十七話 此岸
4月下旬、水曜日。
桜が刹那の輝きを終え、儚く散っていく頃。
すずが未来へ帰ってから二年が経過した。
あれから僕は彼女との約束を果たす為、二年後の残酷な出来事をこの町の人に伝えようと様々な活動をしてきた。
例えば町中で大声を張り上げてかの国との危機的状況を叫んでみたり、役所に電話してその旨を伝えたりした。
しかし、どれもこれも狂人扱いされるだけで相手をしてくれる者は居なかった。
そこで僕は直接的に伝えるのはやめて、ある種の噂話として頭に染み込ませる形で世間に広めることにした。
噂話と言えばインターネットだ。
僕はあらゆる所で二年後この町に核ミサイルが着弾することを予言した。
もちろん、歴史に名を残す為に実名などの個人情報も晒した。
すると意外なことにもこの噂は瞬く間に都市伝説としてインターネット上で広まり、一時期はインターネット上で一大ブームが巻き起こしたこともあった。
しかし、内容が具体的過ぎた為か、信じる人はだんだんと減っていき、今では人々の頭の片隅にギリギリ残っているか程度の存在になってしまった。
だが、これこそ僕が望んでいた状況だ。
僕の目的は人々に噂話を信じさせるのではなく、人々にこの噂話を記憶させることだ。
だから、例え信じてくれなくても頭の片隅に残してもらえれば十分なのだ。
それでいざかの国が宣戦布告をしてきた時に思い出してもらえれば自然と大規模な避難運動が起きることだろう。
すずは人々は政府などが猛烈にかの国を非難したことで安心してしまい、大勢が逃げ遅れてしまったことが大規模な被害をもたらした原因だと語っていた。
だが、ある程度の危機感を植え付けた今なら、その問題も解消出来ることだろう。
実際、僕の読みは的中した。
昨日、かの国が宣戦布告と共に首都圏やこの町周辺を含めた4ヶ所に核ミサイルを発射すると発表した。
するとこの町の住人はすぐさま避難活動を始めた。
最初は小規模だったが、だんだんとその波は大きくなり、政府が一旦危機は去ったから大丈夫と言っているのにも関わらず、この町や周辺地域から遠ざかる人は跡を絶たなかった。
そして、僕の家族も今夜一時的に地方の親戚の家に避難するらしく、慌ただしく荷物の整理をしている。
僕はというと、今は自室のクローゼットにて身を潜めている。
何故なら僕は避難する気などさらさらないのだから。
家族には先に避難しておくとメールを打っておいた。
僕が逃げない理由は簡単なことだ。
過去の語り継がれる英雄たちは大体偉大な功績を成し遂げた後、桜のように儚く散っていく。
だから、僕もそれに同調しようと思ったのだ。
自分は歴史に名を残す偉人であると錯覚したいから。
それに僕は元々死にたくはないけど、生きたくもないような人間だ。
だが、世間はどういう訳か死んだ者と生きている者にのみ優しくし、僕みたいな人間やただ存在しているだけの者には居場所すら与えてくれない。
それなら、こんな下らない世の中にこれからものうのうと生きていくよりも、いっそのこと自ら去ってしまった方がマシだと思ったのだ。
でも、それを選択するにあたって、ただ一つ心残りがある。
それはその選択をしてしまうと、すずの願いに背くことになるという事実だ。
だが、こればっかりはどうしようもなかった。
すずも居ない世界でこれから何十年も生きていける自信などない。
許しくれよ、すず。
僕はただただそう願った。
それからどれぐらい経過しただろうか。
一階からはすっかり物音はしなくなっていた。
クローゼットの扉の隙間からは麗らかな光が差し込んでいて、外からは心地良い小鳥のさえずりが聞こえてきた。
体中がギシギシして痛い。
僕はどうやらあのまま寝てしまっていたようだ。
クローゼットを出て、カーテンを開けると暖かく心地良い日差しが僕を照らした。
春に包まれたような気分になった。
今日の空は青々としており、雲を一つ見つけるのにも苦労するくらい澄んでいた。
ふと、時計の方に目をやる。
時刻は午前11時だった。
着弾時刻は午後1時頃と記憶している。
この空も後数時間したら焦げてしまうのだと思うと、どこかうら悲しく感じられた。
一階へ降りてみると、やはり誰も居なかった。
僕は顔を洗い、歯を磨き、軽い食事を摂る。
テレビでは遂に首都圏やこの町周辺に対し、避難指示が出されたと報じていた。
さすがにこれだけの国民が動けば政府も重い腰を上げざるを得なかったのだろう。
その後、僕は出掛ける支度を始めた。
行き先はもちろんいつもの図書館だ。
最期くらいあの場所で過ごそう、そう思ったから。
身支度を終えると、今まで共に生きてきたこの家にお別れを言い、外に出た。
住む人を失った家はどこかみすぼらしく、物悲しがった。
僕は駐車場の脇に停めてある高校入学と共に買ってもらった自転車、通称からきおす第六四号にまたがる。
そして、飽きるほど通った図書館目指して自転車を走らせた。
十分ほどして図書館へ着いた。
道中、町の様子を見てきたが車はおろか、人っ子一人居らずまるでゴーストタウンのようだった。
いや、もしかしたらこれが俗に言うゴーストタウンなのかもしれない。
まあ、そんなことどうでもいいが。
僕は駐輪場で自転車を停め、施設の中に入る。
冷房は効いてはいなかった。
薄暗い廊下を歩き、図書館の扉を開けるとチリンチリンと聞き慣れた鈴の音が鳴った。
しかし、もうこの音を聞くのも最後だと思うと、途端に切ない音色のように感じられた。
そう言えば前は館内を見渡してすずが居るのかどうかを確かめることが癖だったな。
僕は微かな希望を胸に久しぶりに館内を見渡してみる。
しかし、やはりすずが居るだなんてことはなかった。
だが、意外な人物なら居た。
それは僕と同じで昔から毎日この図書館に通っていた疋谷さんだった。
疋谷さんは僕と目が合うと何かを察したのかにこやかな笑顔を送ってくれた。
僕も無言で会釈を返しておく。
疋谷さんとはもう十年は顔を合わせてるが、今まで一度もまともな会話をしたことがなかった。
そればかりか、目が合っても会釈すらしたことはない。
それがまさか今日、初めてすることになるとは感慨深い。
彼もまた僕と同じような類の人間なのだろう。
それがさっきの言葉のない会話で何となく悟ることが出来た。
疋谷さんとの会話はそれだけで、後はいつものテーブルで本を読み、その時が来るのを待つことにした。
読んでいる本は僕が今まで読んできた中で一番気に入った本で、主題は希望と絶望だ。
この本が僕の人生に与えた影響は計り知れない。
そんな僕の人生の原点とも言える本を懐かしさに浸りながら読んでいると、ふとすずがこの図書館に来て一番最初に読んでいた本の存在が頭に浮かんだ。
確か題名が『人類の歴史と戦争』だった気がする。
皮肉にも今の人類にぴったりの題名だ。
あの本は思い出深く、何しろすずと出会うきっかけを与えてくれたようなもんだ。
最期はそんな思い出深い本と共に過ごすのも悪くないかもしれない。
僕はそう思い、立ち上がり、歴史書などが仕舞われている本棚を漁った。
しかし、あれからもう三年ほど経つので正確な本の位置は分からず探すのにとても手間取った。
しばらく探し続け、ようやく見つけることが出来た。
本は少しボロついたくらいで、他に目立った傷や汚れは見当たらなく安心した。
本を手に持ち、まじまじと見つめる。
懐かしかった。
確か僕はこの中にすずが栞を挟んでいるなど知らずに勝手にテーブルで読み始めてしまったんだったな。
まあそもそも、すずに本に栞を挟んだままにさせたのは僕が原因なのだけれど。
次に本の題名を擦り、懐かしさを十分に堪能したところで徐に本を開けてみた。
すると不思議なことに本の中から何かが落ちてきた。
僕は床に落ちたそれをそっと拾い上げる。
これは……栞か?
赤い画用紙に紐を結び付けた栞で、如何にも手作り感が否めなかった。
しかし、僕はそれにどことなく既視感があった。
もしかして、と僕は思い、急いで今使ってる二年前にすずから貰った栞を取りに行き、見比べてみる。
すると、不思議なことにそれらは瓜二つだった。
画用紙の大きさから紐の結び方まで全て。
まさかね。
僕はそう思いつつも、急いで本と栞をカバンに直し、風を切るように図書館を出た。




