11話:月の谷の底へ*1
ディアナバレイのダンジョンは、ローザテイル王都やコルザの町近辺で見たようなものとは大きく異なっていた。
「ここがダンジョンです」
「谷……いや、縦穴、か……?」
なんと。
『ダンジョン』だとルイナが教えてくれたそれは……大地に大きく開いた裂け目のような、そんな縦穴だったのである。
「すごい……こんなダンジョンも、あるのね……?初めて見たわ、こんなの……」
「ええ。ディアナバレイの中でも、こうした形状のダンジョンはそう多くありません」
ルイナの案内に従って、エメディアがそっと、縦穴を覗き込む。その横では、スファルがやはり、ひょい、と縦穴を覗き込んでいた。
「底が見えねえなあ……こりゃ、ダンジョン最奥まで全部繋がってんのか?」
「はい。これはダンジョンの最奥と繋がる縦穴です」
「お?つまり、ここ下りていきゃあ、すぐ最深部、ってことか?なら話は早えな!」
「待ちたまえ!ここを飛び降りる気か!?」
早速、とばかり身を乗り出したスファルは、慌てたアイオンにがしりと捕まえられた。
「ああ?見るだけだ、見るだけ。ロープか何かで降りりゃいいだろ。丁度いい岩壁がねえか、俺が見てやるから」
「それはおすすめしません」
更に、アイオンを振り払おうとしたスファルに、ルイナがそう声をかけていた。
「この縦穴は、ドラゴンの通り道ですから」
「あ?どういうことだ?」
「そのままの意味です。……この裂け目は、月の竜が通る道でもあります。よって、下手にこの大地の裂け目を真っ直ぐ降りていこうとすると……ドラゴンに、落とされます」
……ルイナの説明を聞いて、スファルはそっと、引っ込んだ。
賢明である。ドラゴンがここを通る、というのならば……それは当然、飛んでくるのだ。真っ直ぐ上空へと羽ばたくドラゴンが、この亀裂を……ドラゴンにとっては少々手狭な亀裂を、通ってやってくる。となれば、岩壁に張り付いて堪えようとしても、凄まじい風の流れに吹き飛ばされ、亀裂の底まで転落しかねない。
或いは……ドラゴンが『侵入者』を見つけたならば、それは当然、排除の対象となろう。ロープにぶら下がり、或いは岩壁に張り付いていた人間など、抵抗の術は無い。無防備なところをドラゴンに狙われれば、間違いなく死ぬ。
「……そういう訳で、横道があります。亀裂の周辺から潜れば、然程困難な道程ではありません。その分、長くかかりますが」
「そういうことなら、ご案内願おう。この縦穴を落下するなど、考えるだけでも恐ろしいからな……」
そうして、一行は大人しく、ルイナの案内に従って進むことにした。
した、のだが。
「……グレイ?」
エメディアに声を掛けられて、ようやく、グレイは亀裂から視線を逸らす。
心臓が、嫌に煩い。冷たい汗が首筋を伝うのが分かった。
「今、行く」
動かした脚が、ふらつく。地面がいきなり揺れたか歪んだかのような、そんな感覚だった。
「グレイ!」
そんなグレイを見かねたらしいエメディアが、グレイに駆け寄ってくる。グレイは、『来なくていい』と手で止めたが、エメディアはそれを無視してやってきて……グレイの兜の奥、焦点の合わない目を、見ただろう。
「その、大丈夫?……顔色が悪いわ。やっぱり、寝不足なんじゃ……」
「いや……大丈夫だ。昨夜はよく眠れた」
「なら……」
エメディアに何をどう言い訳したらよいものか、と思いながら、グレイは思考を巡らせて……そして結局、下手に言い訳したり、下手に隠したりするよりは、洗いざらいぶちまけた方がエメディアの不安を減らせるだろう、と思い至った。
……恥をかくのは自分だけだ。それなら今更だ。何も、躊躇うことなどない。
「……亀裂を見た時から、こうなってる」
「え?それって……」
エメディアはきっと、『魔力の影響かしら』だとか、『ドラゴンが何かしたんじゃないかしら』だとか、考えたことだろう。
だが。
「底が見えない深い穴が……怖い、らしい」
……グレイの状態は、至極単純なものであった。
このダンジョンを……深い深い亀裂を見た時、グレイの脳裏を過ぎったのは、ローザテイル王都近郊のダンジョンでの出来事だ。
つまり……あの時一緒に居たパーティの仲間の手で、ダンジョンの縦穴に、突き落とされた、あの時のことである。
ぞっとするほどの浮遊感。背中から落ちる恐怖。掴むものが何も無い虚無感。思考だけが厭に速く、それでいて成せることは何も無く……そして、地面に叩きつけられる直前の、あの、絶望。
……それらが一瞬の内に思い出されて、グレイの脚は竦んだ。
そんなバカなことがあるか、と自らを鼓舞してみても、どうにも、脳裏に張り付いた恐怖が拭えないのだ。結果、こうしてエメディアに情けない話をする羽目になっている。
「ああ、そういう……そうよね。グレイ、こういう縦穴を、落ちたことがある、んだもの、ね……」
エメディアも、グレイの思うところに思い当たったらしい。グレイを気遣うように、そっとグレイの右手を握って、冷え切ったそれを温めるように、もに、と手を動かした。篭手越しにもなんとなく温かいような心地がして、少しばかり、心が凪ぐ。
「……情けない盾役で、すまない」
「ううん、そんなことないわ」
エメディアは、『じゃあ左手も』と、グレイに手を差し出してきたので、大人しく大楯を右手に持ち替えて、左手を出した。するとまた、そちらもエメディアの両手に包まれて、もに、と揉まれる。
そして。
「そんなことないけど……ええと、その、ちょっと嬉しいわ」
「……は?」
もに、と手を揉みながら、エメディアがなんとも不思議なことを言った気がして、グレイは自分の耳を疑った。
「うん。そうなの。なんだか嬉しいのよ。だって、ほら。教えてくれた、ってことは、少なくともグレイは、私のこと信じてくれてるんでしょ?」
……自分の耳を疑ったグレイであったが、どうやら、耳は正常であったらしい。それを理解して尚、グレイの頭は、エメディアの言葉に追い付けていないが。
「大丈夫よ。私は、あなたのこと、絶対に突き落とさない」
もに、もに、とグレイの左手を揉みながら、エメディアはグレイの顔を見上げて笑うのだ。
「そうね……もしあなたが落っこちちゃったら、その時は一緒に飛び降りるわ」
「やめてくれ、そんなこと!」
エメディアがあまりにも恐ろしいことを言うものだから、グレイは一気に血の気が引いた。
だが、思わずひっこめかけたグレイの手を、エメディアの手が追いかけてきて、きゅ、と握る。
グレイはすっかり動転しているというのに、エメディアは落ち着いたものだった。ただ嬉しそうに、そして悪戯を楽しむ子供のように、笑ってみせるばかりだ。
「あら、甘いわね、グレイ。私が飛び降りたらどうなると思う?」
「どうなる、って……」
想像しかけて、グレイの思考が止まる。高所から転落したエメディアなど、想像したくない。
……だが。
「……スライムがわんさか集まってきて、ぽよん、って助かるわ。私達2人とも、ね!」
「……えっ」
エメディアの手の体温と、エメディアの笑顔と、エメディアの言葉……そして、グレイの脳裏に突如としてやってきた大量のスライム。それらが、グレイの頭を占拠していた恐怖を、押し流していく。
グレイの頭の中で、スライムがもよもよと沢山集まってきて、グレイとエメディアが運ばれていく様子が浮かんでは消え……そうしている内に、グレイは随分と、落ち着きを取り戻していた。
「……そうかもしれない」
「ええ。きっとそうよ。だから大丈夫」
エメディアが笑顔で歩き出すので、グレイもそれに引っ張られて歩き出す。尤も、その内、『手を繋ぎっぱなしだ』と気づいて、慌てて手を離したが。何せ、グレイの左手は、大楯を握るためにあるので。
……冷え切っていたはずの左手は、エメディアに揉まれていたからか、いつの間にか、すっかり感覚を取り戻していた。
「ほーう……変わった色の岩石だ。青白いな。こいつは初めて見る……」
ダンジョンに突入してすぐ、スファルがそう、感嘆の声を漏らした。流石、鉱山で働いていただけあって、やはり、石や金属には興味があるらしい。
このダンジョンの岩壁を構成している石材は、月明かりを思わせるような、青みがかった色合いだ。涼やかな色の石材だからか、ダンジョンの中も、少々涼しく思える。
「……この石は、それほど珍しいものなのでしょうか?」
「おう。ローザテイルには、こういう色合いの石は少ないからな。白い石材もあるが、ほんのちょっとばかし茶色を混ぜたような色してることが多い。こういう、青っぽいのは珍しいんだ。ディアナバレイじゃ、違うのか?」
「ええ……ディアナバレイにおいては、この石材は一般的なものです。建物も石造りのものは、こうした石材を切り出して使うことが多いように思います」
「へー、面白いもんだな」
スファルは先頭を行くルイナの横で、興味深そうにあれこれ話を聞いている。
グレイもそれを横で聞きながら、『ということは、ディアナバレイの街並みは、どことなく青白い具合なんだろうな』と少し想像してみた。
……そう考えてから思い出してみると、ローザテイル国内の街並みは、やはり、温かみのある色合いが多い。煉瓦や素焼きタイル敷きの道や、様々な色合いの木材。漆喰塗りの壁。象牙色の大理石……。裏通りにしても、埃の灰色や錆の茶色に覆われてはいても、まあ、そんなものだった。
そんなグレイとしては、ほんの少々、『青白い街並み』が気になりはするが……このまま何事もなくダンジョンの最奥で『月の竜』とやらの協力を得られたならば、すぐメカニジアの残党を確認しに行くことになる。ディアナバレイ国内に滞在している理由は無くなるので、グレイがそれらの街並みを見ることは無いだろう。
「この花、光るのね。綺麗……」
また、そんな洞窟内部には、不可思議な花が咲いていた。
それは、蔓草である。壁を這い、天井から垂れて、その蔓のところどころに花を咲かせているのだが……その花が、ぽやり、と光るのである。
その光は中々に頼もしく、洞窟内部はそれなりに明るい。ランプ要らずなので、大変ありがたい。
「この花は、ディアナバレイではそう珍しいものではありません。こうして光を放つことで虫を誘き寄せ、蜜を与え、花粉を運ばせるのです。……上層では、まだこのような花がありますので、光にはまだ困りません。下層へ進むにつれて光源は減りますので、その時はランプを点けましょう」
ルイナの案内を聞きながら、グレイ達は興味深く、それぞれに洞窟内部を見回す。
スファルは岩、エメディアは花に興味がある様子だったが、グレイはその両方を見て……それから、それらどちらでもないものを、気にすることになる。
「ルイナ。このダンジョン内に出る魔物について聞きたいんだが……」
だが、その時だった。
しゅる、と、ロープが擦れるような音が聞こえたかと思ったら……アイオンが素っ頓狂な声を上げるのが聞こえた。
「な、なんだこれは!?」
なんと。
最後尾を歩いていたアイオンであったが……彼の脚には、植物の太い蔓めいた触手が巻き付いていたのである。
……グレイも、こいつのことは知っている。
「……ローパーです。このダンジョンには、時々出る魔物ですね」
「厄介だな」
「ええ。こいつには厄介な毒がありますから……」
ルイナも表情を険しくしつつ、弓を構えて臨戦態勢を取る。
……そう。この、ローパーという魔物は……厄介なことに、触手で獲物を絡め取り、そして、毒で動けなくしておいてから仕留めにかかってくる。非常に厄介な相手なのだ。
普通の人間であれば、今のアイオンのように捕まった時点で毒にやられ、まともに動けなくなる。
……の、だが。
「まあ……捕まったのがアイオンでよかった」
「あ、そうね。彼、手足は生身じゃないものね……」
「もう少し心配して頂きたいものだ!」
……手足が魔導の義手義足であるアイオンは、毒など全くものともせず、斧でバサバサとローパーの触手を切り捨てにかかるのだった。
成程。義手義足の方が良いこともあるものである。




