八話 夏祭
8月下旬、日曜日。
外はアスファルトが鉄板と化すほど暑く、蝉や蛙の合唱で耳が壊れそうなのにも関わらず、どこか趣を感じられる頃。
この日、町は朝から賑わいを見せていた。
なぜなら、今日この町では夏祭りが催されるからだ。
毎年商店街の人達は自分の店を離れ、町で1番大きな神社の境内で露店の準備をし、若者達は今日着ていく浴衣の準備をする。
そんなふうに朝から町の人達は今日の夏祭りに向けて各々の準備を進めていた。
この町の夏祭りは小規模ではあるが、伝統あるお祭りということで毎年人は結構集まり、最後には花火も上がる。
そんな夏祭りなのだが、僕は正直あまり参加したくない。
なぜなら、町の住人達が一堂に会すると、普段は会わないような同級生や知り合いなどと出くわしてしまう可能性があるからだ。
もちろん、そこで出くわした時にきちんとした対応が出来れば何の問題もない。
しかし、それが出来ないのならば、場の空気をしらけさせたり、最悪の場合向こうのグループに加えられ居心地が悪い中、何時間も拘束され時間とお金を無駄なことに費やしてしまうかもしれない。
だから、祭りなど幼少期に両親に連れてってもらって以来一度も足を運んでいない。
そして、これからも祭りに行くことはない、そう思っていた。
昨日すずに連れてってほしいと言われるまでは。
昨日の夕方、すずとスーパーへ買い出しに行った帰り、何か安く売ってる物はないかと商店街へ寄った。
その際、いつもより閑散とした商店街が気になったのか、すずは「何かイベントでもあるんですかね?」と訊いてきた。
それに対して僕は「明日夏祭りがあるから商店街の人達は露店構える為の準備で忙しいんじゃないかな」と答えてしまった。
この時はまさか自分が夏祭りに行くことになるとは思わなかったのだ。
そして、夏祭りがあることを知ったすずは興味が湧いたのか是非連れてって欲しいと言ってきた。
なんでも、この時代の文化やしきたりなどの風俗的なことも知っておきたいのだとか。
もちろん、最初は断った。
すずの気持ちに応えたいのは当然だが、やはりかつての同級生とばったり会うなんて御免だ。
だから僕は、人混みの多い所は苦手だから一人で行ってほしいと言って断った。
しかし、どうも僕がすずの身を案じてガツンと叱った辺りから、彼女は僕に少し心を開いてくれたみたいで、からかったり照れたりと人間味のある言動をするようになった。
それ自体は親しくなれた証拠だと思うし、すずも楽しそうなので良かったと思っている。
だが、その分何かにつけて僕が言った「手伝いをさせてほしい」という言葉を利用して頼み事をするようになった。
この時も僕が断ると「誠太さん、私に情報収集の手伝いをさせてほしいって言って私と一緒に活動してるんですよね?」
「だったら夏祭りに行くのも情報収集の一環ですし、手伝ってはくれないんですか?」と巧みに僕の言葉を利用してきた。
そこまで言われたら断ろうにも断れない。
僕は泣く泣く明日すずと夏祭りに行くことを承諾した。
そして、すずはそんな僕の様子を見て楽しそうに微笑んでいた。
そんな訳で今日に至る。
僕は朝から憂鬱だ。
それでもいつも通り図書館へ行き、すずと顔を合わせる。
図書館のドアを開け、先に来ていたすずに一言「おはよう」と放ち、すずの座っていた二人用テーブルの反対側にだらんと座る。
「おはようございます」
「どうしたんですか? 冴えない顔して」
すずはいつもより機嫌が良さそうだった。
「そっちこそ、今日はニコニコしてどうしたの?」
「だって、今日お祭りに行くんですよ?」
「私、未来に居る時から憧れてたんです、こういう行事を実際に目で見ることに」
「でも、誠太さんあんまり調子良くないみたいですし、今日はやっぱりお祭りやめときましょうか?」
「いや、大丈夫。ちょっと眠たかっただけだから」
本当は隙を見て断りたかった。
しかし、すずのそんな様子を見てると、あまり気乗りはしないが今日くらいは良いかなと思えるようになったのだ。
「なら良かったです」
「ではこの後はお昼に私の家へ行って、6時頃に直接私の家から会場の神社まで行く、という予定で良いですか?」
「ああ、そうしよう」
「了解です」
僕たちはその後、しばらく本を読んだり会話したりして、お昼になるといつも通り図書館を出てすずの家へ向かった。
「誠太さん、起きて下さい」
すずに揺すられ、慌てて目を覚ました。
あれからお昼ご飯を食べ終え、6時になるまで読書をしておくつもりだったが、読書中ついつい眠ってしまっていたようだ。
「もう6時ですよ、早く支度してください」
「ああ、ごめん」
僕は洗面所に行き、顔を洗い口をゆすぐ。
「お待たせ、もうすずは準備出来てるの?」
「はい、大丈夫です」
カバンにハンカチを詰めながら、すずはそう言った。
「誠太さんはカバンとか持たなくて良いんですか?」
「まあ僕は財布だけあれば十分だよ。それにカバンは本とかしか入れてないしね」
「そうですか」
「じゃあ行こうか」
「はい」
ドアを開けて外へ出ると、上には赤い空が見えた。
すずが鍵を閉め終わるのを待ってから二人で歩き出す。
「神社は確かここから北に歩いて行けばいいんでしたよね?」
「そうだね、まあ僕に着いてくるといいよ」
「分かりました」
歩き始めた頃は特に話すことも見つからず、お互い口をつぐんだままだった。
それからもしばらくはそのままの状態が続いた。
しかし、神社まで残り半分の道程となった時、すずはおもむろに沈黙を破った。
「誠太さんは今までにお祭りに行ったことはあるんですか?」
たわい無い話題だったが、何も話さないのもどこか気まずいのでそれに応じる。
「幼い時に一回両親に連れられて行ったことはあるけど、それ以来行った記憶はないかな」
「そうなんですね」
僕は会話を途切らせまいと同じような質問をすずにする。
「未来はこういうお祭りみたいな行事ってないの?」
すずはしばらく空を見上げ、思案してからこう言った。
「私の記憶には無いですね、データと共にそういった風習なども大方消えてしまったので」
「ただ、一部の地域や名家では昔からその家系に伝わる伝統的な行事は行われてるとは聞いたことがありますね」
「いくらデータが消えたとはいえ、生きている人の記憶は簡単には消せませんから」
「そうやって戦争を生き抜いた人が後世に伝えたんだと思います」
「まあこれはただの私の憶測で……」
すずはそう言いかけてから立ち止まった。
「どうしたの?」
僕がそう訊くとすずは「人、増えましたね」と言った。
大して気にしてなかったので気付かなかったが、辺りを見渡すとかなりの人が僕たちと同じ方角を向いて歩いていた。
それも半数程が浴衣を羽織っていた。
「会場、もうすぐですね!」
すずは興奮を隠しきれていなかった。
「ああ」
そんな彼女と辺りの雰囲気につられて僕もテンションが上がってきた。
離れていても会場で鳴り響く和太鼓の音が聞こえる。
辺りは暗くなってきていたが、会場にぶら下げられた無数のちょうちんがあるので、暗闇に呑まれることはない。
大きな鳥居をくぐり、ようやく会場に辿り着いた。
祭囃子の甲高い音、屋台の美味しそうな匂い、まるで一つの生き物みたいにうごめく人の波、絶え間ない話し声、目に入る全てが祭りを象徴する光景だった。
そして、そんな光景を見て、隣のすずは目をキラキラと輝かせていた。
「まずは何したらいいんですか?」
「うーん、じゃあとりあえずお店回ろうか」
「はい!」
こうして僕たちは色んな店を回った。
たこ焼き屋ではひと口で頬ばろうとしたすずが熱い熱いと言い、かき氷屋では頭がキーンとしたのか苦しそうにしていた。
そして、金魚すくいではすずは一匹も取れず、代わりに僕がすくってあげようとしたが結果は同じで、それが面白くて二人で笑いあった。
すずと一緒のお祭りはとっても楽しくて、自分が忌み嫌っていた祭りのイメージが様変わりした。
正直最初は早く帰ることばかり考えていたが、今はずっと居たいと思えるようになった。
不思議なもんだ。
それからもしばらく祭りを堪能し、お腹もある程度満たされてきたので、すずと話し合い、最後にもう少し祭りの雰囲気や様子を見てから帰ろうということになった。
そうして屋台の立ち並ぶ参道を歩いていると、目先に見覚えのある顔が見えた。
それはよりにもよって最悪の相手だった。
奴は中学時代、いつも独りでいる僕が奇異に映ったのか何かにつけていじってきた嫌な奴で、言わばいじめの一歩手前と言ったところだ。
奴の名前は中原という。
その中原と仲の良かったメンバーが揃いに揃って向こうから近付いてくる。
絡まれると確実に良いおもちゃにされるだろう。
僕は何とかこの場を乗り切ろうと、極力息を殺し、恐る恐る奴等の横を通り過ぎようと試みる。
そして、奴等を横切る時、一瞬だけ中原の顔を窺ってみた。
これが大悪手だった。
ちょうどそのタイミングで中原もこっちを見てきて、不運にも目が合ってしまった。
その瞬間、体がビクッと反応したのが分かった。
「誠太さん……?」
不自然に立ち止まる僕を見てすずが言った。
僕は走り出した。
「あ! 待ってください! どこ行くんですか!?」
すずは走る僕を追いかけながらそう叫んだ。
僕はとにかく走った。
後ろからは奴等の笑い声が聞こえてくる。
自分の情けなさに涙が溢れた。
そして、僕は参道を外れて人気の無さそうで暗い場所まで走り、大きめの木の下で腰を下ろした。
追ってすずも走ってきた。
すずは息を切らしながら「……どうしたんですか?」と言った。
僕はすずに本当の事を言うのが恥ずかしいし、怖い。
そして何より変に関係が悪化し、いつも通りの日常が失われるのが嫌だった。
僕もすずもようやく希望が見えてきた頃なのに、こんな下らないことで希望を見失いのだ。
さっきの事は全部無かったことにして、いつも通りの日常を守りたい。
だから僕は心が沈む中、無理やり笑顔を作って「なんでもない、ちょっと気分が悪くて吐きそうだったからここまで走ってきただけ」
「でも、もう今は大丈夫、落ち着いたから」と嘘をついた。
もちろん、すずはこんな嘘易々と見破ってくるだろう。
そんなことは分かっていたが、彼女もわざわざ今の日常を壊したくはないだろう。
後はすずが空気を読んで、上手く騙された振りをしてくれるはず。
これで一件落着だ。
しかし、人間の好奇心は理不尽なんだと、すずの言葉で改めて思い知らされることとなった。
「本当にそうなんですか?」
予想していた言葉と大きく違っていたた為、思わず呆気に取られた。
「本当にそうなら良いんです、気分が悪いのなら今日はもう早く帰りましょう」
「でも、もし誠太さんが何かで悩んでるんだったら、少し話を聞かせてくれませんか?」
僕はなぜすずがそこまで干渉するのか理解出来なかった。
だが、それと同時にどこかホッとしていた。
上辺では見栄を張っていても、心のどこかではすずに自分の弱い所を相談したかったのかもしれない。
そうして、そんな弱い自分をも含めて認めて欲しかったのだろう。
「下らない話だけど良いの?」
僕は恐る恐る訊いた。
「何言ってるんですか、誠太さんは私の大切なパートナーなんですよ」
「どんな小さな悩みでも共有してこそ本当のパートナーなんじゃないんですか?」
「……うん」
こうして僕は中学時代の自分の姿と、奴等との関係を話した。
とても恥ずかしかった。
だが、すずはそれを本当に真剣な表情で聞いてくれていた為か、何の滞りもなくスラスラと話すことが出来た。
そして、それら全てを聞き終えてからすずはこう言った。
「なんだ、そんなことだったんですね」
「誰にだって苦手な事はありますよ」
「誠太さんの場合、ただ少し人付き合いが苦手だったりして集団に馴染めなかっただけだと思います」
「過去の事なんか忘れて、今は誠太さんを取り巻く環境に順応しましょう」
すずの包み込むような優しさに思わず涙が溢れそうになった。
僕は涙声で「本当にそう? こんな僕って格好悪くない?」と訊いた。
「ええ、誠太さんは格好悪くなんかないです」
「自分に悲観的になり過ぎてはだめですよ」
「自分が自分を大切にしなくてどうするんですか? 誠太さん、前にそう言ってくれましたよね」
「だから私、自分を大切にし始めたんですよ」
すずは優しく微笑んでそう言った。
「さあ、もう今日は帰りましょう」
「家にスイカがあるので食べませんか? 私も初めてなので上手く切れるかは分かりませんが」
そう言って僕の手を引こうとするすずに「もう祭りの雰囲気とかは見なくていいの?」と訊いた。
するとすずは少し寂しそうな顔で「心残りが無いと言えば嘘になりますが、元はと言えば私が誠太さんに無理言ってお願いしたことなんです」
「ある程度会場も回れたし、私はこれで充分ですよ」と言った。
こうして、僕はすずに手を引かれて、彼女の家へと帰った。
ところが、僕たちはその繋がれた手を離すタイミングを逃してしまい、終始手を繋いだ状態で歩いていた。
「こうしてみると恋人同士みたいですね」
道中、すずはそう冗談を言った。
僕も負けじと冗談を返してやろうと思ったが、良い言葉が思いつかず、ただ頬を赤らめただけで終わってしまった。
隣のすずはそれを見て、奇しくも頬を赤く染めていた。
すずには悪かったが、今日あった事を通して色々学べた気がする。
自分が忌み嫌っていた祭りに今でも一人で行こうとは思わない。
だが、誰かに誘われたら行こうという気にはなった。
それに、もしああいった知り合いに出会ったとしても、今日みたいに逃げ出しても構わない。
自分の苦手な事でいつまでも悲観してるよりかは、辛いなら逃げ出して未来へ歩みを進めていったほうがよっぽど良いということも分かった。
また、それを教えてくれたすずだが、家へ帰るとスイカを切ってくれて、それをベランダで食べながら祭りの目玉となる花火を二人で観賞していた。
僕を優しく叱って包み込んでくれたすずだが、隣で目を光らせながら花火ではしゃぐ彼女は、見ていてやはり愛おしかった。
「私、もっともっとこの時代の行事とか体験していきたいです」
夜空を彩る花火を見上げながらすずは言う。
「誠太さんもそれに付き合ってくれますか?」
「うん、構わないよ」
僕は花火の音に負けないよう大きめの声でそう言った。
前は僕がすずを叱ったが、今度は自分が叱られる立場になるとは思いもしなかった。
お互い自己肯定感が低いので、利他的になり過ぎてしまうところがある。
だが、これからはお互い触れ合う中で自分達の価値を見つけ、良きパートナーになれればな、と僕は思った。




