?」
「はい」
「では、君が我々を背中に乗せて飛べる、と?」
ルイナは、呼吸を整え、表情を整えて、冷静さを取り戻して喋りはじめた。
「私達は月の竜の一族であり、太陽の竜の一族とは敵対関係にあります。普段は人の姿で生活しておりますが、竜の姿になることも可能です。今は、半人半竜の姿ですが、程度は調節できます」
ルイナは『このように』と、手袋を外して手を見せてくれた。……その手はごく普通の、少々小さめの女性の手であったが、ルイナが力を籠めると、黒い鱗に覆われ、鋭く頑丈な爪が伸び……ドラゴンのそれへと変貌を遂げていく。成程、確かに『程度は調節できる』ようだ。
「ですが……完全なドラゴンの姿になった時、私は然程強いドラゴンではありません。今の私には、4人も積載して飛ぶことはできないでしょう」
ルイナはそう言うと、手を人間の形に戻し、手袋を嵌め直した。その手を握って、小さくため息を吐く。
「魔力が足りないからです。……私は、テルミナス・サジータのようには、なれませんでした」
「テルミナス・サジータ……が、あの『月の竜』の正体だったのか」
「はい。……彼女が洞窟の奥へ向かったのは、洞窟の奥で竜の姿になり、そしてあなた方を挟み撃ちにするためでした」
グレイは『そういうことか』とようやく納得した。あの時、テルミナスが1人で洞窟の奥へ向かった理由も、テルミナスがグレイを欲していた理由も、これでようやく説明がつく。
彼女こそが『月の竜』であり、彼女は強い魔力を食らうことを目的としていた。だから、エメディアやグレイを狙ったのだ。スファルやアイオンではなく。
「彼女はディアナバレイの軍部の人間であったように見えたが……ディアナバレイは、ドラゴンを軍部に雇い入れている、ということかな?」
「はい。ディアナバレイはドラゴンの国です。要職に就いているものは大抵、ドラゴンですね。そして月の竜の一族と太陽の竜の一族は、ディアナバレイで最も大きな貴族です。権力も大きく……次の王がどちらの竜の一族を伴侶とするかで、揉めていました」
「あ、王も竜なの?」
「はい。王族は『星の竜』の一族です。とはいえ、そこには月の竜の血も太陽の竜の血も混ざっていますが……」
成程。どうやら、ディアナバレイというのはそういう国であったらしい。グレイは、『会ったことのあるディアナバレイ人の何人がドラゴンだったんだろう……』とふと考えた。……全員そうだったとしてもおかしくない。
「テルミナス・サジータは……ええと、あなたの血縁、なのよね?」
「姉にあたります。腹違いですが」
ルイナの言葉を聞いたスファルが、小さく『腹違いの、兄弟……』と呟いた。……彼自身、『腹違いの兄弟』に苦しんできただけに、思うところがあるのだろう。
「……そして、テルミナス・サジータは、私のような『出来損ない』ではなかった。彼女は誰もが認める優秀な竜でしたので」
ルイナは自嘲めいた笑みを浮かべて、月の竜が落ちた大穴を眺める。
そして。
「私が今回、皆様の旅に同行することになったのは、捨て駒にするのに丁度良かったからです。私は、月の竜の一族の中で最も序列の低い竜でしたから。……エメディア姫と共に、月の竜の生贄になる。それが、私の果たすべき役割でした」
……ルイナがそんなことを言うので、いよいよ、グレイ達はどうしていいのか分からない。
「そ、そんなのって、ねえだろ……」
そんな中、スファルが、おろおろ、と手を伸ばしかけ、引っ込める。ルイナはそんなスファルを見て首を傾げていたが……グレイには、スファルの動揺の理由が分かるだけに、いたたまれない。
「……竜は、その強さによって序列を定められます。私は生まれつき、魔力が多くありませんでした。ならば、他の竜を仕留めてその魔力を食らうか、はたまた、ダンジョンの核といった魔力の多いものを食らうか……そうした手段で強くなるしかありません。しかし、その機会も今までありませんでした」
グレイは『そうだろうな』と頷く。……序列が最も下の者には、ずっとそのままで居てほしいものだ。ルイナより強いドラゴン達が、ルイナに強くなる機会など与える訳が無い。
「ですが、今は違います。私の目の前には、私が強くなるための手段がある。強くなれば、より大きく強力なドラゴンの姿になることができます。そうすれば、あなた方4人を載せて飛ぶことも、できるのではないかと」
ルイナがそう話すのを聞いて、いよいよ、グレイ達は考えることになる。
……さて、こちらを騙して殺そうとしていたルイナと、協力するべきだろうか、と。
ということで、グレイ達はルイナを縛り上げて転がしておいて、離れた位置で相談することにした。
ルイナを縛り上げることについて、アイオンが『美学に反する!』と抗議していたが、そこはグレイが譲らなかった。……一度裏切る奴は、二度裏切る。グレイの経験則である。
それに加えて、ルイナ自身も『私を拘束しておいてください。その後の処遇については、皆様のご判断にお任せします』と申し出てきたため、アイオンも渋々、ルイナを拘束することへの抗議を引っ込めたのだ。
「……さて、どうしましょ」
そうして相談を始めたグレイ達であったが、エメディアは深くため息を吐いた。
「ルイナの事情が分かって、色々すっきりはしたんだけれどね。でも……迷いどころ、よねえ……」
エメディアのぼやきに、他3人も揃って頷く。その通りだ。実に、『迷いどころ』である。
……グレイ自身も、迷いがある。
ここでルイナを殺すべきかどうか、まだ、迷っているのだ。
「俺はよぉ、ルイナが俺達を騙そうとしてたことは許せねえ。裏切りやがったのも、許せねえ。まだ何か企んでやがるんじゃねえのか、と思う」
最初に発言したのは、スファルだった。スファルはそう、強く言い切って……しかし、む、と、唇を引き結んで少し悩んでから、小さくなった声で続けた。
「だが……俺は、力を貸してやってもいいと、思ってる……」
「おや、意外だな。それが君から出るとは」
スファルの発言に一番驚いていたのはアイオンであった。……グレイもエメディアも、スファルの事情は元々、知っているので。
「ふむ……それは、ルイナ嬢への同情か?」
「違う。そうじゃ、ねえ。同情なんざ、しねえ。だが……」
スファルはアイオンに自分の家族の話をする気は無いらしい。だが、スファルなりに考えて、彼なりの言い訳を連ねていく。
「……ルイナは気に食わねえが、テルミナスはもっと気に食わなかった。あいつの、人を食ったような笑い方、胸糞悪いと思ってたんだ。あいつの遺志を踏み躙ってやれるんなら、それも悪くねえ、って……一族で一番序列が低かった奴がその一族の長になるってんなら、それも、面白えんじゃねえかと、思っただけだ」
スファルが『どうだ』とばかり、出来立てほやほやの言い訳……言い訳とは言っても、きっと、本心から来ているものではあるのだろうそれを述べ終えると、アイオンはゆったりと拍手し……そして。
「成程な。それには私も同意する!」
高らかにそう宣言した。
アイオンの高らかな宣言に、グレイは『まあ、そんな気はしていた』と頷き、エメディアも『まあ、アイオンはそうよねえ……』と頷く。が、そんなグレイ達のことなど気にせず、アイオンはうっとりと続ける。
「これは正に、英雄譚だ。力無く虐げられていた者が力を掴み取り、地位を掴み取り、その頂点へ上り詰める……。血腥さはあるが、猛々しく、美しい物語だ!ましてや、その『英雄』があのように見目麗しい淑女であるというのならば、尚更美しい。私はこの美しい物語の行く末を是非、見届けたい!」
まるで舞台の上で役者が台詞を発するかの如く述べたアイオンには感心するしかない。
「お前、ブレねえなあ……」
「己の信じる道を突き進むことが私の美学なのでね」
スファルは半分ほど呆れつつも、『まあ、己の信じる道を突き進むってのは確かに美徳だ……』と納得している様子である。スファルも大概に素直な性質なのだ。
「……スファルもアイオンも、すごいわね。私、まだ迷ってるの」
一方、エメディアはまだ、迷いがある様子であった。
「だって、この話に乗ると、ディアナバレイの内政に首を突っ込むことになりそうだし。それにやっぱり……国のしがらみがある以上、ルイナが裏切らないとは信じ切れないわよね」
……迷うのも、当然であった。
何せ彼女は、お姫様なのだから。
「個人としては、ルイナの力になりたいわ。でも……ローザテイルとディアナバレイのこと、と考えたら、そう簡単には頷けない」
エメディアは少し悔しそうにそう言って、ため息を吐く。
「私の判断で、ディアナバレイの均衡を大きく揺るがすことになる。その結果、ローザテイルに何も無いとは言えない」
「まあ、そうだな。……その割には、メカニジア城で大暴れしていたように思うが」
「だってアレは、放っておいたら誰にとっても危険だったもの。特に、ローザテイルにとっては本当に危険だった。……でも今回のは、そうじゃないでしょう?何が正しいのかなんて、未来になってみなきゃ分からないわ」
エメディアは迷っている様子であった。その姿を見て、グレイは、『ああ、やっぱり彼女は王女様なんだな』と思う。
自分のことだけを考えては、生きていけない。それが、彼女に定められた宿命なのだろう。……こんな恩恵を持っていながらにしてそんな宿命を背負わされているとは、なんとも因果なものだ。
「そうだな……政治のことを考えるなら、ルイナを味方に付けておくのは悪くないんじゃないか」
だが。グレイはこれでようやく、腹が決まった。
「ルイナがディアナバレイで要職に就いたら、あんたがディアナバレイとやり取りする時の窓口になってくれるだろう。或いは……ディアナバレイから、あんたを守ってくれるかもしれない。ディアナバレイ自体が揺れるっていうのは、ディアナバレイの問題だ。自分達で後始末はするべきだろう」
グレイは『そうだろ?』とエメディアに確認する。エメディアは、ぽかん、としていたが、『それは、そうかもしれないけれど……』と、言葉を濁す。
「俺はルイナに協力する」
しかしグレイがそう言い切れば、エメディアは暫しグレイを見つめて……そして、笑顔で頷いた。
「分かった!なら私もそう決めるわ!……皆、よろしくね!ルイナを、助けましょう!そして私達を乗っけて飛んでもらうの!」
エメディアがそう宣言した途端、グレイの胸の内には活力が溢れてくる。
……やはり、エメディアの力は凄まじい。人を導く役割を担ったならば、それはそれは大きな成果を上げられる。
だからこそ……そんなエメディアが迷う時にエメディアを導いてくれる人が居たらいいな、と、グレイはぼんやり思う。
エメディアが、『ルイナー!あなたに協力することに決めたわー!よろしくねー!』とルイナへ駆けていくのを見守りつつ……グレイは、ふと、月の竜が落ちた大穴を見下ろす。
……暗くて何も見えないが、この底に、月の竜……テルミナス・サジータの死体があるのだろう。
まずは、それを探すところからだ。




