一話 沈黙
未来という言葉は残酷だ。
未来を信じ、運命を託してしまうと理想と現実の差異により、やがて現実を直視出来なくなる。
そもそも、未来なんていう概念など最初から無く、ただ現在が永遠に続くのみなのだ。
大抵の人はそれに早くから気付く。
しかし、未来ばかり想い現在を疎かにしてしまった人は、ただ時に流されるままに生き、気付けば自分が想い描いたものとはかけ離れた存在になってしまう。
そうして、人生を失敗する。
かくいう僕もその一員だ。
僕は子供の頃、自分は特別だと思って疑わなかった。
大人になったら自分は本の中の主人公のように特別な体験をし、素敵な恋愛をするものだと思っていた。
それはきっと本ばかり読み、自分の世界に籠り、現実から目を背けていたからだろう。
自分は特別だ。
将来周りの奴らがもっと関わりを持っておけばよかったと、後悔させられるような立派な大人になるとずっと信じて疑わなかった。
では、その自己概念以外に生きる目的がない人間から、それを取り払うとどうなるのか。
当然、生きる希望を無くし、絶望するだろう。
僕はそれを身をもって体験しているのでよく分かる。
僕の場合その自己概念が幻想だと気付いた時、人生に希望を抱かなくなった。
いや、正確には抱けなくなった。
勉強もせず周りと関わろうともせず、ただ一つの生きる目的を持って生きてきた人間からそれを奪えば当然こうなるだろう。
ではなぜ僕はその自己概念を失うことになったのか。
それは高校受験に原因がある。
中学三年生の時、僕は勉強などほとんどしていなかった。
何故なら、自分は将来立派な大人になるので地頭は良く、勉強せずともそれなりの学校には受かると本気で思っていたからだ。
しかし、担任の先生との進路相談で言われたのは「お前はあの男子校以外行く所が無い」だった。
あの男子校とはこの町でもかなり評判が悪く、偏差値も最底辺クラスの学校で、かつそこに通う生徒は僕が最も見下していた存在でもあった。
その瞬間から僕を取り囲んでいた自己概念は雨に晒された砂の城のようにみるみる崩壊していった。
結局、死ぬ気で勉強して違う学校へ行こうという気も起こらず、進路先はその男子校で決定となった。
こうして僕は人生に希望を抱けなくなった。
そして、何に対してもやる気が起きなくなり、気付けば絵に描いたような無気力人間になっていた。
今や、唯一持っている生きる希望は「生きていればいつかいい事はある」という一縷の希望だけだ。
しかし、それすら幻想に過ぎないと分かった時、僕はこのどうしようもない人生に終止符を打つだろう。
人生に希望を抱けなくなってから数年が経った。
僕はその間、毎日を無気力にダラダラと過ごし、気付けば高校3年生になっていた。
今は6月中旬、金曜日。
梅雨に入り雨が多く蒸し暑い、精神的にもどんよりする時期だ。
「さようなら」
先生が終礼の挨拶を終えると、クラスの大半は慌ただしく部活動をしに教室を出て行った。
しかし、僕はいわゆる帰宅生なので悠々と教室を後にし、駐輪場へ向かう。
だが、このまま真っ直ぐ家に帰るわけじゃない。
僕は日課として毎日図書館へ足を運ぶことにしているため、今日も市立図書館に向かうのだ。
帰宅途中、20分ぐらい自転車を走らせたところで大きな坂が見えた。
この坂を登って少し行けば自宅に着くのだが、僕はそれを登らずに右に曲がり、すぐ先に見える大きな建物を目指した。
その建物はいささか古ぼけているが、僕は逆にそれがいい味を出しているように思えて好きだ。
それから、自転車を駐輪場に停め、鍵をかけ、建物の中に入る。
ここは図書館や様々な施設を内蔵している市の大型複合施設だ。
僕はたまの図書館の休館日以外毎日ここに来ている。
他にもこの図書館をよく利用している人は十数名程度居るのだが、そのほとんどが老人で若年者は僕だけだ。
前はカップルが一緒に勉強しているのをたまに見かけたが、最近は携帯の普及と共にめっきり減ってしまったみたいだ。
今は携帯さえあればなんでも出来る時代、わざわざ図書館に勉強を理由に会いに来なくても、彼らは家で心置き無く会話を楽しめるのだろう。
むしろ今はそういった輩が居なくなって清々しているが。
僕は昔から遊ぶような友達なんていなかった。
なので外に遊びに行くなんてことは一切したことはなかった。
だが、ずっと家に居ると親に無駄な心配をかけてしまう。
僕は母さんが向けてくる心配そうな視線がとにかく痛かった。
そんな僕が小学生の頃、居場所を求めてやって来たのがこの図書館だった。
そして気が付くと、いつの間にか図書館に来ることが日々の習慣になっていたのだった。
施設の自動ドアを抜け、少し薄暗い廊下の先に図書館はある。
僕は図書館のドアを開け、入館する。
中は少し薄暗いけど、窓からは斜陽が差し込んでいて、とても気持ち良さそうな空間が広がっていた。
これなら今日も良い読書生活を送れそうだ。
僕は館内をくまなく見渡してみる。
今この図書館に居るのは、いつも居る司書さんと奥の椅子で暇そうに本を読んでいるおじいさんだけだった。
何年も顔を合わせているので分かったのだが、どうやらあのおじいさんは僕と同じく毎日図書館に足を運んでいる暇人のようだ。
名前を疋谷というらしい。
他の常連も勿論この図書館を頻繁に利用するが、来て三日から一週間に一回程度だ。
毎日のようにこの図書館を利用しているのは、僕とあのおじいさん以外にはいない。
それもそうだ、普通の人は僕たちみたく暇を持て余してるわけじゃないのだから。
図書館は司書さんなどがいる下段と三つ段を登った上にある上段に別れている。
面積の比率は下段と上段で2:1ってとこだ。
この図書館自体あまり広くはないのだが、本をたくさん収納するために様々な工夫が施されているので、本のバリエーションは悪くないと思う。
僕はいつものように司書さんに軽く頭を下げ、上段に登る。
そして、昨日読んでいた本を棚から取り出し上段の隅の方にあるテーブルへ向かった。
このテーブルには元々椅子が四つ付いていたのだけれど、さっきのおじいさんが一つ持っていき、もうひとつは高い所にある本を取るための椅子として使われている。
そのため今は二つしか残っていない。
僕はその残り二つある椅子の一つを引き、昨日の続きから本を読み始める。
僕は図書館に来ているが、本は借りて行かない。
理由は特にないが、ここで本を読むことがある種、僕の唯一のアイデンティティとして確立されているからかもしれない。
それに家で本を読むことはあまり好きな訳ではない。
僕が毎日わざわざ図書館に足を運び、本を読むのはそういうことだ。
時刻は午後4時30分。
図書館内は本のページをめくる音と座り直した時のギシギシと椅子から出る音のみが響いていた。
しばらく本を読んでいると、図書館のドアを開けた時のチリンチリンという鈴の音が鳴った。
最初は司書さんが休憩を取りに外に出たと思ったが、足音がこちらに近づいてくるのでどうやら図書館利用者のようだ。
僕は反射的にそいつを一瞥する。
ドアを開けたのは、大人しやかな雰囲気の女の子だった。
歳は16歳ぐらいだろうか。
僕の記憶には無い顔だったので、おそらく初めてこの図書館に来たのだろう。
ここは田舎の廃れた図書館なので初見の人は珍しい。
僕は男子校通いなので若い女の子を見るのは久しかった。
その為か、つい彼女から目を離せないでいた。
しばらくの間、まるで幻を見るかのように見つめてしまっていた。
彼女は上段に登ったところでこちらの視線に気付いた。
そして、一瞬だけ目が合った。
しかし、彼女は見て見ぬふりをする時みたいにすぐ目を逸らしてしまった。
その後、彼女は両面収納式の本棚で本を探し始めた。
警戒されたのか僕視点からは裏側、つまり僕が直接あの子の姿を拝むことが出来ない側で彼女は本を探すのだった。
見ず知らずの男にまじまじと見つめられたらそりゃ警戒するよな。
僕は自分の行いを反省しつつも、それ以上考えるのはやめて本の続きを読むことにした。




