3話:療養*3
「……発熱が、か?」
グレイがきょとんとして尋ねると、エメディアは『えっ?』と、こちらもまたきょとんとしながら首を傾げ……それから、くすくす笑い出した。
「いいえ。そうじゃなくて……その、皆に心配させてるのが、ってこと」
「ああ……そっちか」
グレイは『妙な勘違いをした』と少々気恥ずかしく思ったが、それは努めて顔に出さないようにしつつ、改めて、エメディアの言葉の意味を考える。
……エメディアのことが心配なのは、まあ、エメディアの言う通り、彼女の『恩恵』があるからだろう。
グレイは間違いなく、エメディアの恩恵の影響を受けている。
グレイは、自分自身の恩恵が何か、よく分かっている。他人に嫌われる恩恵を持っているのだから、下手を打ったらすぐ相手の機嫌を損ねて、そこから暴力に発展することもあるし、そうなった時、グレイに味方は付かないので……まあ、手足を失うようなことにもなる。
よって、グレイは『嫌われているのだから、下手を打たないように』と生きてきた。
……が、それは、『嫌われたくない』と思うこととは、また異なる。あくまでも、下手を打たなければそれでいいと思っていた。嫌われることは最早仕方のない、当たり前のこととして……その上で、ただ、相手の機嫌をそれ以上損ねることが無いように、と、静かに、息を潜めているようにしていた。
グレイに気付かなければ、相手がグレイを嫌うことも無い。グレイが目に入るからこそ、グレイを嫌う心理が働くのだ。
だというのに……エメディア相手には、どうにも、『好かれたい』とまで、思うようになってしまっている。
そう。自分を視界に入れないでほしいと思うのではなく、その視界の片隅に自分が居られたら、などと思ってしまう。挙句、言葉を交わしてもらえることを、恐れるのではなく、喜んでしまう。
……グレイが、エメディアに好意を抱いてしまっているからだ。
エメディアの言動に一喜一憂し、エメディアを視線で追って、そして、エメディアがこちらを向けば、それを嬉しく思ってしまう。
そして、エメディアが悲しんでいたらその悲しみの原因を取り除いてやりたくなってしまうし、エメディアが倒れれば必要以上に動揺し、焦燥に駆られてしまうという訳だ。
グレイは、まだ、魔力が多い方だ。エメディアの『恩恵』の効果は比較的、薄い方だろう。ジョード老も同じようなものかもしれない。
だが、特にスファルは、魔力が少ない分、エメディアに心乱されることが多いのだろう。アイオンも、四肢の他、内臓もいくらか機械でできているらしいが、それでも人間ではあるとみえ、エメディアの影響を受けている様子である。
……エメディアの不調にここまで動揺してしまうグレイ達は、つまるところ、エメディアの恩恵の被害者、ともいえるのかもしれない。
「……まあ、あんたの恩恵の影響を、受けていないとは言えないが」
グレイは、『さて、どう言ったものか』と思いながらエメディア相手に言葉を選ぶ。下手なことを言ってはまたこのお姫様を傷つけてしまいそうだし、かといって、口八丁で丸め込めるほどグレイは器用ではない。
……スファルなら、エメディアが傷つくかなど気にせず必要なことを言ってしまえるのだろうし、アイオンなら美辞麗句で丸め込むことができるのだろうが。生憎、グレイはそのどちらもできそうにはなかった。
「だが、そうじゃなくても、パーティの一員の不調だ。心配はするだろう」
「それ、スファルが体調不良でも同じ風に思った?」
「多分な。だがあいつは男だし、オーガだ。あんたと同じようにはならないだろうな」
グレイが『スファルが風邪で寝込んだら、まあ、寝かしてはおくだろうが、それだけだな……』と想像していると、エメディアは少々、表情を曇らせた。どうやら、グレイは返答を間違えたらしい。
「……あー、その、俺には、あんたの気持ちは分からない」
なので、グレイは慌てて言葉を連ねた。これも、エメディア相手だからだ。相手がエメディアでさえなければ、このまま席を立って放っておけるのに……他ならぬエメディアだからこそ、嫌われないよう、必死に無駄な抵抗をしてしまう。
「その、多分、身分が違いすぎるんだ。生まれ育った環境も。それに、恩恵だって真逆だ」
「そうよね……」
エメディアが余計にしょんぼりと肩を落とすのを見ていよいよ焦燥に満ち満ちたグレイであったが……それでも、口が上手くはないし、思ったことをそのまま何でも相手に言えるほど強くもない。
「その、だから、あんたが何を不安に思っているのかは、説明してもらわなきゃ分からない」
だから結局、グレイはこんなことを言うしかなく……しかし、グレイの言葉にエメディアが顔を上げて、ほんの少し、その表情に不快以外の何か……期待か、希望か、そんなものを滲ませていたものだから、グレイはこれに安堵させられてしまう。
「……その、勿論、説明してもらっても分からないかもしれないが」
期待を寄せられることは、本来、嫌いだった。その後に失望されるのが目に見えているからだ。だから、失望されたくない、と、グレイは言い訳のように無駄な言葉を連ねていたが……。
「……あのね?」
エメディアが、そっと、口を開いたのを見て、ああ、自分は間違っていなかったのかもしれない、と、グレイの中で希望の光がほんのりと灯る。
そして。
「私……私のせいで、人が傷つくのが……或いは、誰かが死ぬのが、嫌なの」
エメディアは、そう、教えてくれた。
グレイがベッドの上、壁に寄りかかるようにして座ると、エメディアもベッドの縁に腰掛けて、そうして、話し始めた。
「小さい頃、私、離宮に住んでいたの。王都から離れたところにあって……知ってる?」
「いや、生憎」
グレイは『もう少し色々と勉強しておけばよかった』などとどうしようもないことをぼんやり思った。
「まあ、そうよね。王族がそこら辺に住んでる、なんて大っぴらになってたら面倒だし、知られていなくて普通なのよ。グレイだけじゃないわ。皆、知らないことだと思う」
エメディアはそんなグレイを見て笑うと、グレイがさっきまで被っていた掛け布に視線を落とし、それを、むに、と指でつまんで遊びながら続きを話す。
「でも、そのせいでね、『ここは王族が住んでいるところだから警備も厚いに決まってる。だから盗みに入るのは止めておこう』って思って貰えないのよ」
……この手の話なら、まあ、グレイにも少しは分かる。少なくとも、離宮とやらの位置よりはずっと。
盗みに入る者は、裏通りにはそれなりに居た。グレイ自身、盗みの片棒を担いだこともある。……グレイがその手の仕事に入ると何故か碌なことが無いので、まあ、積極的にやろうとはしなかったが。
だが、そう多くない盗みの経験や、裏通りで聞いた諸々の話から考えるに……盗みというものは、あまり大物相手にやるべきではないのである。
大物は金を持っているだろう。だが、その分、金に物を言わせて警備を厚くしている。だから、非常に厄介だ。
その点、『金を持っているように見せかけてはいるが、実際はそうでもない』くらいの奴相手なら、その心配が無い。だから、狙うならそのくらいの奴なのだが……エメディアの幼少期には、恐らく、その『丁度いい狙いやすい奴』くらいに見えるような、そんな風に仕上がってしまっていたのであろう、と思われる。
「まあ、警備は居たの。目立たないように、数は控えめだったけどね。でも……それでも、盗人が侵入してきたことが、あって……」
エメディアはそこで一度、言葉を途切れさせた。掛け布を弄る指も止まって……そして。
「……私のせいで、メイドが1人、死んだわ」
震える声が、ぽつん、と、悲しみを滲ませた。
「それは……」
グレイは、『災難だったな』とも『かわいそうに』とも言うべきではない気がして、何か言いかけた口を閉じた。こういう時、口がもう少し回ればよかったというのに。……相手により嫌われるようなことならいくらか思いつくのだが、こういうことに関して、グレイは全くの無能である。
「彼女は私を隠して、でも、心配だったみたいで……ずっと、私を隠した場所の近くに居たの。自分も隠れるなり、逃げるなり、すればよかったのに。それで、兵士の到着を待てばよかったのに……でもそうしなかった。だから、盗人に見つかって、それで……」
エメディアはそう言って、また言葉を途切れさせる。だが、彼女の指はまたグレイの掛け布をつまみ始めていて、柔らかな厚手の布が擦れる音が、ふか、ふさ、と微かに室内を満たしていく。
そうして、エメディアがしばらく黙っていると……突如として、にゅ……っぽん!と、なんとも言えない音が響き……ドアの隙間からウサミミが潜り込んできたのが分かった。
エメディアもかわいい騎士の登場に気付いて、『ああ、部屋に残してきちゃったから不安に思ったのかも。ほら、おいで』と両手を広げてウサミミを出迎える。ウサミミは、ぽいん、もいん、と元気に跳ねてやってくると、ぴょこ、と、エメディアの腕の中に収まった。満足気である。
そうしてウサミミを抱きながら撫でていると、エメディアも落ち着いてきたらしい。エメディアを慰め、落ち着かせる役は、グレイよりウサミミの方が余程得意であるようだ。
「ごめんなさい。変な話になっちゃって」
「いや……」
グレイも手慰みに、意味も無く、左手でシーツの皺を伸ばす。上手い言葉は何も見当たらない。
そんなグレイを見て、エメディアは少しばかり、元気を取り戻したらしい顔をしていた。
「……その、あなたには失礼だってことは、分かってるわ。あなたがあなたの恩恵に苦しめられてきたことだって。でも……少しだけ……本当に、少しだけ、あなたが羨ましく思うことも、あるの」
「……そうか」
グレイは、なんとも不思議な気分でそれを聞いていた。
『何も知らないくせに』などとは、思わない。グレイもエメディアの苦しみなど何も知らないのだから。それに……エメディアの苦しみも、少しばかり、分からないでもなかった。あくまでも、想像するだけだが。想像してみるだけだが……それが苦しみであることは、分かる。
「……まあ、そう考えると俺は身軽に生きてこられた。誰かに好かれる心配は、しなくてもよかったし……そもそも、誰かを心配したこと自体、あまり、なかったからな」
「そうなの?……えっ?だってグレイ、あなた、相当、優しいじゃない……?あ、もしかして、裏通りでは人の心配をするのは失礼にあたるから、とか、そういう……?」
……エメディアに何ともむず痒いことを言われて、グレイは眉間に皺を寄せた。『優しい』などと言われてしまっては、どんな顔をすればいいというのだ、と。
「……好かれないって分かってるのに相手に好意を抱くのは、難しい、というか……その、割に合わない。碌なことが無い。だから、そうしてた」
「あ、そ、そういう、ことなのね……?」
エメディアは、分かったような、分からないような、そんな顔で少し悩んでいたが……『まあ、分からない方がいい』と思ったグレイは、構わず続けることにした。
「まあ……あんたは好かれるから、その分、周りの奴らに心配されるし、気にされるんだよな。それがいいことばかりじゃない、ってのは、分かる。……だが、『周りの奴ら』としては、あんたを守るあまり自分が死ぬことになっても本望だろう、ってことも、分かる」
「そんな」
エメディアはグレイの言葉に目を見開いて、ベッドから立ち上がる。その目に絶望が滲んでいるのを見て、グレイは『これだから俺は!』と自分を殴りたくなってきたが……。
「だが俺はそうしない。……あんたの話を、聞いたからな」
グレイがそう続けると、エメディアは、ゆるり、と、緊張から戻ってくる。
「できるだけ、死なないように気を付ける。……あんたが、俺みたいなのにまで心配してくれて、俺が傷つくのも嫌だっていうんなら、できるだけ、それは叶えたい」
「グレイ……」
エメディアはベッドに座り直すと、グレイを見つめて嬉しそうに笑う。
「ありがとう、グレイ」
「ああ……スファルとアイオンにも言っといた方がいい。……あんたに言われたら、きっと、あいつらも自分を大事にしたくなる。あんたのために」
「ええ。そうするわ。……でもそれって、あなた達にとって、いいことなのかしら」
「さあな。だが、あんたには、あんたのいいようにする権利がある。何せ、あんたは『恩恵』を授かってるんだから。……だろ?」
「……そうね」
エメディアは少しばかり考えて……そして、よし、と元気に決意に満ちた顔で天井を見上げ……。
「ついでに、スファルに『お肉とお魚以外ももう少し食べなさい』って言おうかしら」
「ははは。そいつはいいな」
エメディアがなんとも可愛らしいものをいうものだから、グレイは思わず笑みを漏らした。
……エメディアは、皆に愛される存在なのだ。本当に、そうだ。
だから……グレイは、今後、気を付けなければならない。少なくとも、エメディアの目の届くところでは、あまり、手足を欠損しないようにしなくては……。
「そういえばグレイあなた、やっぱり私の名前、できるだけ呼ばないようにしてるわよね」
そんな折、唐突にエメディアがそう言ってきたものだから、グレイは、ぎくり、とする。
「……癖みたいなものだ」
「スファルのことは呼ぶのに」
「前衛は呼ぶさ。咄嗟に呼ばないと危ないことが幾らでもあるからな」
「ふーん……」
エメディアは、じと、とした目でグレイを見つめ……そして、む、と口をへの字に曲げて、零した。
「……ちょっとスファルに嫉妬するわ」
「は……?お、おい、なんだ、どういうことだ、それは」
グレイは混乱した。大いに、混乱した。意味が分からない。あまりにも。
……そして、そんなグレイを見て、エメディアは『まあ、いつか、でいいわ』などと言って笑うのだった。
そうして、翌朝。
「さーて!じゃあ、アイオンの腕、直しちゃいましょうね!」
すっかり元気になったエメディアは、グレイの部屋でそう宣言すると、今度は元気にアイオンの処置室へと向かっていった。どうやら、ジョード老を手伝うつもりらしい。
グレイとスファルは、そんなエメディアを見て、『元気になってよかった』と微笑むばかりである。やはり、エメディアが元気だと、こちらも元気になる。
「それで、ええと、グレイは明日になっちゃうかもしれないみたいなんだけれど……」
「ああ、構わない。先にアイオンをやってくれ」
そして、昨日決めた通り、グレイの手足は後回しになる予定である。エメディアは申し訳なさそうだが、グレイは『慣れたもんだから』と苦笑して返した。
……すると。
「分かったわ。じゃあ……スファル、グレイをよろしくね」
エメディアがそんなことを言うものだから、スファルもグレイも、ぎょっとした。
「はあ!?なんだって俺がこいつを!?」
「だってあなた、手足があるじゃない!ね!」
エメディアはそう言うが、スファルはグレイなどの世話はしたくないだろう。グレイは、スファルにしか聞こえないくらいの声で、『大丈夫だ。世話にならなくてもやっていける』と告げた。スファルは少し安心したように、小さく頷いていた。
……だが。
「それで……グレイの手足も治ったら、王城へ行きましょう」
エメディアは更に、グレイ達を驚かせてくれるのだった。




