32 真実 Truth
「今日はラム酒やめとくね。このまま飲んだらグルグルになる予感がするから」
グロスが自分を責めているのが表情で解る。どんな言葉をかけても、グロスは自責してしまうんだろう。ならば、思い切りグロスに甘えて、痛みを一緒に背負ってもらおう。
「やっぱり食べたくない」
プイッとそっぽを向くが、悪戯な目でグロスを盗み見る。困惑しているグロスに要求を突きつけた。
「そのアプリコット、毒味してくれる?」
毒なんて入ってないって…と、固い表情で果実をかじるグロス。その瞬間、身体を起こして、グロスの唇から果実を奪い取る。口移しにアプリコットを頬張った。
宿の主に頼んで、果物を少し譲ってもらった。食べられそう…とソルが言ったから。アプリコット、マンゴー、イチゴ、バイナップル、オレンジ…。皮を剥くと、口に含んで軽く咀嚼。そして口移しでソルに食べさせた。明らかに甘えたがっている。そんなソルの気持ちは手に取るように解っていたから、我儘にも笑顔で付き合う。甘えられるのは嫌ではなかったし、もちろん自責の念もあったけれど。
「腹一杯になったか?一心地ついたら…風呂に入ろう」
ちょっと狭い部屋風呂に、ギューギューになりながら二人で入る。お互いに体を洗い合い、湯船に浸かって大きく息を吐いた。二人でこうして一緒にいて、二人で仲良く風呂に入る。たったそれだけの事なのに…なんと幸せな気分になれる事か。
「エスペランサは怪我はないよね?」
「エスペランサはここの裏の畜舎にいるよ。預かってもらってたんだ。あそこから逃げ出すにはソルが龍になるのが一番早いと思ったし…その時エスペランサがいたら、困っちゃうと思ってさ」
拐われた時、残してきた喧嘩友達の事がソルは心配だった。なんだかんだ言って、とても信頼してる愛馬だから。お湯が背中に沁みなくはないが、グロスがこの上なく優しく洗ってくれるのは、とても気持ちが良い。グロスに洗われる事で、奴隷商人に触られた穢れが落ちていくような気分になる。
「市場で龍に戻っちゃったけど、みんなパニックだったよね。ドラゴンが必ず人間を襲うとは限らないのに…。自意識過剰なんだよね。そりゃ、詐欺師達へはちょっと…火傷くらいはさせてやりたいけど。でもいいや。グロスのところに、戻ってこられたから」
ドラゴンが現れた、と大混乱に陥った街。被害はオークション会場を壊した位で済んだが、人間達は大騒ぎで傭兵隊を召集したり、自警団を組織したりしていた。別に襲う気はないのに、姿を見せただけでパニックになられるのはちょっと悲しい。
風呂から上がるとお互いの背中に薬を塗り合う。ブルーロズの軟膏があればすぐにでも治りそうだけど…残念な事に、今は種しかない。ボルタスに帰ったら、この種を畑に植えよう。きっとアクアビットが加護の雨を降らせてくれるはず。
「グロスも背中、痛々しいね」
「たぶん…すぐに治るよ。それにしても、明日は大騒ぎだろうな。あれだけ派手にぶちかましちゃったし。新聞の一面、間違いなしだな。騒ぎが大きくなる前に…町を出よう。今夜は早く寝るぞ」
グロスの背中にペタペタと軟膏をぬる。もう引っ掻き傷の腫れは引いて、深くえぐってしまったところがかさぶたになっていた。
申し訳なさそうに言うと、大人しくベッドに入る。グロスの言う通り、早くこの街を抜けた方がいいだろう。体力を養わなくては。
翌朝、陽が昇るる前に早めのチェックアウト。たっぷりと体を休めていたエスペランサの背に乗り、一路西へ。先を急ぎたい旅ではあったが、休憩と食事はしっかりと。馬の脚でもボルタスまでは数日かかる道のり。山を越え、谷を渡り、広大な平原や時には森の中を突き進んだ。
そしてあの日、蜘蛛と老女を退治した教会のある街で泊まった宿の新聞で、ボルタスと隣国のリップランドが開戦!の一報を知った。
「まずいぞ…ソル。いよいよ戦争が始まる。早く…早くボルタスに戻らないと」
「子供を徴兵してるって、どこかの街で聞いたけど…こんなに早く開戦するなんて。グロス…もう私を労らないで?翔ぶから。エスペランサは頑張ってくれてるけど、間に合わなかったら意味ないでしょ?」
普段のふにゃふにゃした表情を引っ込めて、真剣にグロスを見つめるとクイッと顎を上げた。ここに触れと言うように。
「龍に戻して。ボルタスまで1日かからないで連れていってあげるから。ボルタスの兵士も、リップランドの兵士も出来るだけ殺さない。私を戦場に連れて行って」
畜舎からエスペランサを連れてくる。全てを察しているような顔つき。首から鬣を軽く撫でながら呟いた。
「エスペランサ…お前も…力を貸してくれよ。一緒に…ボルタスを救うんだ」
ソルとグロスが立ち寄っていると聞いて、宿屋には多くの人達が集まっていた。誰もがあの日の事を忘れてはいない。事情を知った人達は、口々に激励と応援をしてくれる。
「皆さん、ありがとうございます。先を急ぎますので、皆さんもお元気で。よし…ソルっ!行くぞっ!」
今や遅しと顎を突き出して待っているソル。その顎にそっと手を添え、唇を重ねた。皆の視線を浴びながら、少女から火炎龍へと姿を変える。大きなどよめきが起きる中、グロリアスは火炎龍の背を駆け上がった。鬣を掴み、エスペランサが抱えられたのを見届けると叫んだ。
「翔べっ!火炎龍っ!ボルタスへっっ!」
戦場では女として愛しては欲しくない。きっちり戦力として使ってもらって結構。ソルはそんな覚悟のもと、龍の力を開放する。できるだけ力強く地面を蹴って空へ舞い上がった。西へ首を向けると、翼をはためかせる、
「グロス、しっかり捕まっててね」
気流を捉えようと上昇し、風に乗って一気に加速。一路ボルタスへ向けて、力強く進んでいく。風光明媚な山をいくつか越え、大きな川を見下ろして飛ぶ。
肉眼で人影が確認できなるほどに高く舞い上がったソル。力強く羽ばたく翼。靡く鬣が頼もしく見えた。風を切り、雲を超えて一路西へ。
やがて火炎龍はリップランドの空に差し掛かった。国境に近いリップランドの城では、ボルタスの兵士による侵略を防ごうと大騒ぎ。両国の国境の上に横たわる高い山。かつてソルが息を潜ませていた、あの洞窟のある山だ。
「ソル…急げ。国境を超えるんだ。ボルタス軍の足を止めるぞ。この戦争を、始めさせてはいけないっ!」
言われなくても解っているとの声が、頭の奥に響いてくる。エスペランサを優しく抱えながら、火炎龍は山道を見下ろしながら西へと向かった。
ボルタス軍の先頭が何処にいるのか確認すると、ソルは一度急降下して山の中へ降り立った。エスペランサを山の中に降ろしたのだ。
「エスペランサ、貴方は賢い。山を抜けてボルタスまでおいで。私はこのまま前線に降りるから、エスペランサを抱いているとグロスを守れないの。解ってね」
馬に念を送ると、短く「行け」とだけ返事が帰ってきた。それを合図に再び国境へと急ぐ。馬を降ろした分、更にスピードは増した。邪魔物のいない空はを存分に泳いだ頃、見覚えのある険しい山が見えてくる。両国を隔てる山だ。高度を落とすと、軍備も見え始めた。本当に戦闘が行われるようだ。
「撤収だーっっ!この戦いは無益だっ!無駄に血を流すことはないっ!退けーっっ!」
どんなに大声で叫んでも、山道を駆ける騎兵隊には届かない。土埃を立てながら国境を目指している。
「ソル…もっと高度を下げろ。俺の声が届かないっ!」
ソルは高度を下げ始める。だが、かつて人間達に襲われた恐怖を思い出すのか、思うように高度を下げられなかった。呼べど叫べど騎兵隊は止まらない。声が届かないのだ。
「くそっ…どうする…どうすれば…」
騎兵隊は国境のすぐ手前まで来ていた。国境にたどり着けば、リップランド軍との衝突は免れない。その前に、どうしても止めなければならない。
「ソル…騎兵隊を止めてくれ!あいつらを国境に向かわせてはいけないっっ!」
自分の恐怖心に勝てない苛立ちを振り払うように頭を軽く振ると、再度降下を始めた。ある程度人間が確認できる高さにまで降りると、ピシュン…と何かを放つ音と共に花火を打ち上げる。戦場に突然輝く花火。人間達は注意を向けた。意識をこちらに向けることには成功したようだ。
「私からは攻撃はしない。グロス。いいえ、グロリアス殿下、民を導いてください。私は逃げません」
兵士達からしたら龍が襲ってきたと思って当然だろう。矢をつがえ、こちらに向けて始めた輩もいる。それでもソルは怯まず高度を落とした。
(響き渡る龍の羽音は、騎兵隊の注目を集めた。ソルが高度を下げると「龍が襲ってきたぞ!」とばかりに臨戦態勢。スゥー…と深呼吸をして、グロスは高らかに声を上げる。
「我が名はグロリアス!ボルタス前国王ウィリアムの長男っ!正統王位後継者であるっ!皆の者!争ってはならぬっ!」
突然の龍の襲来、そしてグロリアスを名乗る高らかな声に騎兵隊は足を止めた。無理もない。「王子は死んだ」と新国王になったニーチェスが流布していたのである。グロスが国を離れている間、ニーチェスは独裁政治を行っていた。軍隊を強化し兵器を揃え、領土拡大を画策していたのである。
「新国王の政策はボルタスを破滅に追い込むものであるっ!目を覚ませっ!戦争による領土拡大など、許されるべきではないっ!」
突然の事態に唖然とした兵士達の表情が読みとれるくらいまで、ソルは高度は落とした。グロスの声に武器を持つ手が震える兵士も見受けられる。
「王太子殿下…?」
馬に乗ることを許されず徒歩で槍を構えて歩を進める兵士達は、最近徴兵された者達なのだろうか。鎧が身体に合わず、武器の持ち方も今一つサマになってはいない。その者達が真っ先にグロスの声に耳を傾け始めた。
「グルルル…グァァウ!」
大きく吠えると、兵士達の進行方向に向けて火を放つ。炎は意思を持ったように育ち、道をふさぐ壁となった。先へ進みたければ、リップランドとの国境を踏もうとするなら、まず火炎龍が相手になると人間たちへの脅しだ。グロリアスの言葉もさることながら、龍の姿と火炎に慄く騎兵隊。ざわつき始めた隊員に、グロスが再度の一喝。
「この戦争は間違っているっ!軍を引けっ!リップランドに攻め入ってはならぬっ!」
しんと静まり返ってしまった騎兵隊。おずおずと引き返す者も出始めた。それでいい。戦争による領土拡大など、絶対にしてはならない。そんな想いが、かつての上官であるグロスから隊員に伝わったのだ。
「ニーチェスはどこだっ!?俺が直々に話をつけるっ!」
「国王様は…山の頂上に近い前線基地に…」
「ソルっ!行くぞっっ!!あのくそったれを!ぜってぇ許さねぇぞっっ!」
「あの龍は…ソルフレアだ…。グロリアス王子が…伝説の火炎龍に…」
騎兵隊の中には涙を流すものもいた。クーデターを起こした新国王に、全ての民が迎合していたのではなかったのだろう。兵隊たちに罪はない。新国王ニーチェス…敵はただ一人である。
ソルは山へ視線を向けると、旋回して方向をかえた。
「スピードだすよ。しっかり掴まってね」
翼をしならせると、気流の上を滑るように飛ぶ。その速さは、新国王軍の上を一瞬で飛び去る程だった。道の上の火の壁は周りを類焼させることなくその場で燃え続けている。これで軍が勝手に歩を進めることは無いだろう。
「山…要塞になってる。あの中へ突っ込んじゃって良いの?」
山肌は大きく削られ、急拵えとはいえ立派な要塞が見えてきた。国民に建設を強いたのだろうか。目を細めて本陣とおぼしき基地へ狙いを定める。
「構わんっ!俺がカタをつけてやる。ソルっ!突っ込めっっ!」
けたたましい雄叫びを上げながら、ソルは高く舞い上がる。火炎龍の翼をもってすれば、この程度の山…ひとっ翔び。山肌を舐めるように高く舞い上がれば、軍事要塞は目の前に現れた。中庭で国王が直々に演説しているようである。軍隊にハッパをかけているのだろう。
「ソルっ!俺を中庭に降ろせっ!ぶった切ってやるっ!」
了解!…とばかりにソルが雄叫びを上げた。要塞の中の衆人が注目し、ざわざわと揺れ始める。タイミングを見計らい、グロスはソルの背中から飛び、中庭へと舞い降りた。
「我こそはグロリアスっ!火炎龍の加護の下、元国王ウィリアムの仇…ニーチェスっ!貴様をぶっ殺すっっ!」
グロスが背中から降りたのを確認すると、威嚇するように兵士達に向かって吠えた。思わず後ずさりする新国王の取り巻き達。それを認めると、グロスとニーチェスの二人を丸く囲むように火を放つ。一騎討ち。邪魔させる訳にはいかない。
「グロリアス王太子殿下、私が火を使えばそこな国王など灰になりましょうが、それでは皆は納得しないでしょう。私は見守ります」
中庭に降り立つと、猛々しい見た目の龍にしては優雅な身のこなしで頭を下げた。その姿はグロリアス王子が完全に火炎龍を支配下においている、と人々に印象づける。
「お前は…ソルフレアなのか?龍殺草の毒を撃ち込んでやったのに、なぜ生きているのだ?」
ニーチェスから悲鳴のような叫び。それを聞いてグロスは怒りを露にする。丸太のような矢を打ち込み、ソルを苦しめ続けた張本人がまさかこの男だったとは。全身の血が沸騰するかのような激情
「伝説の火炎龍を舐めるなよ?お前ごときに殺されるような奴じゃねぇ!」
ニヤニヤと笑みを浮かべるニーチェスと一対一の対峙。こんなズル賢いだけのデブ野郎、ほんの一捻りだ。背中の長剣を抜き構える。そんなグロリアスの気迫と、殺したつもりでいた火炎龍の姿を前に…レンデルは不敵の笑み。中庭の兵隊達はソルが作った炎のリングを見守っている。グロスは剣を高々と掲げて叫んだ。
「ソルフレアっ!我が剣に怒りと裁きの炎を載せろっ!」




