二話 煩悶
本を読み始めて2時間ほどが経ち、窓の外はすっかり薄暗くなっていた。
途中6時頃におじいさんが帰ったが、さっきの女の子はまだ本棚の前で本を漁っていた。
何冊も本を見比べている辺り、きっと何かについて調べているのだろう。
時刻は午後7時だ。
図書館の閉館時間は午後8時。
その為、居ようと思えばあと1時間はここに留まることが出来る。
しかし、学生である以上は午後7時には家に帰ると決めているので帰り支度をしなければならない。
本に栞を挟み、隅の本棚に戻し、通学カバンを背負う。
帰る時も僕はあの子の存在が気になった。
普通はこんな年端も行かぬ女の子には門限があるだろう。
しかし、彼女は時間を気にする素振りを見せることもなければ、時計すら見ていないように思えた。
彼女はただ黙々と本を読んでいるだけなのに、その姿からはどこか異端なオーラが感じられる。
もう少し観察していたかったが、僕は空腹に従いとっとと家に帰ることに決めた。
僕はまた司書さんに軽く頭を下げ、ゆっくりと図書館のドアを開け外に出る。
外はもう完全に暗くなっていたので、僕は少し急いで自転車に乗った。
しばらく走り、自宅に到着した。
玄関を開けると晩御飯のいい匂いが漂ってきた。
「おかえり」
台所から母さんの声がした。
僕は少しの間を置き「ただいま」と言う。
母さんはにこやかな笑顔を返してくれた。
「すぐにご飯だから早く荷物置いてきてね」
僕は素っ気なく「うん」と答え、自室に向かう為二階への階段を上った。
父さんはまだ仕事らしいので僕と母さんと妹の三人で晩御飯を食べる。
食事中、中学二年の妹は頻りに母さんと会話していたが、それを横目に僕は黙ってご飯を食べるだけでそれに参加しようとはしない。
別に家族と仲が悪い訳では無い。
ただ僕はこういう家族との会話が苦手なだけだ。
そんな僕を気遣ってか時々話を振られるが、何を話せばいいのか分からない。
18年共に生きてきた家族とすらまともに会話出来ないなんて情けない話だ。
食事が終わると風呂に入り、いつも9時半には寝る。
こんなに早く寝るのは家でやることが何一つ無いからだ。
家では本は読まないし、大した趣味も持ってない僕には時間の流れが遅過ぎて苦痛に感じる。
高校受験で絶望し、一度生きる希望を無くした僕だが、一応再度希望を見つける為の努力はした。
自分にはもしかしたら凄い才能があるんじゃないかと絵を描いたり歌を練習したりした。
しかし、現実はそう甘くはなく、いくらやっても何の才能も見いだせない自分に耐えられず、どれもこれも数週間でやめてしまった。
それからというもの、家にいる時暇なので、だいたいの時間を寝て過ごすようになった。
人生を少しでも良くすべく、他に出来る事はたくさんあるだろうに僕はそれをしなかった。
きっと未だに僕は、そんなことしなくても幸せになれるという考えに甘えているのだろう。
歯磨きを終えた僕は、二階の自室のベランダで少し涼むことにした。
外を眺めながら今日の図書館での出来事を思い出す。
「不思議な子だったなあ」
僕はそっと呟いた。
もしもあの子が普通の女子高生のような素振りを見せていたら、今頃彼女の顔どころか存在すらも忘れていたことだろう。
しかし彼女は一切そのような素振りを見せることはなかった。
その姿が僕の脳裏に強烈に焼き付けられているのだろう、頭の中で彼女の顔が鮮明に映し出される。
見た目は女子高生と言っても差し支えないのだが、その雰囲気、目付きからは活き活きした生力は感じられなかった。
一見何も気にしなければ彼女も他の人と何ら変わらないのだが、あの子は他の人とはどういうわけか違う、僕はそんな気がする。
結局、その日は色々考えたが、ただの気のせいということで決着した。
久しぶりに頭を使ったせいか、その日はよく眠れた。
翌朝。
久々に深く眠れたおかげで、とても気持ちよく目覚めることが出来た。
いつもなら重い体も、今日は寝起きからスキップが出来るほど体が軽い。
今日も母さんが作った朝ごはんを食べ、歯磨きをし、図書館へ行くための支度をすふ。
今日は土曜日なので朝から図書館へ行くことが出来る。
何と素晴らしいことか。
図書館へ行く支度が出来て、二階から下りていくと母さんに声をかけられた。
「今日も図書館に行くの?」
「うん」
僕はぶっきらぼうに靴を履き始める。
「そう、気を付けてね」
母さんは淋しそうに小さく手を振った。
重苦しい空気から逃げるように外へ出た。
母さんはこんな僕のことをどう思ってるんだろう。
母さんにとって僕が悩みの種であることは明白だった。
そりゃそうだろう。
友達と遊ぶわけでもなく、かといって何かに熱中するわけでもない。
昔はよく話したが、最近は何をしてるのか話してくれない。
分かっているのは毎日一人で図書館に行っているということだけの息子に頭を抱えない親は居ないだろう。
自分でも最低な息子だということは分かっている。
でもどうすれば幸せな関係を築けるのかが、僕にはどうしても分からない。
だめだ、これ以上考え込むと自己嫌悪に苛まれ、せっかくの土曜日を無駄にしてしまう。
僕は気持ちを切り替える為、脳内でお気に入りの曲を流した。
逃げてばかりじゃ何の解決にもならないことは重々承知だが、今の僕にはこれ以上の選択肢が思い浮かばないのだ。
家を出て10分ほどが経ち、図書館に到着した。
施設の自動ドアを抜けると、初夏の蒸し暑さが吹き飛ぶくらいの冷房が僕を迎えた。
そして、少し薄暗い廊下を抜け、図書館のドアを開ける。
館内もさっきと同じくらい冷房が効いていた。
今日はいつものおじいさん以外に数名の大学生が居た。
土日は人が居る時も多く、特に暇を持て余した大学生なとが、下段の机で勉強していることが多い。
大学生などが複数人いると少しだけ騒がしいが、これはこれで平日の静寂と同じくらい居心地良い。
少しでも孤独が紛れるような気がするからだろう。
僕は仲良さそうに会話する大学生の横を通り、昨日読んでいた本を取る為に上段に上がる。
しかし、その時ふと昨日のあの子のことが頭に浮かんだ。
そう言えば、昨日のあの子は何を読んでいたんだろう。
僕はその好奇心に従い、自分の本を取るのをやめ、昨日彼女が居た本棚のほうに足を向けた。
その本棚に収納されていた本の種類は歴史書だった。
僕は基本、文芸書しか読まないので、この本棚にはあまり馴染みがなかった。
昨日彼女が本を漁っていたであろう箇所をしばらく見つめる。
そこには今僕が住んでいるこの町の文化・歴史をまとめた本や近世の世界情勢の本などがあった。
そうして見つめていると、一冊だけ栞が挟んである本を見つけた。
本を棚から取り出し、タイトルに目を通す。
そこには『人類の歴史と戦争』と書かれていた。
なんでこんなもの読んでるんだろう。
少し不思議に思いながらも本をペラペラとめくっていると、うっかり挟んであった栞を落としてしまった。
僕はそれを拾い、触って素材を確認する。
栞は赤い画用紙に紐が付けられただけで、とても簡素な作りになっていた。
次にその本の目次に目を通してみる。
どうやらこの本では歴史上で起こった戦争を一つ一つ紹介しているみたいで、とても若い女の子が好き好んで読むような内容とは思えなかった。
いや、もしかしたら世の中には居るのかもしれないが。
だとしてもあの子がこれを読むのはそれ相応の惹かれる理由があるはずだ。
僕はそれを確かめてみたくなり、その本と栞を持って上段のテーブルに戻った。
元々戦争などに少し興味があるというのもあるが。
その本は意外にも面白かった。
戦争の歴史を何かの思想に縛られることなく、客観視して綴っているところが気に入った。
それからは、自分が本来読むはずだった本のことも忘れ、夢中でその本を読んでいた。
すると突然、その声はした。
「あ、あの……」
とっさに僕は声がした方に顔を向ける。
そこには昨日のあの女の子が立っていた。
僕は思考が半分停止していたが、彼女は続けた。
「それ……私が読んでた本と栞です」
僕は状況に理解が及ばず、ただ「え……うん」と返事をすることしか出来なかった。




