20話:差し伸べられる手*4
食後、グレイは機械との会話を続けていた。
『それで、私の部屋の窓から見えるところに李の木を植えてもらったの。毎日見られるように、って』
「それはよかったな。あんたは、李が好きだから」
『ええ、そうなの。それ以来、李の実だけじゃなくて、花も葉っぱも枝も、全部好きになったのよ』
……機械との会話を続けながら、グレイはふと、『あの離宮の庭に李の木があるんだろうか』などと思う。……少しばかりエメディアのことを知ってしまっている以上、どうにも、機械との会話にも現実味が出てしまっていけない。
「実以外も好きなのか」
『そうよ。人だって、そうでしょう?どこか一か所好きになったら、その人全体を好きになっちゃう。そういうことって、無い?』
更に、どうにも反応に困る言葉を投げかけられてしまうと、グレイとしては只々、言葉を選びあぐねて沈黙してしまうことになる。
『……アッシュ?』
不安そうに小さ目な文字が書かれたのを見て、グレイは慌てて、言葉を無理矢理捕まえてきて、出すことにする。まるで生身の人間と話す時のように、無理をしている。
「その、それは怖いよな」
結局、グレイはそんなことを口走った。
口走った言葉が正しかったかどうかを考える余裕も無い。一度出てしまった言葉が、どうにも止まらない。
「その、つまり、あんたの言うことは、よく分かる。どこか一か所好きになれる箇所が見つかったら、そいつと上手くやっていける。その通りだ。だが、相手はそうじゃないから……好きになるっていうのは、怖いことだ、と、思う」
……しかし、機械が返答に困ったような様子で腕をもそもそ動かしているのを見て、はっとする。
「あー……妙なことを言った。その、あまり、人付き合いが得意な性質じゃないんだ。だから」
『いいえ、そうじゃないの。あなたがおかしいと思ったんじゃなくて、ただ』
……グレイがじっと見守る中、機械の腕が、止まる。まるで、何かに迷っているかのように。
今まで、このように止まったことなど無かったのに。
そうしてグレイが機械を見守り、グレイの肩越しにそっと、スファルもそれを見守る中、ようやく機械の腕が動いた。
『ただ……あなたが、幸せであったらいいな、って、思っただけなの』
……なんともいじらしい文字列を見て、グレイは何とはなしに、機械の腕を撫でた。感触が伝わる訳でもないというのに。そんなことは、分かっているのに。
だがどうにも……何かを受け取ったような気がしてしまったので、それを返したくなってしまった。
そうして、その日の会話は切り上げた。
切り上げてから、どっと疲労が押し寄せてきたような感覚を味わって、立ち上がりかけたグレイはふらつき、深く椅子に座り直すことになってしまった。
「よお、グレイ。堪えてんのか」
「ああ、そうみたいだ」
スファルはそんなグレイの横に座って、ふう、とため息を吐く。
……途中から、グレイはどうも、スファルの存在を忘れかけていたように思う。ただ、機械と話すことに意識を集中させすぎた。それに改めて気づいて、恥じる。
「……その、お前、こういうのに向いてねえぞ」
スファルの、珍しく言葉を選んだような言い方を聞いて、グレイは自嘲した。
「分かってる。俺は話下手だ」
「違う。そうじゃねえ」
だが、グレイの返事を聞いたスファルが何やら怒りを孕んだような声を発してきたものだから、グレイは少々、驚く。
「ただ……お前、人を騙したり裏切ったりすんのが、下手だろ」
更に、気まずそうに続いた言葉に、グレイは何も答えられない。
確かに、下手だ。話すこと自体が下手なのだから、騙すのも、裏切るのも、下手だ。それは、分かっている。
「いつだって、そうだ。騙されるのも裏切られるのも……嫌われるのも、自分の役割だって思ってやがる。自分はどうなったっていいが、相手は敵だろうが機械だろうが、そうじゃねえ、って思ってる。だから、『苦手』なんだろ。違うか?」
グレイは、何も言えずにただ、スファルが少し背中を丸めて座って俯いているのを、横から見つめていた。
「それで……機械相手だってのに、お前はもう、情が湧いてんだろ」
「……そうだな」
グレイがようやく肯定の言葉を発すると、スファルは長く深く、ため息を吐いた。
「もう、あの機械と喋るのはやめとけ。皆には俺から言っといてやる」
「だが」
「やめとけ。見てらんねえ」
どうにも頑ななスファルの様子に、グレイは戸惑う。『俺はそんなに見ていられないような顔をしているのだろうか』とも、思う。
「……な。アイオンとかにやらせろ。あいつは上手くやる。あいつは、人を騙そうがおちょくろうが、傷つきゃしねえだろ。ルイナでもいい。あいつもそういうのは得意だろうし……」
グレイは、『俺だって別に傷つきやしない』と思って……思ってから、『本当にそうだろうか』と、ふと、気づいてしまった。
……成程。
これは確かに、グレイは『人を騙したり裏切ったりするのが下手』な訳である。
「……スファル」
「なんだ」
「その、悪いな、こんなことに付き合わせて」
グレイが『俺は何を言っているんだ』という気分にもなりつつ、スファルにそう言ってみると……スファルは少し笑って、黙ってグレイの肩をばしりと叩いた。
……スファルは今も尚、グレイの恩恵の影響を受けているのだろうに、それでも、これだ。実に高潔で誇り高い人物だ、とグレイは素直にそう思う。
そう思うから……先程、機械と話したことをどうにも思い出してしまって、ため息を吐いた。
……人を好きになることは、非常に簡単なことだ。ただし、嫌われる結果が確実に待っているグレイにとって、それは『怖い』ことである。
人に好かれることは、嬉しいことだ。そして嫌われることは、その逆。
久しぶりにそれを改めて思ってしまって、グレイはまた、ため息を吐いた。
……やはり、『堪えている』ということなのだろう。
そうして、翌日。
グレイが目を覚ますと、目の前に空色の瞳があった。
「うわ」
「きゃっ!?」
空色の瞳は、グレイが目を覚ましてすぐ、驚いて見開かれ、そして、ぽん、と弾かれるように遠ざかっていって……そして。
「グレイ、あなた……前触れもなく目が覚めるのね……!?」
グレイが上体を起こしてみると、そこには慄いた様子のエメディアが居た。
「……目が覚める時に前触れって、あるか?」
「無いの!?もそもそしたり、むにゃむにゃ言ったりしてから起きない!?」
「さあ……」
グレイは、『スファルはもそもそしたりむにゃむにゃ言ったり散々やってから起きるが、アレは特殊な例だろ』と思いつつ、しかし、自分の寝起きが極端に良い自覚もあるので、何とも言えない。
「と、とにかく、ごめんなさい。こんなに突然起きると思ってなくて、覗き込んでたの」
「……あんまり人の寝顔を見つめないでくれ」
「そうね、それもごめんなさい。つい……つい、見ちゃって……」
エメディアが反省からの渋い顔で大人しくしているのを見て、ふと、グレイはエメディア離宮の使用人の1人が『エメディア様の寝顔をひたすら見つめるのが趣味です。あ、見つめるだけです。それ以外は興味なし!』とやっていたのを思い出した。彼女の影響でエメディアもこうなったのだろうか。あり得る話である。
「ええと、とにかく、朝ごはんよ。皆揃ってるけれど、グレイも起きられそう?」
「ああ……ちょっと待ってくれ。俺はスファルより起きるのが遅かったのか?」
「ええ。というかね、スファルが早起きだったのよ。あのスファルが、よ?信じられる?」
グレイは、『一体何が起きているんだ?』と困惑しつつ、エメディアに連れられて食堂へと向かった。
食堂、とはいえ、そう広い空間ではない。ただ、ジョード老がエメディアのために、大きな作業机を1つ片付けただけだ。……ということで、エメディアがここに居る間は、本来作業部屋の1つであるここが、食堂となるのだ。
そこには素朴ながらきちんとした朝食の準備が整っており、そして、そこに皆が着席していた。
グレイもそっと着席すると、そこで『よし』とばかり、スファルが頷いた。……本当に、早起きしていたらしい。否、グレイが寝坊したとも言えるが……。
「よぉし……皆、聞いてくれ。朝飯の前に話しておきたいことがある」
スファルは皆の顔を順番に見つめながら、堂々と声を上げる。
そして。
「あの機械とグレイを喋らせんのはもうやめるぞ!」
「えっ」
……堂々と、そう、宣言したのであった。成程、有言実行のオーガである。
「ええと……やっぱり、辛いわよね。ごめんなさい、グレイ。あなたにこんな役目を押し付けて……」
スファルの言葉を聞いて、エメディアはすぐさま、グレイを案じてくれた。まるで、例の機械のように。……否、あの機械が、エメディアのようにグレイを案じてみせただけなのだろうが……。
「いや、別に、それはいいんだ。だがどうも……俺が、あの機械に絆されそうで」
「成程な。確かにそうだろう。失礼ながら、グレイ。君はそのあたり、不器用なように見える。割り切ってあの機械から情報を抜き出す、ということは難しいだろう」
やれやれ、とばかり、アイオンがそう言うのを聞いて、グレイはなんとも肩身が狭い思いをする。自分にできることがあればと思ったが、結局、どうにも上手くいかない。
「ならば私がその仕事を引き継ごう。何、ジョード老の作業はどのみちもう少々時間を要するようだからな」
「おい。俺の仕事が遅いって言いてえのか?」
「とんでもない!貴殿の仕事は間違いなく一流のものだ。これ以上を望むことは他にできないだろう。誇りたまえ!」
……ジョードもアイオンにかかればこの調子である。こんなアイオンであるならば、あの機械相手にも後れを取ることは無いだろう。
「こういうものは適材適所だ。機械であっても淑女のふりをするというのであれば、お相手は私のような紳士がよいだろう」
「紳士ってツラかよ、テメエ」
「スファル。1つ言わせてもらうが、君よりは余程紳士的だ!」
「んだと?」
スファルとアイオンが何やら言い合いを始めたのを横目に、グレイは少々、ほっとしてもいた。
……どうやら、途中で仕事を投げ出す羽目になった自分であっても、然程、失望されていない様子であったので。
だが。
朝食後、早速、アイオンが例の機械と会話すべく部屋へ入っていくと……その、たった10分後に部屋を出てきてしまった。
「あー……グレイ。すまないが、ちょっと来てくれ」
そして、義手の手入れをしていたグレイは気まずげなアイオンに呼ばれて、首を傾げつつそちらへ向かえば……。
「……例の機械のレディだが。彼女が、君をご所望だ」
……アイオンが見せてきた紙には、例の機械が書いたらしい『アッシュはどこ?アッシュと話したいの。お願い、アッシュと話させて!』という文字が並んでいた。




