十六話 真実
3月31日、日曜日。
桜が芽吹き、町が美しい桜色に包まれる頃。
僕は今、すずの家の玄関の前で突っ立っている。
何度もこのドアノブに触れているはずなのに、今日は何故だかそれを回すことが出来ない。
仕方なく代わりにインターホンを押した。
部屋にチャイムがこまだするのが分かった。
数秒経ってすずがドアを開けた。
「どうぞ、入ってください」
何だか気まずいな、と僕は思った。
部屋に入ると見違えるほど物がなくなっていた。
「部屋、片付けたんだね」
「まあ、今日でこの部屋を出なきゃいけませんから」
「出来ればそれを手伝ってくれる人が来てくれたら良かったんですけどね」
すずは皮肉るように言った。
苦笑いするしかなかった。
その後、僕は居間に今も残っていたちゃぶ台に座り、すずがお茶を淹れてくれるのを待った。
居間にはちゃぶ台以外これと言って物は置いていなかった。
しばらくして、すずがお盆に湯呑みを乗せて持ってきた。
僕はそれをいつぞやの時と同じく、ちびちびと啜る。
胸の辺りがポカポカしてきた。
そして、すずが一息ついたのを確認して僕は口を開けた。
「それで、もう気持ちの整理は済んだの?」
「はい、一晩考えたおかげですっかり」
「それじゃあ、昨日のことの説明を僕にすることは可能?」
「はい、でも誠太さんたちから見れば未来のことなので、罰せられやしませんがあまり話すのは好ましくありません」
「ですが、この際変に隠して誠太さんの不安を募らせる方が罪ですからね」
「但し、覚悟しておいて下さい」
すずの目の色が変わった。
僕は無言でうなずき、固唾を呑んで次の言葉を待った。
そして、すずは大きく深呼吸をした後、ゆっくりと語り始めた。
「まず、近年世界情勢が悪化してきてるのはご存知ですよね?」
「ああ、特にかの国とこの国は仲が悪いね」
「はい、そして世界はだんだんと二つの陣営に別れて対立を始めます」
「今もその傾向が見られますよね?」
「確かに前の世界同時不況以降、世界は二つに分断されたような気がする」
「不景気を脱却するには戦争して勝つことが一番の近道だとこの時代の人は考えたんでしょうね」
「そして、今から二年後の4月下旬には遂に決裂の止む無きに至ります」
「その火蓋を切ったのはかの国で、かの国は宣戦布告と同時に核ミサイルを発射すると予告します」
「当然、この国の政府とその他の同盟国は猛烈に非難します」
「それで一旦は行動を慎んだかと思いきや、突如として暴走し、この国に対して四発の核ミサイルが発射されます」
そこまで話すとすずは深いため息をつき、考え込むようにまぶたを閉じた。
おそらく、これから話す内容はそれだけショッキングということなのだろう。
しばらくして、すずは決心がついたのかゆっくりと目を見開き、話を再開した。
「発射された四つの核ミサイルはこの国の三つの首都圏にそれぞれ、そして新興都市が連なるこの町一帯にも」
「もちろん、軍は即座に迎撃ミサイルを発射し防衛を図ったので、三つは破壊することが出来ました」
「しかし、残る一つはそれが叶いませんでした」
「残る一つはこの町に着弾してしまいます」
「それは地球に極小の太陽を作るようなものでしょう」
「家々は吹き飛び、草木は一瞬にして枯れ、人々は消滅し、空気さえも灼き尽くされます」
「こうして、この町の歴史は終わりを迎えます」
「私たち情報収集員がわざわざこの時代まで遡ってきた理由はそういうことです」
すずはそこまで喋ると、ふぅと心を落ち着かせるように息をついた。
そして、僕の目を見て、「さて、ここまで聞いて誠太さんはどうするおつもりですか?」と言った。
「先に言っておきますが、未来を変えることは簡単なことではありません」
「一人の運命ならともかく、何十万人となるともはや不可能に近いです」
「私は誠太さんには生き抜いて、幸せな人生を歩んでほしいと思っています」
「どのような行動を取るかは誠太さんの自由ですが、最後にこれからどうするかだけ聞いておきたいんです」
すずは真剣な表情で僕を見つめた。
僕はまたいつぞやの時と同じく逡巡していた。
すずの僕に生き抜いてほしいという思いは間違いなく本物だ。
だが、それと同時に犠牲になる運命の人たちを救ってほしいという思いもあるのだろう。
それがなかったらわざわざ未来を変えることについても、何十万人の運命を変えることについても言及しないだろう。
もし、僕が一人で生き抜く選択をした時に罪悪感を感じてしまうかもしれないから。
僕は悩んだ。
すずの個人的な願いに応えるべきか、彼女の道徳的な願いに応えるべきか。
ひたすら悩み、思案した。
そして、とある答えに辿り着いた。
それはいつぞやと同じくすずに質問して、それの返答次第で行動を決めるという手法だ。
実は僕には予てより疑問に思っていたことが一つあった。
僕はそれをすずに問うてみる。
「僕がどうするかは後で言うんだけどさ、その前に一つ質問してもいいかな?」
すずは少し不思議そうに「どうぞ」と言った。
「僕が最初情報収集の手伝いをしたいとお願いした時にすずが言ってた、すずと居ると不幸になるってどういうこと?」
「あれは……」
すずはしばらくはにかんだ表情を浮かべた。
そして、苦い思い出を語る時みたいに切なそうに話し始めた。
「あれは実は誠太さんに向けてではなく、自分への皮肉的な戒めのつもりで言ったんです」
「戒め?」
「はい、さっきも言った通りこの町の大半の人は私が帰った後死んでしまいます」
「でも、かと言ってこの町の人々を救うことは容易ではありません」
「それに変な行動を起こして未来の政府に目をつけられるかもしれませんし」
「私はそれを十分理解した上でこの時代の人を見殺しにする覚悟を決めてやって来ました」
「そんな私がこの時代の人と仲良くなろうだなんておこがましいにも程がありますからね」
「だから、私はああ言って自分を戒めたんです」
「私なんかがこの時代の人と仲良くなってはいけないって」
「誰かと親しくなればなるほど、罪悪感というナイフが私の心を深くえぐることになるんです」
「そんなことはない! ……と思うよ」
僕はいつの間にかそう言葉を発していた。
すずはまだ何か喋ろうとしていたみたいだが、どうしても反論したい気持ちを抑えられなかった。
「僕がそれを証明してみせるよ」
「……というと?」
すずはポカンとした表情で僕を見つめる。
「僕がこの町の犠牲者を救ってみせる!」
「ミサイルが着弾する前にみんなを避難させる!」
「これならすずが気に病む必要なんてないでしょ? だってすずはこの町の人々を見殺しになんてしてないことになるんだから」
「絶対みんなを救ってデータとか書籍に残るような偉人になってみせる!」
「だから、未来に帰ったら楽しみにしててね」
「必ず歴史に名を残してみせるから!」
僕としては映画のワンシーンに採用されてもいいぐらい格好良く決まったと思ったが、傍から見ればそこまでだったようだ。
すずはクスッと笑い始めた。
ダムが決壊したかの如く、今まで溜め込んでいたものを吐き出すようにしばらくの間笑い続けた。
そして、笑いが治まると、「約束ですよ」と瞳に浮かんだ涙を拭いながら言った。
「ああ、約束だ」
顔が燃えそうなくらい恥ずかしかったが、すずを笑顔にさせられたと考えれば取るに足らないことだった。
その後、僕たちは日課だった二人での読書を最後にもう一度行うことにした。
この何とも言い難いがどこか幸せな気持ちで心が湛える感覚は胸が締め付けられるような懐かしさがあった。
そして、もうこの感覚を味わえないことへの淋しさも同時に押し寄せてきた。
それからしばらく本を読んでいると、すずが思い出したようにこう訊いてきた。
「そうだ、誠太さん最後に私に何かしてほしいことってありますか?」
「今までのお礼を込めて何か一つやらせてください」
「何でもいいですよ」
「それじゃあ膝枕してほしい」
僕は間髪入れずに答えた。
元々そういうのに憧憬していて、もし彼女が出来たら是非やってもらおうと前々から考えていたからだ。
「膝枕ですか? ほんとにそんなのでいいんですか?」
「うん」
「分かりました」
すずはそう言って今のちゃぶ台をすこしずらした。
そして、正座をし華奢な膝を小さな手でポンポンと叩く。
「どうぞ」とすずはにこやかな笑顔を浮かべて言った。
僕は恐る恐るその華奢な膝に頭を乗せてみる。
何て心地良いのだろうと感動した。
すずの膝は適度に柔らかく、温かく、まるで天国で雲を枕にして寝ているような気分だ。
一生ここで眠っておきたいとすら思った。
「加減はいかがですか?」
すずは僕の頭を優しく撫でながらそう言った。
「最高だよ。もうずっとここで眠っておくことにするよ」
「そんな怠け者さんには魔法をかけちゃいますよ?」
「魔法?」
「えいっ」
すずが僕の頬をちょんっと突っ突くのが分かった。
「これで誠太さんは魔法にかかっちゃいましたね」
すずはいたずらっぽく笑った。
「どんな魔法?」
「私が帰った後も私のことが忘れられずに他の女性とは恋愛が出来なくなる魔法です」
「それは困ったなあ」
僕はわざと真剣な表情を作り、すずに仕返しをした。
すると、すずは「もう絶対解いてあげませんからあ」と何度も僕の頬を押したり引っ張ったりしてきた。
何だか子供みたいだなと僕は笑った。
その後、僕たちは最後にお互いお別れを言い、すずのアパートを出た。
そして、すずは駅から電車に乗って情報収集員たちの集合場所まで行くらしいので、僕は駅まで見送ることにした。
クリスマスデートを思い出しながら二人で駅までの道のりを歩いた。
人目を憚ることなく終始手を繋いだままで。
駅に着くとすずは一つの紙袋を僕に手渡した。
中にはお弁当とタッパーに入ったおにぎり、そして二人を結ぶきっかけとなってくれた赤い画用紙で作られたすずの栞が入っていた。
「ちゃんとご飯食べてくださいね」
すずは僕の手を両手で握り、そう言った。
そして、二人で抱き合った後、彼女はゆっくりと駅のホームへと消えていった。
その後、家ですずのお弁当を食べた。
彼女の料理はもう浮世離れした味などしなくなっている。
しかし、どうやら今回の味付けは少し失敗したみたいだ。
だって、いつもより少し塩気が強いのだから。




