十話 屋上
10月中旬、日曜日。
世の大半の人々が衣替えを終えた頃。
今日も僕は図書館がある施設へと足を運んでいた。
しかし、今日は施設に入って内蔵してある図書館へ向かおうとしていた時、ある人に出会った。
それは僕が幼い頃からお世話になっていた人、和泉さんだった。
和泉さんはこの施設の職員だ。
僕はこの施設の図書館しか利用しないのであまり詳しくはないが、ここには市立図書館の他に貸し会議室や体育館、小さなコンサートホールなどがあり、和泉さんはそれらを管轄する仕事をしている。
和泉さんとの出会いは僕がまだ図書館に来始めた時、すなわち小学三年生まで遡る。
その頃から僕は友達が居らず、かといってずっと家に居ようにも親の目が気になり、日常に嫌気が差していた。
そんな僕が居場所を求めて辿り着いたのがこの施設だった。
そして、図書館で毎日ひたすら本を読み、時間を潰す毎日に明け暮れていた。
そんな僕を気遣い、声を掛けてくれたのが和泉さんだった。
和泉さんは一人ぼっちの僕に優しく話し掛け、例え僕に邪険に扱われようとも態度一つ変えず接してくれた。
和泉さんは当時から甲高い声でよく喋り、よく笑う人だった。
そんな和泉さんに僕は少しずつ心を開いていった。
しかし、小学五年生になると和泉さんは急に忙しくなった。
どうやら和泉さんは施設外での仕事が増えたみたいだった。
施設で働く時間が減ったことで、相対的に会う機会も減り、前は週一程度で会話していたが、それが数ヶ月に一回の頻度になってしまった。
それでも、たまに会うとその度に世間話をした。
悩みを打ち明けると和泉さんは決まって施設の屋上まで連れて行き、軽いアドバイスをした後、背中をポンっと叩いて「まあ何とかなる」と言い、甲高い声で笑う。
和泉さんはそういう人だった。
施設の屋上へ続く扉は普段は鍵がかかってるのだが、そういった話し合いをする時は僕の為に解放してくれた。
屋上は僕にとって特別な場所だ。
和泉さんと会う機械は少なくなったが、少なからず僕の精神的支柱になってはくれていた。
そして今日、施設に入り図書館に向かおうと歩を進めていると、久しぶりに和泉さんとばったり会ったのだった。
会うのは今年の4月以来だった。
目が会うと和泉さんは相変わらずの甲高い声で「おう! 誠太! 久しぶりだな!」と言った。
「お久しぶりです」
僕はぺこりとお辞儀をした。
「お前も大きくなったなあ」
和泉さんは僕の頭に手を置き、わしゃわしゃと頭を撫でた。
その手は頭を鷲掴み出来るほどで、体格も僕より一回り大きい。
「お前は最近何か夢でも出来たか?」
「いえ、特には」
「そっか、相変わらずだな」
「まあ、ぼちぼち考えていくといい」
「ところで、いつもの女の子とは一緒じゃないのか?」
「え?」
僕は動揺を隠せなかった。
何故ならすずに出会ってからは一度も和泉さんとは会っていないので、彼女のことは知らないはずだった。
「同僚から聞いたぞ」
「最近は年頃の女の子とよく一緒に居るんだってな」
お喋りな同僚め。
「その子の名前なんて言うんだ?」
「すず……ですけど……」
「そっか」
「そのすずちゃんは今どこに居るんだ?」
「多分……先に図書館に来てると思います」
「ふぅーん」
そう言って和泉さんはあごの髭を触った。
その仕草をした後は大体面倒なことを言ってくる。
「じゃあ後で屋上開けといてやるよ」
やっぱり、と僕は思った。
「そんなお節介要らないです」
「でも好きなんだろ?」
「な!? そ、そんなことは……」
僕は顔を赤らめたまま言い返せなかった。
そんな僕を見て和泉さんはガハハと笑い「バレバレだよ」と言った。
「別に俺はからかおうだなんて思っちゃいないさ」
「お前もそんな気持ち抱くようになったんだなあって感心してるだけ」
「どうせまだ想い伝えてないんだろ?」
僕は無言でコクリとうなずく。
「お前のことだからこのまま伝えずにズルズル引きずって、結局伝えれずに後悔しそうな気がしてさ」
「老婆心で過干渉したのは悪いが、どうにもそれが気になるんだ」
「後悔だけはしてほしくないからさ」
そう言った和泉さんの顔は柄にもなく真剣な表情をしていた。
この人は本当に僕のことを心配して言ってくれてるんだなとしみじみと感じられた。
「僕言います、伝えてみます」
気付くと僕はそう言っていた。
この人の前だと何故か何でも出来るような気がしてくるからだ。
「おっ? ほんとか!? なら屋上開けといてやるから」
それを聞いた和泉さんは本当に嬉しそうだった。
「いいか? コツを教えてやる」
「変に格好付けた言葉はいらない」
「ガツンと率直に想いを伝えるだけで良いんだ」
「それで駄目ならどんなに魅力的な言葉を言おうが響かない」
「そんなもんだ」
「じゃあ精々頑張るんだぞ」
「健闘を祈ってるからな」
和泉さんはそう言ってまた甲高い声で笑いながら去っていった。
どうしよう、と僕は心の中で思った。
勢いに任せて告白するなんて言ってしまったが、思えばまだそんな覚悟微塵も出来ていないどころか、告白なんて頭に浮かんでも即座に箱に仕舞い、二度と見ないようにしていたぐらいだ。
何故なら変にそれを意識してしまい、今の恋人未満友達以上的な関係を拗らせたくなかったからだ。
かと言って告白しないのも癪だ。
和泉さんはそれを知ったら一生笑い話にしてくるだろうから。
うん、あの人ならやりかねないだろうな。
どうしたものか。
頭を抱えながらも、とりあえず僕は図書館へ向かった。
図書館のドアを開けると、すずが一人で本を読んでいるのが見えた。
心なしかその姿は初めに会った時よりも寂しく感じられた。
読書している人の妨げにならないように歩き、すずの座っているテーブルに腰掛ける。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
僕たちは図書館内では最低限の挨拶を小声で終わらせた後は外に出るまでほとんど喋らないようにしている。
それは二人で有益な情報を探す為に本を漁っている時でも変わらない。
お互いの言いたいことなどは喋らずとも何となく分かるようになったからだ。
それから3時間程が経ち、お昼時になった。
僕たちは目配せを交わし、立ち上がる。
そして、図書館を出て、スタスタと廊下を歩く。
その時、意を決してすずにこう言った。
「あのさ……ちょっと話があるんだけどさ」
すずはくるっと振り返り、不思議そうに「どうかしましたか?」と言った。
「それで、話ってなんですか?」
すずはまばらな雲が浮かぶ空を見上げながら言った。
屋上は学校の教室ぐらいの広さで、隅には雨に濡れて出来たシミが目立っていた。
すずを何とか屋上まで連れて来ることは出来た。
後は想いを伝えるだけだ。
僕はさっきまで必死に言葉を紡ぎ編み出した告白文を伝えようとする。
しかし、緊張で舌が回らず、ただでさえ話し下手な僕は上手く言葉を発することが出来なかった。
「誠太さん?」
僕の様子を訝しんだのか、すずは視線を僕に移しそう言った。
このままではまずい、そう思った瞬間和泉さんが去り際言い放った言葉が頭をよぎった。
そうだ、無理に繕った言葉で格好付けなくて良いんだ。
拙くてありふれた言葉でも想いが伝わればそれで良いんだ。
それが一番大切なのだから。
僕は深呼吸をし、気持ちを整えた。
そして、天に轟かせる勢いで精一杯声を出した。
「僕と付き合ってください!」
すずの反応は意外にもあっさりしていて、特に驚いた様子ではなかった。
強いて言えば、僕の声音に動揺したぐらいで、告白に関してはまるで予め分かりきっていたかのような様子だった。
そして、すずは素直に返事するのかと思いきや、落ち着き払った声と冷淡な目でこう言った
「私は来年の3月末には未来に帰らなくてはなりません」
「私たちが親密になればなるほど、その別れは辛いものになるでしょう」
「誠太さんの人生を狂わしてしまう可能性だってあります」
「それは覚悟の上ですか?」
「ああ、構わない」
迷う必要は寸分たりともいらなかった。
この先すず以外に恋人が出来る可能性は否定出来ないが、それは自分の性格からして限りなく低いだろう。
それならいっそこの人生を全て彼女の為に捧げても良いと思ったからだ。
「とっくにこんな人生捨てる覚悟は出来てる」
「だからこれからはもっと、すずの近くでもっとすずの役に立つことを全力でやりたい」
「これが僕なりに編み出した答えだよ」
それだけ言い切ると、すずはふふっと笑い、「全く、おかしな人ですね、誠太さんは」と言った。
「あんまりにもおかしから涙が出ちゃったじゃないですか」
すずはそう言って服の袖口で涙を拭いた。
「良いでしょう」
「その恋の申し出、引き受けましょう」
「え!? ほんとに!?」
「但し、本当に人生をなげうったりなんかはしないでくださいね?」
「それは保証しかねるかもね」
すずは頬をむぅーと膨らませた。
「本当に心配してるんですよ」
「もう勝手にしてください」
「私はお腹が空いたので先に行きます」
「あ! 待ってよう」
こうして僕たちは晴れて恋人関係となった。
すずの情報収集のことを思えば、本当にこんなことしていて良いのだろうかという気持ちにはなる。
でも、今はこの幸福な関係が少しでも長く続くよう強く願いたい。
そう願った僕の心は裁かれなければならないほど罪深くないと信じて。




