19話:差し伸べられる手*3
『それで、そのお庭の白薔薇が見事で!ねえ、アッシュ。あなたはどんなお花が好き?』
……そうしてグレイは、機械相手に雑談していた。
そう。雑談だ。何せ、この機械は非常に上機嫌で雑談に興じたがっていたので。
「花、は……あまり見たことが無い、というか、意識して見たことがあまり無かったから、何とも」
『そうなの?春にライラックの花が枝いっぱいに咲くのを見たことは無い?薄紫の花なの。王城の前の通りの広場に咲くのを、よく眺めていたわ』
「ああ……それなら見たことがあった、かもしれない。その、表通りの方にはあまり行ったことが無いんだが、確かに一度、紫っぽい花が咲いているのを見たことがあるな」
『よかった!私、ライラックも好きよ。枝いっぱいに零れるように咲くのが好きなの。アッシュもあのお花が好きなら嬉しいわ』
……機械は、実にエメディアらしく振舞った。記憶しているものも、概ね、エメディアのものに似ている、のだろう。無論、これが完全にエメディアと同じものではないことは、以前、検証した通りだ。だが……『それらしく振舞う』ことにかけては、この機械は非常に上手いと言わざるを得ない。
グレイが知らないことを……それでいてエメディアは知っていてもおかしくないであろうことを、この機械はいくつもいくつも、話した。
小さい頃の教育係の女性が内緒でくれたお菓子の味の話も。ダンスの練習があまり好きでなかった話も。視察先で見た山河の風景も。ローザテイルの王都の広場にあるライラックとやらの話も、そうだ。
……機械は機械であるはずなのに、グレイなどより余程瑞々しい感性を持っているかのようだった。機械が綴る文字を読んで、それに返事をしながら、グレイは新しいことをいくつも知った。
朝露に塗れた草原を美しいと思う余裕など碌に無かったグレイは、それを嬉々として話す機械の言葉を聞いて、『ああ、確かにあれは美しかったかもしれない』と思うことができた。
グレイには漆喰を塗った経験も多少あったが、機械が王都の図書館の漆喰壁を直すところを見学した話を聞いて、漆喰を塗ることの楽しみを初めて知ったような気がした。
……機械との会話は、そんな調子だった。
雑談ばかりで、特に何か、踏み込んだ会話をすることは無かった。グレイとしても、何からどう聞いていいものやら分からなかったのと、何より、機械が矢継ぎ早に、あれもこれも、とたくさん話したがったためだ。
すっかり機械に押し負けて、機械に付き合ってやっていたグレイだが……ただ付き合ってやっていた、というには、それを楽しみすぎていたかもしれない。
……そう。楽しかったのだ。
機械との会話であって、人間とのそれではない。
この機械は、機械であって人間ではないのだ。ましてや、エメディアではない。これは機械だ。
……そう分かっていても、どうにも、無邪気な文字列を読んでは、時々口元が綻ぶのを抑えられなかった。
そうして一度、グレイは機械との会話を切り上げることにした。というのも、夕食ができた旨をルイナが報せに来たからである。
……ということで、グレイは機械に『またすぐに来る』と告げて、機械の聴覚を司る機能を落として、そして、一気に押し寄せてきた疲れにため息を吐きつつ立ち上がる。
「飯、だったな」
「ええ。アイオン卿が……」
「……アイオンが作ったのか」
「いえ、主に私が。しかし、アイオン卿がパンを買ってきてくださいまして」
ルイナの話に特に理由もなく安心しつつ、ふと、先程の機械との会話を思い出してしまう。
あの機械は、『城の料理人が朝早くにパンを焼くと、ふんわりいい匂いがするものだから、朝早く目が覚めた時にはよく厨房の近くを散歩していた』と話していたのだ。
……そう思い出してしまってから、あの機械はエメディアではない、ということを改めて意識に刻み直す。
「おい、グレイ」
だが、そんなグレイの顔を見ていたスファルは、心配半分、嫌悪半分くらいで顔を顰めてみせた。
「……お前、あの機械に絆されてるんじゃねえだろうな」
「そう見えたか」
グレイは内心、どきりとしながらそうスファルに尋ね返す。するとスファルは、また眉間の皺を深くしつつ、黙って頷いた。
「お前な……あの機械とやりとりしてる間に、口が笑ってたぞ」
「それは知ってる」
スファルに指摘されたことにはどきりとさせられたが、その内容自体は、グレイも知っていることだ。
……ああ、そうだ。
グレイは、あの機械に絆されつつある。
そうして、夕食の席にはルイナが作ったという食事が数品、並んだ。
シチューと、鳥の肉を焼いたものだ。それに、アイオンが買ってきたというパンである。
食事中、アイオンは『裏通りのパン屋での素晴らしいパンとの出会い』について語って聞かせてくれた。グレイは、『ああ、あの、俺が店先に行くと水をぶっかけてきたパン屋か……』と少々複雑な気持ちになりつつ、存外に美味いパンを齧った。成程、これだけ美味いパンであったならば、アイオンの演説めいたパン屋への賛美も許せる気がする。
「ああ、なんだかほっとする味だわ。すごく美味しい」
「王城の料理人には到底及びませんが」
「そうかしら。うーん、洗練されているかどうか、っていうことと、美味しいかどうか、っていうことって、必ずしも等しくないと思うわ。ルイナの料理は、とっても美味しいわ。洗練はされていないのかもしれないけれどね。でも私は好き!」
エメディアはシチューを口に運んでは、なんとも嬉しそうな顔をする。ルイナはそれを見て、『お喜び頂けたなら光栄です』と、伏し目がちに口元を緩ませ、少しばかりもじもじしていた。ルイナの気持ちは分からないでもない。エメディアに褒められてしまえば皆、そうなる。
「ところでこのお肉って」
「上空を飛んでいたものを射落としました」
「……そういえばルイナって弓の名手だったわ」
更にエメディアに感嘆されたルイナは、こちらは少々誇らしげに笑顔を見せた。……気持ちは分からないでもない。ルイナにとって、武術を褒められることは、料理を褒められることよりも堂々として受け止められることなのだろうから。
グレイも、盾役としての技術を褒められる方がまだ、慣れている。慣れている分、堂々と受け止められる、ように思う。……グレイは嫌われものだが、それでも盾役としての実力は認められていた。だからこそ、細々とでもダンジョンに潜って生計を立てていられたという訳である。……ルイナも、似たようなものなのかもしれない。
「それで、グレイの方は、進捗はどうだった?」
「こいつ、雑談してたぜ!」
さて。そうしてグレイの報告については、グレイより先にスファルがそう、報告してくれた。グレイとしては少々、気まずい。自分の役目を忘れたわけではないが、雑談に興じていたように見えても仕方がないだろうし、実際、グレイはあの機械との会話を楽しんでいなかったとは、言えないので。
「あら。ということは、進捗はよし、ってことね!」
……だが、エメディアに笑顔でそう言われてしまうと、やはりグレイとしては、気まずい。
よい進捗だとは、自分では思っていないので。また、実際、そうであろうと思われるので。
「あら、グレイ。自分ではあんまり、『進捗よし』とは思っていない、っていう顔ね?」
「……そうだな」
エメディアの、少々面白がるような笑顔に罪悪感を覚えつつも素直に頷けば、エメディアはくすくすと笑った。
「ごめんなさい、揶揄いたいわけじゃないの。ただ、『雑談するようになったのなら、着実に相手を懐柔しつつある』んじゃないかしら、っていう、ただそれだけ」
エメディアの言葉を聞いて、グレイは、『そういうこともあるのか』と、納得のいくような、いかないような、そんな気分で曖昧に頷く。
……だが、よくよく考えてみると確かに、雑談するようになると、懐柔される。それはよく分かる。何せ、グレイ自身が今、そうだ。あの機械に懐柔されつつある。
「しかし、相手は機械です。懐柔などされるのでしょうか?」
そこへ、ルイナがまるでグレイの頭の中を覗き込んだかのような疑問を提示したので、グレイはどきりとさせられる。
「機械は、好意など抱かないのでは?」
……そう。グレイも、同じようなことを、考えていた。
即ち、自分が懐柔しているのではなく、相互に懐柔し合っているのでもなく……ただグレイだけが一方的に、あの機械に懐柔されているのでは、と。
「……アイオン。そこのところ、どうなのかしら」
「ふむ、エメディア姫。それについては、あまりにも分からないことが多すぎる、としかお答えできないな。まるで、霧の中を歩くかのごとく、だ。ぼんやりとしか実体は見えず、それでいて、霧の中に見えた影が人だったのか枯れ木だったのかなど、分かりようもない……」
エメディアが『機械の事ならとりあえずアイオン』とばかりアイオンに話を振ると、アイオンはなんとも曖昧なことを言った。エメディアは、『やっぱりアイオンに聞いたのは失敗だったかもしれない』というような顔をし始めてしまった!
だが。
「納得がいかないかな?ならば敢えて、無礼を承知で問おう。……エメディア姫。貴女には、『心』があるか?」
「え?」
唐突に、アイオンが不思議なことを言い出した。
「貴女の心を証明するものは、何だ?貴女には心など無く、ただ、『心が在るかのように振る舞っているだけ』なのでは?」
……アイオンの言葉に、エメディアは驚いて目を瞬かせ、それから、『成程ね』と頷いた。
「……そうね。外から見て、その人に本当に『心が在る』のかなんて、分かりっこない、ってことね?」
「その通りだ。ついでに、『心』というものそれ自体、証明しようのないことである、とも言わせて頂こうか」
アイオンは『その通り』とでも言うかのようにゆったりと拍手しつつ、食卓の下で脚を組み直し、そして、椅子の背凭れに悠々と背を預けてみせた。
「メカニジアでは確かに、機械で人間の代替品を作れるかどうか、研究していた。完全に一から作り上げるやり方にせよ、人間の意識だけを機械に搭載するやり方にせよ、それらが成功したかどうかまでは知られていない。『機械に心を搭載できたかどうか』は、メカニジアの上層部しか知り得ないことだ。或いは、メカニジア上層部すら、知らないのかもしれないが……」
アイオンはかつてのメカニジアの上層部を思い出しているのか、少しばかりため息を吐いて、続ける。
「とにかく、機械であっても人間であっても、『心』の証明などできないのではないかな?」
難解な話だが、グレイにも理解できなくはない。
相手がどう思っているのか、ということは、結局のところ、確かめようがないのだ。
その点、グレイは多少、楽なのかもしれない。相手の胸の内を探るまでもなく、『相手は自分を嫌っている』と無条件に判明しているのだから。
「そう、ねえ……。じゃあ、『機械は好意など抱かないのか』っていうのは、考えるだけ無駄かしら」
「いや、無意味でもないだろうな。機械が『それらしく』振る舞おうと思ったら、『好意のあるふり』はするだろう。そして、『好意のあるふり』とは、『好意』とさして変わりがない。『好意のあるふり』をするために、機械はとっておきの秘密を共有してくれるかもしれない。或いは、メカニジアという国を裏切る素振りすら見せてくれるかもしれない。……それは、『本物の好意』と何が違う?」
「ああ、成程……そういうことなら、確かに意味がありそうですね」
ルイナも納得したところで、スファルが『わかんねえ』という顔をしていたが……まあ、グレイにもアイオンの話は納得できたので、結論は出た。
「あー……何にせよ、夕食の後、もう一度あの機械と話してくる。それで何か得られる情報があるかもしれない」
「ええ、分かったわ。ありがとう、グレイ」
結局のところ、グレイはあの機械相手に、雑談なり何なりして、あの機械を懐柔するしかないのだ。そして、あの機械がグレイに好意を向けてくれる……つまり、『好意を向けているふりをしてくれる』のを待つしか無いのだ。
……と、グレイの食後の方針も決まったところだったが。
「……でも、その、グレイ」
ふと、エメディアが、心配そうな目をグレイに向けていた。
「辛くは、ない?」
「……ああ。別に」
「そう?なら、いいのだけれど……」
……エメディアに答えてしまってから、グレイはふと、自分が自分の考えに蓋をしたような、そんな気がしていた。
そんなグレイを、スファルがちらりと見て、ふう、とため息を吐いていた。
……グレイは、あの機械との会話が辛い、のだろうか。グレイにも、よく分からないことだったが……。




