30 下船 Disembark
翌朝、食堂での二人は相変わらず人気者だった。多くの人に声をかけられ、のんびり食事もしてられない。ちやほやされる二人を恨めしそうに見ているのは、昨夜の巨漢男とその仲間達。しかしさすがにもう難癖をつける元気はないらしかった。
「食べ終わったら…エスペランサの様子を見に行かないか?」
「エスペランサにもおやつ買ってあげたいな。ニンジンとか持っていったら喜ぶよね?」
ふと思いついて、そんな提案。エスペランサも閉じ込められっぱなしでは可哀想だ。ソルは意思疎通ができるみたいだし、話し相手くらいにはなるだろう。
閉じ込められている愛馬を思うと可哀想で仕方がない。飛んであげられたら閉じ込める事もなかったのに…と、ソルはちょっとだけ自己嫌悪。
「うちのエスペランサも美馬だから、馬小屋でモテモテだったりしてね?」
調理場で手に入れたニンジンをお土産に、笑顔で話しながら船倉へ。声に反応したのか、何頭も居る馬の中でエスペランサが嘶いた。持ってきたニンジンには喜んでくれたようだ。
「ごめんね、こんな狭いところに閉じ込めて。飛んであげられたらよかったね」
「巨大化して凶暴化したお前に抱えられて海を渡る方がよっぽど怖いよ?」
「グロス…、エスペランサ可愛くない」
馬の言葉にむくれるソル。頬を膨らませてむくれたところを見ると、憎まれ口でも叩かれたのか。そんなやり取りを見て苦笑い。
この便はどうやら家畜小屋の利用率は低かったらしい。窮屈に詰め込まれる訳でもなく、のんびりとしたムードが漂っていた。
「ソルはエスペランサに乗ってる時、俺にしがみついていられるけど…エスペランサはそれができないんだから…仕方ないだろ」
ケラケラと笑えば、ソルはなお頬を膨らませる。そんな仕草も可愛い可愛い。
船は順調に西の大陸を目指す。そういえばあの麦わらの海賊船は、今頃どの辺を航海しているのだろう?懐かしく思い出した。風にはためく黒い海賊旗と、デッキで風にそよいでいたミカンの樹を。
「私、優しく抱っこしてあげたつもりだったのに。覚悟しなさいよ、エスペランサ。街道に出たら鞭で追い回して走らせてやるから」
「ソル…あまりエスペランサを虐めるな。エスペランサだって…俺達の大切な仲間だし、お前を載せて一生懸命走ってくれたんだから」
苦笑いを浮かべながらエスペランサの首を撫でてやると「ブルルルルッ」と鼻を鳴らした。ソルの肩をポンポンっと軽く叩く。ソルがエスペランサをキッと睨むと、エスペランサはこれ見よがしにグロスにすり寄った。乗馬用具入れの中から鞭をビュンビュン振って見せても、動じない馬は可愛い気がない。あったまきた。ニンジン持ってくるんじゃなかった。
「ん…グロス、今…海賊さん達の事考えてた?どうしてるだろうね。またどこかで会えるといいね!」
「あの時のお礼をしないとな。ブルーロズの種も分けてあげたいし」
「ミカンに触ると殺されるよって、トナカイさん教えてくれたね。どこに行ったら会えるかなんて分からないけど、会えそうな気がする。ね、グロス?」
毛むくじゃらの船医と約束をしたのを思い出す。グランドラインを目指すって言ってたけど…何の事やら。船の係員が畜舎の掃除をするというので、ソルと二人で船室に戻る事にした。
「どちらかと言うと、立場弱いの私だよ?エスペランサ、グロスが手綱もってないと怒るし。私だけで乗ると、『乗せてやってる』ってしょっちゅう言ってくるし」
船室に戻る廊下で、ソルはご機嫌斜め。とは言うもののエスペランサは大切な仲間で、グロスとはしない口喧嘩の相手。お互いに嫌っている訳ではなくて、でもグロスに仕えるものとしてはライバルで。
船旅では時間がゆっくり流れているような気がする。ぶっちゃけ、退屈だ。これから戦地に向かうグロリアス達にしてみれば、嵐の前の静けさ?コンディションを整えるための時間なのかもしれない。
船室に戻ると二人は抱き合い、どちらからともなく唇を重ねながら、ベッドの中へと。昼間から…なんて、そんなの愛し合う二人にとっては何の規制にもならない。二人はお互いの言葉をぶつけ合い、体をぶつけあい、愛をぶつけ合う。お互いに貪るように求め合い、蕩けた。そして戦いの傷など一つもついていなかったグロスの背中に、ソルの爪が傷をつける。
◇ ◇
異常な興奮の覚めた微睡。獣じみた行為の後の冷静は羞恥心を再燃させる。すっ、とグロスから眼を逸らした。なんとなく見やった自分の指の先が赤い。慌てて指先を確認すると、爪が血に染まっている。でも…私は怪我をしていないし?ぽん、とグロスの背中に手の平を置けば、みみず腫れやら引っ掻き傷で、滑らかだった背中はデコボコしていた。
「あ…あの!どうしよう!グロス…ごめんなさいっ!」
声をかけられて、ふと我に返る。いつの間にか転寝をしていたらしい。全体重をかけてしまえば、ソルはきっと息苦しいだろう。ごめんな…と声をかけてゆっくりと下り添い寝をして腕枕。ぎゅっと抱き寄せる。
「戦士の背中の傷は恥だけどな、女につけられた背中の傷は、男の勲章さ」
背中がちょっとヒリヒリする。が、グロスはそれを口にしない。初めてを捧げたソルの方が、痛みははるかに大きかっただろうから。ゆっくりと頭を撫で、赤い髪に手櫛を通す。何度も、何度も。どちらからともなく求めあって、唇を重ねた。舌を絡め合い、愛を絡めあう。窓の外が暗くなってきているのに気づくと、思い出したようにフフッと笑った。
「風呂に…入りに行こう。そのあとは…晩飯だ。」
「ご飯…いらないよ。お風呂もあとでいい。動きたくない」
こんなキスマークだらけの体で行ったら…恥ずかしすぎる。鼻のいい女達は敏感に立ち上る愛交の香りを嗅ぎとると、ひそひそと嬉しそうに噂話をするものだから。ベタベタのシーツは気持ちのよいものではないが、ずりずりと其の中に潜っていった。
「夜中になったらお風呂に入りに行くね…背中、お湯が染みるかも。スゴい事になっちゃってる。グロスがお風呂から帰ってきたら、お薬つけてあげるから」
「そっか。まぁ…それもいいか」
腹は減っていたけれど、二等じゃ船室には持ってきてもらえないし、ソルを一人残して食べに行くのも気が引けた。バッグの中に残っているのを食べればいい。早く汗を流した方が良いような気もするけれど、ソルが恥ずかしいと言うのも頷ける。
「別に、大丈夫さ。でも…薬は塗ってくれ。自分で背中に塗るのは難しいしな」
くすくす笑いながら、もう一度ソルをぎゅっと抱きしめる。抱きしめ返してくるソルが、やたら愛おしく思えた。
「いいよ。グロス、食べてきても。だったら私も行くよ」
「そ…そうか?じゃあ…行くか」
自分のせいで、あの食欲旺盛なグロスがご飯を食べないのは…申し訳なさすぎる。慌てて身支度をしようとした。裸のグロスを見ると、背中についた爪痕の他に、キスマークが胸といい首筋といい、いくつか散っている。それを満足そうに眺めた。
「私がつけた跡ね。だから私のもの」
ニシシ…とコミカルな笑顔からは、妖艶さは感じない。あどけない少女そのものだった。シンクで絞ったタオルで軽く体を拭く。風呂に入ってさっぱりしてから…と行きたいところだったが、まぁ…仕方ない。服を着て、二人で食堂に向かった。
「うはーっ!どれも美味そうだな。食うぞっ!ソルも好きなだけ食えっっ!」
例によってテーブルの上に並びきらないほどの料理、そしてジョッキになみなみと注がれたラム酒。ソルが満面の笑顔を浮かべていたのは、炎の味のするラム酒のせいか?それとも…グロリアスの首筋についた小さな赤い痣のせいだろうか?
グロスに食事をとらせるべくソルはレストランまでついては来たが、気怠さは抜けずに、チビチビとラム酒を舐めている。ニマァっと笑っているところを見られ、「なんだよ?」と言われても知らん顔。私の痕♪とご満悦。さすがに日が沈むと海の上は寒い。寒さをごまかすように、ペタッとグロスにくっついた。
「うん、グロスはまだ暖かいね」
「食べなくても…平気なのか?」
それなりに広いレストランの壁際の席から視線を感じて眼を向けると、イカサマポーカー詐欺師達が睨み付けていた。後ろぐらい所があるからか睨む以上の事を仕掛けてはこないが、会いたくない顔から眼を背け、グロスの首もとに視線を戻す。ニンマリ。
ラム酒は時折口にするけど、それ以外はほとんど…口にしないソル。それで大丈夫なのだろうか。もしかしたら、グロスほどには腹が減っていないのかもしれない。それにしても…可愛らしい笑顔を向けてくれるのは嬉しいが…なんだか照れ臭かったり、苦笑いを浮かべたり。
食事をしている間、例の連中が様子を窺っていたのは解っていたが、声をかけてくる訳でもなく近寄ってくる訳でもなく。だからこちらからも特に接触はしない。それよりも…
「ソル?さっきから…何にやにやしてるんだ?ちょっと…気味が悪いぞ」
「内緒~。んふふ。美味しそうに食べるなぁって思ってるだけ」
空腹でない訳ではないが、食べられるほどの体力もない…なんて、ソルは言えない。そもそも何回果てたのだろうか?これでは本当に飛ぶ以前に、逆鱗に触れられても龍の姿になれないかもしれないかも。グロスの取り分けてくれたフルーツをフォークの先で弄び、ブドウを一粒口に入れた。今日の夕飯はこれだけになりそうだ。
「船、明るい内に港に付くのかな?」
「丸々三日かかるしな。多分…着くのは夕方だな。風向きにも寄るだろうけど」
ニヤニヤ微笑むソルもちょっと気怠そうで。それが幼い子供だと思っていたソルに、妙な色気を感じさせる。それもソルが成長した証なのだろうか。
グロスは食べまくった。衆人環視があきれるほどに。同席しているソルだけが、そんなグロスを微笑ましく見つめている。
「ふぅ…満腹だ。一度…部屋に戻るか」
結局いくらも食べなかったソルをつれ、船室に戻る。すれ違いざまに例の連中が恨めしそうな視線を向けてきたが…無視無視。客室係がシーツを変えてくれていたおかげで、心地いいベッドで寝られそうだ)
「シーツ…交換してあるって事は、シーツの汚れを見られたって事だよね…グロスが…触るから!変な感じになって、シーツ汚れちゃって…。もう、ここのクルーと絶対顔を会わせられない!」
真新しく取り替えられ、整った部屋をみて、声にならない悲鳴をあげた。シーツの染みさえ恥ずかしいと言うのは自意識過剰だろうが、まだ経験の浅い龍はグロスの背中にコツンと額をぶつける。
「少し寝たらお風呂に行くからね!起きれなかったら、起こしてね?」
「大丈夫さ。そんなの気にしてるの…ソルだけだよ」
恥ずかしさをまぎらわせるように早口で捲し立てると、ソルはさっさとベッドに入った。グロスはケラケラ笑いながら、ソルの頭をポンポンと叩く。クルーにしてみれば、汚れたシーツを交換するなんて単なる仕事の一つ。誰が汚したか、どんな風に汚したかなんて、いちいち気にしてはいない。
キスマークにしても、本人が気にするほど周りは見ていないものだ。まぁ、そんな恥じらいを持つソルも可愛らしい。文句を言いながら、綺麗になったベッドで気持ちよさそうに寝ていたし。
「そろそろ…行くか?」
賑やかだった廊下からの足音も、少し前から聞こえなくなった。月が高く南天に輝いているし、そろそろ大浴場も人がはけた頃だろう。ゆさゆさ揺すって、ソルを起こす。
「もう少しだけ…」
揺さぶられているのは分かっていても、ソルはすぐには起きられず。気持ちよい眠りのなかに戻ろうとするところを、耳元で「今を逃したら、また風呂が混んじゃうぞ」と囁かれ、無理矢理目を開いた。
「うー…眠すぎる。グロスはずっと起きてたの?」
目をごしごし擦りながら浴室へ。何とか目を覚ましたものの、足取りはふらついている。もっとも、ふらついている原因は眠さだけではなく…動きすぎによるものかもしれない。
「しっかり洗って来いよ。あまり長く湯に浸かっていると疲れるから、ほどほどの方がいいと思う」
ソルと別れて男湯へ。大浴場には年老いた客が、離れたところに二人いるだけだった。グロリアスが湯船に入っても、軽く会釈をしただけの。女湯の方はどうだろう?ソルが過剰に恥ずかしがっていなければいいのだが。
ソルは黙って頷いて女湯へ。もちろん長湯をするつもりは毛頭ない。客が少なくガランとした浴室は、前に入った時より広く感じる。手早く洗ってしまおうと石鹸を泡立てながら自分の身体を見ると、キスマークがそこかしこに散りばめられていた。主に愛された跡、と思うとキュンとしてしまうが、冷静を装う。
「ずいぶんお楽しみだったんだね。その痕を見ると一発や二発じゃないね。羨ましい限りだわ」
悪意は無いものの、世話好きそうなオバチャンにからかわれて、髪の毛の色のように顔を赤くしながら入浴。ともあれ、思ったよりも大騒ぎされなくて、なにより。
三十分の約束が過ぎても、ソルはまだ出てこない。そのうちきっと出てくるだろうが。風呂に入って赤みを増した首筋の赤い痣をさりげなくタオルで覆うと、女湯の暖簾を眺めながらクスッと笑った。
「ずいぶん…長かったな」
「オバチャンに…ちょっとね…。ううん?…何でもない」
ちょっと遅れて出てきたソルの顔が、なんだかやけに赤い。女湯の中でからかわれでもしたのだろうか?気にする事などないのに。湯上りで上気したその表情はとても艶っぽく、思わず胸を高鳴らせる。
口に出して言うと更に恥ずかしい事に気づいて、ソルは言葉を引っ込める。不思議そうな表情をするグロスを、顔を見られなくても済むように後ろから押すようにして客室へ戻った。
「なんか…ちょっと疲れたな」
風呂上りである事を差し引いてもこの気怠さは、やはり何度も何度も激しく求め合ったせいだろうか。ベッドにごろりと横になると、洗濯糊の仄かな匂いがグロスの鼻をくすぐった。
部屋に入るなりゴロンとベッドに横になるグロスの横に、当然のように丸くなって眠る。サラサラとしたシーツの感触が気持ちいい。入浴後の疲労感も相まって、寝息を立てるのにも時間はかからなかった。
ベッドは二台あるが、なぜか一つのベッドで眠る。やっとやっと二人が乗れる狭いベッドの上で、抱き合いながら。
翌日どちらからともなく目が覚めると、また二人で抱き合い、キスをして、愛を確かめた。食事に行く間も惜しみ、お互いの体を貪り合う。時が経つのも忘れて。
やがて貿易船の汽笛が鳴った。窓の向こうに陸地が見える。帰ってきたのだ…西の大陸に。
「ソルッ!下船の準備だっ!もうじき港に着くぞっっ!!」
「船を降りたらエスペランサを思いっきり走らせてあげないとね。運動不足で狂いそうだって、エスペランサが言ってたよ」
「それ…ソルが疲れてて飛べないからじゃないのか?」
苦笑いを浮かべながら呟く。耳にしたソルは「違うもんっ!」とでも言いたげに頬を膨らませた。
「あ…あれ?」
客船を背に歩き出して、ふと思い出した。あの時のトランプ…まだポケットの中に入ったままになっている。別にその辺に捨てても良かったのだが、ソルの危機的状況を救ってくれたアイテムである。やっぱり、船に戻しておかなくては。
「ソル…ちょっと船に戻る。エスペランサと一緒に、ここで待っててくれ。」
馬を公園の樹に繋ぎ、ソルを残して走り出した。この時はまだ知る由もない。この安易な行動が後にとんでもない事態を引き起こす事になろうとは、その時のグロスには、まだ知る由もない。




