十三話 聖夜
12月24日、火曜日。
雨も雪に変わる頃。
今夜はこの町にも初雪が降ると予報されている。
今日は世の男子にとって特別な日だ。
ある者はこの日を特別な思い出とする為、恋人と共に過ごしたり、はたまた孤独に耐えかねて嘆いたり妬んだり、詭弁を弄したりする者も居るだろう。
僕は毎年後者だった。
男子校通いの僕には一切関係のない行事だと気にしてない振りをしていた。
だが、今年は違う。
今年はすずという恋人が居る。
僕はようやく勝ち組の仲間入りを果たしたのだ。
そして、そのすずと12月24日にデートする約束まで取り付けた。
思えば僕たちは付き合ってから一度もきちんとしたデートをしたことがなく、彼女も喜んで了承してくれた。
しかし、今まで負け組だった自分がいきなり勝ち組になったからといって、世の恋人たちがこぞって集うようなデートスポットに行くのは気が引けた。
そんなことすると、今まで詭弁を弄していた過去の自分に申し訳が立たないと思ったからだ。
そんな過去の自分たちも救い、かつロマンチックな雰囲気に包まれた町でデートする為には、デートスポットと呼ぶには相応しくないような場所をあえてデート場所として選ぶ必要があった。
そこで僕は駅近くの並木通りを選んだ。
そこは毎年道路沿いの並木にイルミネーションが施される。
だが、他の場所みたいにけばけばしく彩るのではなく、仕事帰りの人などを労うような優しく慎ましやかな光で発光し、他の場所と比べればどこかみすぼらしく感じる。
そんな場所だからなのか、毎年そこらでカップルを見かけることはどちらかと言うと珍しい。
そんなとこならば過去の自分たちを否定することなく、デートを満喫出来るだろう。
そういう理由で僕はそこをデート場所としてすずに提案した。
すずはもっとショッピングセンターなどの情報収集に向きそうなオーソドックスな場所にしてほしいと言うと思ったが、意外にも彼女は二つ返事でそれを了承した。
すずいわく、人混みの多い場所は苦手で、かつ仕事とプライベートは分ける派なのだとか。
こうして場所と日時が決まった。
そんな訳で今夜はすずとデートするのだが、今朝はいつも通り図書館に行くのではなく、小さな電気店に向かった。
すずには予め今日は図書館に行けないと伝えてある。
そして、僕はそこで小さめのラジオを買った。
今日、彼女にこれをクリスマスプレゼントとして渡そうと思ったからだ。
テレビや新聞だけじゃ集められない情報をこれで集められれば、それなりに情報収集は捗るだろうし、何よりすずの喜ぶ顔が見たかったというのもある。
店を出た時、時計は午前10時を示していた。
デートの待ち合わせの時間は午後7時だ。
今から図書館へ暇つぶしに行っても良いが、すずも今日はデートやらの準備で行けそうにないと言っていた。
今の僕はすずが居ない図書館に行くことなど、何の意義も感じなくなっている。
従って待ち合わせの時間になるまでは久しぶりに自室でのんびりと過ごすことにし、僕は家へと自転車を走らせた。
玄関を開けると母さんと妹が談笑する声が聞こえた。
母さんと妹は昔から仲が良く、家では珍しくない光景だ。
でも、僕は彼女らが仲良さよそうに駄弁る光景を見るとトラウマを思い出した時みたいに辛くなる。
なぜなら寒気がするほどの疎外感に苛まれるからだ。
僕は彼女らの間に割って入ることが出来ず、取り残された感じがしていつも気まずくなる。
学校でグループ作ってと先生に言われ、自分だけ余った時と似てるかもしれない。
決して仲が悪い訳ではないのだが、年齢層の違う店に来てしまった時みたいにどことなく気まずい。
おまけに僕の部屋がある二階への階段は彼女らが談笑する居間を通っていかなければならない。
その時の彼女らの視線がとにかく痛いのだ。
だが、まだそれぞれと1対1で話すことなら可能だ。
でも、今みたいに複数人居る中で会話するとどうしても自分だけ孤立してしまう。
まるで見えない壁で隔てられているみたいに。
僕は深いため息をつき、居間の扉を開けた。
その瞬間、彼女らは時が止まったかのようにピタリと談笑をやめた。
しばらくして時が動き出し、母さんは僕に苦笑いでこう言った。
「あら、今日は早いのね」
「うん」
僕は素っ気なく返事をする。
妹は排他的な目で見つめてきた。
「でも、夜は出掛けるからご飯は要らない」
「うん、分かった」
それだけ伝えて階段を上り始める僕に、母さんはそれ以上何も訊いてこなかった。
しばらくすると、また彼女らの談笑する声が聞こえてきた。
まるで僕が居間に居た時間だけ本当に時が止まっていたかのように感じられた。
そういう意味では僕は時間操作を行えるのかもしれない。
僕はそんなくだらないジョークを鼻で笑い、自分の部屋の扉を開けた。
部屋は自分の心情とは裏腹で窓から陽光が差し込み、部屋を明るく照らしていた。
僕はカーテンを閉め切って、ベットに倒れ込む。
傍の目覚まし時計を逆さまの視界の中見つめた。
残り8時間、どう過ごそうか。
前まではどうしてたっけ。
僕は自問し、思案する。
そうだ、前まではこういう時よく昼寝して時間を潰していたな。
僕はそうしようとまぶたを閉じる。
だが、皮肉にも眠たくない時に寝ようとして集中すればするほど周りのちょっとした音などに敏感になり、かえって眠れなくなる。
だが、僕は焦らない。
なぜならこういう時の対処法を熟知しているからだ。
僕は「これはただの休憩だ。寝る訳じゃない」と融通の利かない頭に言い聞かせ、可能な限り力を抜く。
大空に身を委ねるかのごとく、ふんわりと。
そうしていると、だんだん眠くなってきて、頭で考えてること全てにモヤがかかり、明澄ではなくなってくる。
今回も上手くいきそうな予感だ。
僕は最後にそう考え、後は自然の流れに身を任せた。
外のバイクのやかましい音で目が覚めた。
部屋は真っ暗だ。
目覚まし時計に目をやると午後6時を示していた。
丸一日寝た気分だった。
そろそろ準備しなくては。
僕はそう思い、顔を洗う為に部屋の扉を開けた。
その時、コツンと扉が何かに当たる音がした。
部屋を出て確認してみると、それは小さなお盆でその上におにぎり二個と紙パックの野菜ジュースが置かれていた。
おそらく母さんが置いたのだろう。
そういえばお昼ご飯を食べていなかったな。
数秒考え、僕はそのおにぎりに手をつけた。
おにぎりは冷たくなっていたが、どこか暖かい味がした。
それから野菜ジュースをサクッと飲み干し、お盆を持って階段を下りた。
一階は静かだった。
森閑たる雰囲気の中、母さんがチラシをめくる音だけが響いていた。
母さんは二階から下りてきた僕に気付くと、訊いてもいないのにこう言った。
「香なら友達の家に行ったわよ」
香は妹の名前だ。
「そうなんだ」
僕はわざと興味無さげに答えた。
それからゴミを捨て、お盆をキッチンに仕舞う。
「ねえ誠太、お父さん歳末からお正月にかけての海外出張が決まったそうなの」
母さんは洗面所に向かおうとしている僕にそう言った。
父さんは仕事柄よく出張に行く。
「それでね、お父さんも居ないし、今年は親戚の方たちに来てもらうのはやめることにしたの」
「そうなんだ」
「それで提案なんだけど、誠太がよく遊んでる子居るじゃない?」
「うん」
「その子、今度お正月に家に来てもらうのはどうかしら?」
「なんで?」
「だってほら、いつも向こうのお宅にお邪魔させてもらうのも悪いし、それに私も一度その子の顔見てみたいし」
僕は数秒の間を開けて「考えとく」と言った。
本当はそんな気更々ないのだけれど。
「それじゃあ、その子に伝えといてね」
「ご馳走いっぱい準備するから」
「分かった。じゃあ僕もう出掛けるよ?」
「うん」
母さんはそう言って立ち上がり、「今日はお父さんと二人かあ」とわざとらしく呟いて、キッチンで料理の支度を始めた。
僕はその後、顔を洗い、歯を磨き、あらかた身なりを整えて玄関を開ける。
外は恐ろしく寒く、手袋をはめていない手が手先から凍っていくような感覚に襲われた。
僕はこれ以上気温が下がらないよう祈り、待ち合わせ場所の駅前目指して歩を進めた。
イルミネーションがライトアップされるのは午後7時からだ。
現在の時刻は午後6時55分。
もうすぐライトアップされる。
そんな時、僕はようやく待ち合わせの駅前に着いた。
遠目に映るすずはうつむき加減で僕のことを待っていた。
それからだんだんと近付いて行くと、すずも僕に気付いたのか、待ち侘びていたかのように顔が綻び、小さく手を振ってくれた。
「ごめん。待った?」
「いえ、私も丁度来たところです」
すずは寒そうに手袋をはめた手に息を吹きかけた。
「それより、早く行きましょう」
「もうすぐライトアップされるみたいなので」
「うん、そうだね」
そう言って、僕たちは歩道の先にある並木通り目指して歩き出した。
数分ほどして並木通りに到着する。
並木はまだライトアップされていなかった。
僕は腕時計で時間を確認する。
「今何時ですか?」
すずは白い息を吐きながら緊張した面持ちで訊いてきた。
「丁度あと10秒ほどで点くよ」
僕はそう言い、腕時計を見ながら「10、9、8、7、6」とカウンドダウンを始めた。
そして、僕が0まで数を言い終えた時、辺りの並木が一斉にライトアップされた。
並木は黄金の光に包まれ、今にもたんぽぽの綿や蛍のように発散しそうだった。
生命を象徴しているような優しい光だった。
そんな光をすずは瞳で反射し、本当に目を輝かせながら恍惚としていた。
更に、奇しくもこのタイミングで降ってきた初雪に、辺りの歩行者はどっと沸いた。
「誠太さん! 凄く綺麗ですね!」
「ああ」
すずは興奮気味にそう言った。
確かにうっとりしてしまうほど綺麗だ。
加えてこの光が暖めてくれたのならもっと良かったのに、と僕は思った。
僕は単純に寒かった。
僕の服装は冬服一枚に上着を羽織っただけで、おまけに手袋もしていない。
寒いはずだった。
周りを見渡してもこんな薄着で居る人は一人も居なかった。
昨日まではこの服装でも十分寒さは凌げた。
しかし、氷点下の上に雪も降ってきたなら話は別だ。
僕はしっかりと天気予報を見ておくべきだったと悔やんだ。
体の震えが止まらない。
そんな時、僕の前に誰かが手袋を差し出した。
その手の主はすずだった。
「誠太さん、どうぞ」
すずは微笑み、僕に手袋を手渡した。
「でも、すずは寒くないの?」
「私はそこそこ厚着してきてるので」
「それに誠太さんが寒そうにしてる姿を見るのは辛いです」
「だからそれ、付けてください」
「でも……」
僕は思い悩んだ。
この気温の中、手袋無しだと手が凍るような感覚に襲われることは身に染みて理解しているからだ。
かといってすずの思いやりを無下にしてしまうのも気が引ける。
僕はしばらく思案に暮れる。
そして、ある折衷案を思い付いた。
「じゃあ二人で片方ずつ付けよう」
「片方ずつですか?」
すずは意外そうに訊いた。
「そう」
「僕は左手に、すずは右手に付けて」
「そして、空いたもう片方の手はこうすればいい」
僕は右手ですずの左手と手を繋いだ。
「誠太さんの手、冷たいですね」
「すずの手は温かくて助かるよ」
「それは良かったです」
すずは優しく微笑んだ。
その優しさはどことなくこのイルミネーションの光と似てる気がした。
その後、僕たちは終始手を繋いだまま並木通りを歩いていった。
そして、あらかたイルミネーションを堪能した後、すずの家へと帰った。
帰り道でも僕たちは手を繋いだままだった。
家に着くと、僕たちはこたつに入り、冷えきった体を温めた。
前あったちゃぶ台はこたつに変わっている。
それから、10分ぐらいしてすずは立ち上がり、夜ご飯の支度を始めた。
夜ご飯はお鍋だった。
すずとつつく鍋は今まで食べた中で一番美味しく感じ、体を芯から暖めてくれた。
その後はいつも通り二人で本を読み始めた。
僕はラジオを渡すタイミングを窺う。
そしてある時、すずはお茶を淹れる為に席を立った。
今だ、と僕は思った。
カバンからラジオを取り出し、帰ってきたすずにそれを見せてこう言った。
「これ、クリスマスプレゼント」
すずは状況を上手く飲み込めていないのか、しばらくポカンとした表情をしていた。
「私に、ですか?」
「うん」
僕がそう言うと、すずの顔はパァーっと花が咲いたような笑顔になり「ありがとうございます」と言った。
「でも、奇遇ですね」
すずはラジオを弄りながら言った。
「なんで?」
「だって私もプレゼント用意してたんですから」
すずはそう言って立ち上がり、冷蔵庫から小さめのホールケーキを取り出してきた。
「実は今日、図書館に行けない理由は朝からこれ作る為だったんですよ」
「案外僕たちって似た者同士なのかもしれないね」
「そうですね」
すずはそっと微笑んだ。
僕たちはその後、ラジオを聴きながらケーキを食べた。
ラジオからは「メリークリスマス ミスターローレンス」が流れてきた。
人類の歴史を象徴するような物悲しく美しい曲調は、どこか郷愁的で心に直接訴えかけてくるようだ。
心なしかケーキの味がより深まった気がした。




