29 計略 Trick
グロスは配られたカードにちらりと目をやる。誰にも、ソルにも見せないように。そんなグロスを見て衆人は囃し立て、相手も不敵な笑みを浮かべた。だがグロリアスも動じたりしない。冷静に…というか、鬼気迫る表情で対戦相手を睨み付ける。
「三枚…交換だ。兄ちゃんはどうするんだい?」
「ノーサンキューだ」
衆人の視線はグロスに集中する。だがグロスはいたって冷静。再びどよめく衆人観客。面白くなさそうな対戦相手。しかしグロスはどこまでも冷静だ。背中にしがみついているソルの息遣いが伝わってくる。緊張しているのだろう。
グロスがカードを見せてくれない事がソルの苛立ちを加速させた。見せられたら見せられたで、冷静ではいられないけど。もし負けたら、喉仏をつぶして、一晩眠っててもらおう。でもあの太った首じゃ、容易に急所は狙えない。
「お願い。神様、見捨てないで…」
小さな小さな呟き。こんな事になるならギャンブルになんて手を出すんじゃなかった、と後悔が押し寄せる。負けたらあの巨漢男に抱かれなくてはならないのだから。あとで本気でグロスに謝る事にしよう。謝れたらいいな…。じゃなかったらこの太っちょと…、オエッ。
「兄ちゃん、本当にいいのかい?じゃあ…こっちから行くぜ?」
いい手が出来たらしい巨漢は下品な笑顔でカードをあけた。対戦相手の巨漢が広げたのは、スペードの10・J・Q・K。そして…スペードの9だった。「惜しいっ!」とあちこちで声が漏れる。ストレートフラッシュ。ロイヤルは外したものの、9からであればかなり強い手だ。対戦相手は軽く舌打ちをしたものの、それでもにやにやと下種な笑みを浮かべている。
「こいつには勝てないだろ。まさか二回もファイブカードを出す訳じゃないだろうな?」
巨漢とその仲間達は下種な声をたてて笑った。そして再びソルを奪おうと、仲間の一人がソルの腕を掴む。
「だからっ!その娘に触るんじゃねぇっ!って…言ってろだろっ!
グロスの怒号に一瞬の静寂。そしてざわつき始める室内。もしかして…またか?と。期待に応えるかのように、グロリアスの手がゆっくりとカードに伸びた。そして、カードをめくり始める。
ソルは祈りながらカードを見る。巨漢の手はなかなかいいようで。取り乱すな、と自分に言い聞かせた。気の早い男達が伸ばしてくる手をピシャリと叩く。
「まだ勝負はついてないでしょう?あんた達の言いなりになんかならないよ?仮に、かーりーに、負けたとしても無抵抗で一晩って約束はしてないからね!」
自分が景品になっているのに、やたらと気丈なソルにギャラリーが沸く。まぁ、気丈でいられるのはグロスを信頼しているからで…。信頼していいんだよね?ね?グロス?
さっきと同じように、ゆっくりと五枚のカードをひっくり返す。一番上に出てきたのはハートの10。沈黙の中、グロリアスの手がハートの10を右にずらすと…下から出てきたのはハートのJ。わっと歓声が上がった。観客は奇跡を期待している。Jを右にずらすと今度はQが出てきた。観客のボルテージは更に上がる。Qを右にずらすと…期待通りハートのK。
「この野郎っ!さっさと開けねぇかっ!」
たまらず巨漢が声を荒げる。観客は興奮の坩堝と化した。そんな対戦相手にも、グロスは鋭い視線を向けながら、極めて冷静に言い諭す。
「いま…本当の事を言って謝るなら、許してやらないでもないが」
一瞬、怯んだ表情を見せる巨漢。だが、おじけづいたりはしない。噛みつかんばかりに身を乗り出して大声で叫ぶ。
「何を言ってるんだ!負けるのはお前だ!さっさと金と女をよこせっ!」
そんな巨漢男の恫喝にも顔色一つ変えず、Kのカードに指先がかかる。ゆっくりと持ち上げ、右にずらすと…下から出てきたのはハートのエースだった。
「ロイヤルストレートフラッシュっ!!」
歓声は船中に響き渡っただろう。大きな拍手がグロスに向けられる。それでもグロスは、相変わらず表情を変えずにソルに言い放った。
「ソル…そこの金貨の袋、もらって来い。正直に『イカサマしてました』って謝れば、許してやったんだけどな。喧嘩を吹っ掛けるなら、相手を見てから吹っ掛けろ。覚えとけ、デブ」
「う…うんっ!」
グロスの雰囲気に気圧されて、慌てて金貨の詰まった袋を抱える。またまたギャラリーに一礼して部屋の外へ。部屋を出る直前に、巨漢に向けてパンチをお見舞いしておいた。重たい金貨の袋は何枚入ってるんだろう?
「ねぇ…グロス?イカサマ?あいつら、イカサマしてたの?」
驚きと怒り。どうしてもソルが勝てなかったのには理由があったのだ!それをいとも簡単に見破るグロスに底知れぬものを感じ、トボトボとついていく。完全に私の負けだ…ソルはそれをひしひしと感じていた。
「実はな…俺の手は二回とも…ブタだった」
「なんで?なんで?だって、すごいカードだったじゃん!」
部屋につくなり大爆笑のグロリアス。ソルは訳が分からず不思議顔。そして興味津々な瞳を輝かせながら、グロスにしがみつく。そんなソルを宥めるようにベッドに座らせた。
「タネは…これさよく見てみろ」
グロスがソルのベッドにポンッと放ったのは、なんとトランプ。あの談話室で行われていたポーカーに使われていたあのトランプだった。ソルはカードを手に取って調べ始める。明らかに枚数の少ないカードは、なんと10枚のカードが抜けていた。その10枚とは、グロリアスが1回目に出した2のファイブカード、そして2回目に出したハートのロイヤルストレートフラッシュ。その10枚に使われていたカードが抜けている。
「俺はあいつらがやっていたイカサマと同じ手を使っただけだよ。あいつらも裏の模様が同じ複数のトランプを使っていたって訳だ。ソルがスりーカードを作った時のスペードのクイーンが、相手のフルハウスの中にも入っていたのを…気づかなかったか?」
「えーっとねぇ…。自分のカードを見ながら役作るので精一杯だったから、相手のカードがなんだったかなんて覚えてないよ…」
ギャンブルの怖さと、グロスの恐ろしさを思い知ったソルは、腕を自分に巻きつけるようにして身震い。深入りしなくてよかった。それは初めからカモになっていたという事。稼げる訳など最初からない。
「じゃぁ、絶対に勝てる自信があったから、私を差し出すって言ったの?」
簡単に景品にされそうになった事は、見捨てられたんじゃないかと不安にさせるには充分だった。
「あいつらが高い手を仕込んでくるのは解っていた。高い手ができれば周囲の目は相手のカードに集中する。その隙に…あらかじめ仕込んでおいたこちらのカードと全部入れ替えた…って訳さ」
船の方で用意していた娯楽用のトランプを使っていたのが幸いした。裏の模様がすべて同じ。誰もが複数組のトランプを使っているなんて思わなかっただろう。
「当たり前だろ?勝算があってこその勝負だ。ソルをあんな下種な男に渡す訳ないだろ。イカサマに正攻法では勝てる訳がない。イカサマに勝つのは…イカサマさ」
手を伸ばし、ソルの頭をクシュクシュと撫でる。驚いて目を丸くしていたソルが、いつもの目を細めた笑顔になるのに時間はかからなかった。
「グロス…とってもイジワルだ。ちょっとホントに怖かったんだから」
撫でられるままグロスの胸に頭を預けて、ようやく心から安心する事ができた。グロスが表情も変えずにイカサマしてたのが可笑しくて、クスクス笑いが止まらなくなった。三百年生きてきたけど本当にこんな王子様、型破りで見た事ない。
「迂闊に…危ない賭けに手を出してごめんなさい。グロスに何か買ってあげたかったんだ…。手袋とか…」
「そっか。ソル、優しいんだな。ありがとな」
笑いが納まると、真顔になってグロスの目を覗き込む。試練が続く旅で傷だらけマメだらけになってしまったグロスの手を、ソルはそっと撫でた。
「巻き上げてきた金貨の袋…開けてみろよ」
ずっしりと重い袋の中には千二百枚の金貨が入っていた。あの娯楽室を縄張りにして、旅行客を相手に荒稼ぎしていたに違いない。ジャラジャラと音を立てながら、金貨をもう一度袋にしまう。これで心もとなかった旅費にもだいぶ余裕ができた。飯もラム酒も気兼ねなく楽しむ事ができる。
「じゃあ…西の大陸についたら、買ってもらおうかな…手袋。いいだろ?」
コクコクと勢いよく首を縦に振るソル。なんて可愛いヤツだ。こんな可愛い下僕を、どこの馬の骨ともわからないデブに渡せるものか。
「ソルのも…買おうぜ、新しい服」
「カードの時の顔、いつものグロスじゃないみたいだった。もう…怒ってない?」
返事を待たずにグロスにしがみつく。頬をぴったりとグロスの胸につけてご機嫌のソルは、ふとグロスの身分を思い出す。ポーカーフェイスで腹を読まれないように、政治を行ってきたのだろうか…と。
「ねぇ、悪い大臣ってどんな人なの?」
ベッドに並んで腰を下ろし、グロスの顔を覗き込みながら訊ねた。西の大陸の西の果ての小国ボルタス。グロリアスの故郷に着いたら恐らくは避けて通れない相手。敵の情報は知っておきたい。
「大臣か?まぁ…旧家のボンボン…ってとこだな。武道はさっぱりだが…悪知恵が働くヤツでよ」
代々王族の側近を務めてきた家系の末裔。そんな家に育った放蕩息子が親のコネで王宮の重職に就くも、まさかクーデターを起こすなんて、誰もが思いもしなかった。
「あいつの好き勝手やられたら…ボルタスは崩壊する。その前に…それだけは、避けなきゃならない」
グロリアスの拳は震えている。さっきのポーカーで見せた時よりもさらに鋭い視線が、船室の丸い窓の向こう側の西の大陸を見つめていた。
猫を思わせるようなしなやかな動きで、シュルリとグロスの懐から逃れると背後に回る。グロスの強く鋭い視線が痛々しいから。大きなグロスの背中を一度ぎゅっと抱き締めると、そのまま背後からグロスの両目を小さな手で塞いだ。
「そんな目をしてちゃダメ。グロスは優しくて暖かい眼差しが似合うよ。それにね…相手を憎んでると、色んな所に敵を作っちゃうからね」
人間を憎んできた時代もある龍の想い。憎めば憎むほど追い回された過去を思い出して、グロスをそんな目には会わせたくないから。グロスの目を覆うソルの小さな手が、とても暖かかった。
「風呂に…行くか」
小さく息をついた後、呟くように。男女別ではあるけれど、一度は体験した客船の風呂。ソルだって、寝る前には入っておきたいはず。二人連れだって大浴場へ。三十分後に待ち合わせをして、男湯の暖簾をくぐった。
「おっっ!ポーカーの兄ちゃんじゃねぇか!」
すっかり顔が売れてしまったらしい。風呂場の中はちょっとした騒ぎになってしまった。ソルも変にからかわれなきゃいいけど。風呂から上がってくると、まだソルは出てきていない。近くのベンチに腰を下ろして待つ事にする。
「あ、マスター!ごめんなさい、待った?お風呂でお姉さん達にいっぱい声かけられちゃって大変だったの。しつこいから逃げてきちゃった。いい体の強運のお兄ちゃんは、いくらで相手してくれるかしら?って。いくらでもねーよ、クソババーと言っておいたわ」
入浴を終えて待ち合わせ場所へ。髪もまだちゃんと拭かず、頭にタオルを巻いたまま女湯から飛び出してきた。主を守ったとドヤ顔のソルは、チラリと女湯を振り返る。女湯の暖簾の影から、三人の女達が覗いているのが見えた。
「くそばばー…って…をい」
くすくす笑うと暖簾越しに様子を窺う女達。湯上りのせいか、なかなかの美女にも見える。苦笑いを浮かべながら小さく会釈をして歩き出した。船室に戻るまでの間、何度か声をかけられる。ちょっとしたスター気分だ。
「困ったもんだな。ちょっと目立ちすぎだ」
苦笑いをしつつ、足早に船室に戻る。倒れこむようにベッドに横になると、心地よい気怠さに包まれた。
「ソル…船旅は退屈かもしれないけど、あまりウロチョロするなよ?部屋を出る時は…一人で行くな。俺もついていくからな」
「保護観察つきね。賭博の前科ってやつ?ははっ、しかと謹慎いたします、グロリアス殿下」
苦笑しながら、何の迷いもなくグロスと同じベッドへ。当然のようにグロスにもたれ掛かかる。おどけてグロスに敬礼してみせた。
「でもね、女のお風呂でちょっと気分よかったよ。みんな、グロスに興味津々で。『あの腕に抱かれて朝日が昇るのを見れたら、全財産も惜しくないわー』って言ってたお姉さんがいたの。すごい優越感!」
そんな噂が立っているなんて、思いもしなかった。嬉しい…というか、ちょっとこそばゆい感じ。しかし、鼻の下を伸ばす訳にはいかない。何でもないような顔をしつつ、
「そんな、あっちこっちちょっかい出すほど器用じゃないしな。俺は、ソルがいてくれればそれでいい」
もたれかかって来るソルを更に抱き寄せ、そのままゆっくりと押し倒す。組伏せられれば、ソルはしっかしとした重さを骨盤で受け止める。グロスは覆いかぶさり、緩やかに情を交わしあっていく。
「そう。女たちの憧れの君が腕の中に居るんだもん」
ソルの顔が赤く染まり、豊かな胸の膨らみがゆっくりと上下する。ソルが瞼を閉じたのを合図に、そっと唇を重ねた。甘い水音が船室の中にいくつも零れる。
力強くグロスを抱き締めると、胸にグロスの頭を押し付けて、
「誰にもあげない。龍相手に喧嘩したければ、掛かってきなさいって…感じ」
やがて部屋には湿度を増した肌の擦れる音と龍の嬌声が響いた。




