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五話 自棄

 かくして、僕は数日間だけすずの情報収集とやらの手伝いをすることになった。

 僕は主に土地勘が無い彼女に、町の道案内をしたり、どこにどんな本があるのかなどを教えた。


 すずと過ごした数日間はあっという間で、気付けば翌週の土曜日になり、あらかた僕の任務は完了していた。

 今まではとにかく暇ですることがなく、ただ黙々と本を読み流すようにして時間を潰すしかなかった。

 今思えばその姿は存在してこそはいるが、本質的には死んでいるのと変わらなかっただろう。


 だが、この数日間僕は今までと違いすずの任務の手伝いという意味のある行動を取った。

 そのおかげか、つまらなかった日常に少しだけ彩りが戻ったかのように感じられる。


 さらに、日常に刺激が増えたせいか、深く眠れるようになり、様々なことに対する意欲も湧き出てきた。

 このまますずと日常を共にすれば、僕の人生はもしかしたら変わるかもしれない。

 そんな気までしてきた。


 明日の日曜日で僕の手伝いは完了だ。

 おそらく、最後に今までの手伝いに対しての感謝の気持ちを述べられるのだろう。


 でも、このまますずの手伝いを続けていれば、僕の人生が少しだけでも良い方向に向いてくれるかもしれない。

 それに一度知ってしまった日常を、また元の退屈な日々に戻すのは気が引けた。

 正直に言えば嫌だ。

 僕にもまだそんな感情は残っていた。


 加えてどこかすずのことが放っておけない気がした。

 すずの話が本当だとしたら、彼女はこの一年間の成果次第では若くして理不尽に殺されてしまうかもしれない。

 だったら、僕のゴミみたいな人生の一割にも満たないであろうこの一年間をすずの情報収集に捧げて、少しでも彼女の生存率を上げた方が有意義なのではないだろうか。

 まあこれはただの詭弁に過ぎないのかもしれないが。


 ともかく、僕には自分の人生を変えたいという気持ちが湧いてきた。

 これからまた、いつか良いことはあると未来に人生を託すような生き方をしても待っているのは絶望でしかないだろう。

 おそらく時に流されるままに生き、最期は自殺か50代半ばで孤独死するのだろう。


 今、僕の人生には転機が訪れている。

 そして、決断しなければならない。

 この転機という名の波に乗るのか、はたまた今まで通りの日常に戻り、現状維持するのかを。

 だが、未だ僕の心は逡巡(しゅんじゅん)していた。

 



 翌日、日曜日の正午。

 ちゃぶ台に並べられたご飯を黙々と食べていると、すずは微笑ましそうに僕の顔を見つめていた。

 

 今日は朝にいつもの図書館で合流し、二人で本を漁ったりした。

 そして昼時、すずは僕をまた家に誘った。

 今までのお礼を兼ねて、また食事をご馳走したいとのことだった。


 食事が終わると、すずは皿を片付けながら「味は大丈夫でしたか?」と訊いた。

「うん、ありがとう」

 彼女は満足したように微笑んだ。

 まだ浮世離れした味はしていたが。


 それから皿の片付けが終わると、また前みたいにすずはお茶を淹れてくれた。

 舌が火傷しそうに熱かったが、どこか心がポカポカし、安らいだ。


 僕には次、すずが何を喋るのか分かっていた。

 このまますずとの関係を終わらせてしまって良いのだろうか。

 出来ることなら、彼女にもう少しだけ情報収集の手伝いをさせてくれるよう伝えたい。

 

 しかし、すずはそれを望んでいないかもしれない。

 もしそうだとしたら、彼女がせっかく後味良く別れる為に取り計らってくれたのに、僕はそれを台無しにしてしまうことになる。

 僕の心は行く宛てもない小舟のようにゆらゆらとたゆたっていた。

 

 そんな時間が5分ほど過ぎた頃。

 すずはお茶を六分(ろくぶ)ほど飲み終えていた。

 そして、気持ちを切り替えるかのようにゆっくりと深い溜息をつき、ついに話し始めた。


「改めて、この1週間お疲れ様でした」

「誠太さんが色々教えてくれたおかげで、本当に助かりました」

「ありがとうございます」


 僕は緊張を隠しつつも、極力笑顔を作り、「いやいや」と言った。

 自分の気の弱さにつくづく腹が立った。


「これから会うことも無いでしょうし、わがままばかりで申し訳ないのですが、最後にもう一つだけお願いがあります」

 すずは心やましそうな表情で言う。

「私の存在と、今回の出来事は誰かに話したり、公言しないで頂けると助かります」

「こちらとしても無意味に存在を知られるのは、少し都合が悪いので」


「分かった」

「誰にも言わないし、話したりしない」

 それを聞いてすずは無理やり作ったような笑顔と明るい声で「ありがとうございます」と言った。


 その声を聞いた途端、もうすずとは会えないんだという絶望感に襲われた。

 僕はすずを心の底から笑わせることも、彼女の瞳の奥を黒く染める愁いを取り除くことも出来なかったのだ。

 その事実が絶望となって僕の目の前を黒く蝕んでいく。


 だが、それと同時に心の奥底からある勇気が湧いてきた。

 それは、どうせもう会うことがないのならすずにどう思われても良いという自暴自棄な勇気だ。


 その勇気がすずの迷惑になるんじゃないだろうかといつまでも遅疑逡巡していた僕の背中を押した。

 告白と同じ、当たって砕けろだ。

 僕は思い切って口を開く。


「ただ、その代わり一つだけ聞いてほしいことがあるんだ」

 すずは特に動揺もなく、数秒して冷静に「なんですか?」と答えた。


「もう少しだけ君の手伝いをさせてもらえないかな?」

 それを聞いたすずは少し困惑したが、さほど驚いた様子ではなかった。


 そして、疑問だというよりも、はっきりとした説明を求めるような口調でこう言った。

「なぜですか?」


「自分で言うのもなんだけど、僕は毎日が退屈で仕方なかったんだ」

「でも今までの経験上、何かしたくても全部億劫に感じて、遂にはただ毎日を図書館で過ごして時間を潰すだけの生活になっちゃってたんだ」

「僕はそんな自分を変えたいと思ってたし、夜の田舎道のように先が見えない人生が嫌いだった」


「君と出会って手伝いをお願いされた時も、どうせ僕はなんの役にも立てないのだろうと思ってた」

「でも手伝いをした後に君が見せてくれた笑顔と感謝の言葉を聞いた時思ったんだ」

「僕もやれば出来るんじゃないのかって」


「そう思えるようになってからは、先の見えなかった人生に少しだけ明かりが灯った気がするんだ」

「この調子で前みたいな日常を脱却出来れば、少しはマシな人生を送れるようになるんじゃないかとも思った」


「だからお願い、もう少しだけ君の手伝いをさせてもらえないかな?」

「もちろん、君の邪魔になるようなことはしないし、君の諸事情を誰かに話すようなことも絶対しないよ」

「もっと他の方法もあるんだろうけど、今の僕にはこれしか思いつかなかったんだ」


 肺の中にある空気を全て吐き出す勢いで喋った。

 すずは僕が喋っている間、淡々と相槌を打ち、それを静かに聴いてくれていた。


 すずはしばらく無言で湯呑みの中を覗いた後、冷淡な目付きで僕を見つめてこう言った。


「私と居るといずれは不幸になりますよ?」


 その言葉が何を示唆しているのかは分からない。

 だが、僕の返事は変わらなかった。

「ああ、構わない」


 すずは呆れが混じったような溜息をついてから、「そこまで言われたのなら断ろうにも断れませんね」と言った。

「まあ私も一人なのは少しだけ心寂しいというのもありますし、丁度いいかもしれませんね」


「つまり、返事はOKということ?」

「まあそうなりますね」


「ありがとう」

 僕ははっきりとした口調でそう言った。

 すずは少し照れくさそうにしていた。


 だが、即座にすずはその照れを隠すように、いつもより幾分か大きめの声でこう言った。


「ただし、誠太さんには守ってもらいたいことがあります」

 僕が間に言葉を挟む間もなく、すずは続けた。

「まず一つ、絶対に私が未来から来たことは誰にも公言しないでくださいね」

「うん」


「それから、私は君という名前ではありません」

「私はお互いきちんとした名前で呼び合ってない関係の人達が、お互いを充分に信頼出来ているとは思いません」

「分かった、これからはきちんと名前で呼ぶよ」


「これらを守れるのであれば、これからもよろしくお願いします」

「こちらこそよろしく……すず」

 すずは満足そうに微笑んだ。


 こうして、僕たちの関係はまだもうしばらく続くこととなった。


 その後、僕はまた明日学校終わりにすずと図書館で会うことを約束し、一人でバスに揺られながら自宅に帰った。

 その日は終始気分が昂揚し、夜になっても中々寝付けなかった。

 こんなにも憂鬱じゃない日曜日の夜など、今までにあっただろうか。




 次の日の朝、鼻歌を歌いながら歯磨きをする僕を、妹はまるで奇妙な物でも見ているかのような目で見てきた。

 しかし、妹がそうなるのは当然だ。

 なぜなら月曜日の朝は自分でも分かるくらい暗い顔をして過ごしているのだから。


 快調な滑り出しで一日のスタートを迎えられた僕は元気良く玄関の扉を開け、そのままの勢いで自転車に飛び乗った。

 錆びたのか、チェーンを回す音が少し鈍く聞こえたのが気掛かりだったが、走り出してから数秒後にはそんなこととうに忘れていた。

 

 今日はとても気分が良い。

 交差点を抜け、川を超えて行くまでずっと鼻歌を歌っていた。


 走り出してから約15分ほどが経った。

 僕は川を超えた後に続く住宅街を走っている。

 鼻歌を歌うのは疲れて止めてしまったが、気分の昂りは変わらなかった。

 

 この先の曲がり角を左に曲がると、あるのは町の幹線道路だ。

 そこを10分ほど走って行けば、ちょうど学校に着く。


 そして、僕がその曲がり角を左に曲がろうとした時、ガチャりと大きめの音が自転車のタイヤ辺りから聞こえた。


 嫌な予感がする。

 僕は試しにペダルを漕いでみた。

 すると、思った通りタイヤを回すことは出来ず、ペダルは空回りするだけだった。


 僕はとりあえず周囲の目線を気にし、人気の無さそうな公園の隅までは何とか惰力(だりょく)でたどり着いた。

 そこで自転車を降り、チェーンを確認してみる。

 するとやはり、チェーンが歯車から外れていた


 僕は地面に座り込み、深い溜息をついた後「最悪だ」と小さく呟(つぶや)いた。


 高校入学と同時に買ってもらってから早6年、定期的に油を注すことなどをしていたおかげか、今まで一度もチェーンが外れたりするなどということはなかった。

 

 だが、最近は自転車の老朽化や点検を怠(おこた)ったりしていたので、遂に外れてしまったのだろう。

 僕は一旦焦る自分を落ち着かせ、チェーンを直そうと試みる。

 しかし、やったことないの上に、自転車に関しては素人の僕が直せるはずがない。

 ネットで方法を調べようにも、僕は普段からスマホを使用、携帯する機会が少ない。

 無論、今日もスマホは家に置いてきている。


 学校までどうにか歩いて行こうにも、今からじゃ自転車で行ってもギリギリ間に合うかどうかの距離だ。

 当然徒歩なら間に合うはずがない。

 

 遅刻覚悟で歩いて行くという手段もあるが、授業中に教室に入るのはとても目立つ。

 僕は教室では極力空気で居たい。

 つまり、今からでも歩いて行くという手段は、僕にとって論外なのだ。


 万策尽きたと自分の中で判断した時、失意の底にあった心が、何に対してかも分からない激しい憤りと共に烈火の如く燃え上がり出した。


 しかし、誰かが悪いというのではなく、自分が点検を怠ったことが原因ということぐらい分かっていた。

 分かっているからこそ、そんな憤りはあっさり消え失せ、残ったのは八方塞がりなことから来る燃えカスのような焦りと憂鬱だけだった。

 さっきまではしゃいでいた自分が恥ずかしくなった。


 その後、地面に座りしばらく考え込んだ後、徐(おもむ)ろに立ち上がり、走れない自転車を押しながらとぼとぼと歩き出す。

 傍から見ればさぞかし惨めな姿なんだろう。


 何をするのが正解か分からないまま、僕はとりあえず川の方へ向かった。

 

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