幕間 十七歳
「——なんだか、今日は機嫌が良さそうだね?」
足取りが軽い自覚はあった。だが、それを見抜かれたことで実感として心まで跳ねるのがわかった。
「聞いて、今日の私は今までとは少し違うの」
好奇心の詰まったカルドの視線が、こちらの全身をくるりと見渡し、最後にテオの瞳をじっと見つめる。くっきりとした目が三日月形に歪んで、教えてよ、と悪戯っぽく言った。
テオはニヤリと不敵な笑みを浮かべ、その場に座ってカルドに身を寄せ、誇らしげに胸を張ってみせた。
「私、先日一つ歳を取りまして、十七歳になりました!」
「えぇ! おめでとう!」
ぱちぱち、と厚い拍手を受け、ありがとう、とはにかみながら返す。
「誕生日かぁ。いつだったの?」
「二十八の日、だから三日前ね」
「ついこの間じゃん。お誕生日会とかした?」
「ええ! 家族でね。お父様が久しぶりに帰ってきてくれて、みんなで食事できたの」
「お出かけとかは?」
「ううん、私が、家がいいって言ったの。でも楽しかったわよ? 各名家の方々からプレゼントが贈られてきて、みんなで開封会をしたりして」
「それはよかった」
この国の皆様はどうも律儀すぎる。一度どこかで挨拶した程度の知り合いから花束が贈られてきたり、こんな端っこの王族にも陛下から直筆の手紙が届いたり。毎年のことではあるけれど、年によっていただくものも変わるから、いつもワクワクしながら家族でリアクションするのが楽しい。
楽しそうに話を聞いていたカルドはしみじみと、十七歳かぁ、と呟いた。多くの大人が、若いね、と後に続ける言葉だった。あなたは今いくつなの? 誕生日はいつ? そんな質問が心に浮かぶ。だが、それを口にするより先に、彼の方が口を開いた。ただし、若いね、という言葉ではなかった。
「十七歳になってみてどう?」
心境の変化は、正直あまりない。一つ歳を取ったとて、生活が急に変わったわけでもあるまいし。十七というのはなんだか中途半端な年齢だ。十五なら成人だし、十八なら結婚の縁歳なんて言われるのに。
——あ。
「……お母様がお父様と出会ったのが、十七歳だったって言ってた」
王国の祭祀か何かで王城を訪れた際に知り合い、機会があって何度か顔を合わせるうちに文通するようになり、結婚に至ったと。
「お父さんは、お城勤めなんだっけ?」
「そう。結婚を決めた時には既に、遠距離恋愛は免れなかったみたい」
相当な覚悟が必要だったはずだ。王城で一族代々書記官を務めるトートルの家と、王族として国の東に屋敷を構えるアリスの家。互いに家を離れられないことは明らかで、それによる問題も困難も見え透いていた。それでも、共に愛し合うことを誓った。
「お父様は、お母様との出逢いを、運命だったって言ってた」
私はな、昔から時間には厳しかったんだ。それが書記官の在るべき仕事だからな。だが、たまたま不測の事態で予定が狂っていた日に、本来私はいるはずのなかった場所で、アリスに出逢った。一目惚れだった。予定が狂っていたことに感謝したのなんて初めてだったよ。
テオが幼い頃、トートルはそう語っていた。隣でアリスが顔を赤らめながら、その話はもう何回も聞いたわよ、と呆れていた。
「お母様たちみたいなロマンチックな恋ができたらいいなって思う」
お見合いとかも悪くはないけれど、なんだかもの足りない。偶然に出逢う相手と結ばれる恋の方がロマンを感じてしまう。テオが夢を見すぎなのだろうか。
「できるよ。君なら、素敵な運命の人に巡り会える」
そう唱えたカルドの声が、妙に強い声をしていて、思わずその顔を見つめる。
「……本当に?」
「うん。だって君は素敵な人だもの。僕が保証するよ」
そうかな、と言いかけて、やめた。代わりに素直にありがとう、と返すと、カルドも穏やかに笑った。見慣れた儚い笑顔。彼は元から顔が儚げだから、笑って目尻が下がるとなんだか泣きそうに見えるのだ。
でも、彼は強いから泣かない。ただの気のせいだ。
カーン、と聞き慣れた鐘の音が響く。もう行かなくちゃ、と立ち上がると、そっと遠慮がちに、指先にひんやりとしたものが触れた。驚いて振り返ると、カルドがテオの手を控えめに掴んでいた。
「——え、ど、どうしたの?」
「お祈り終わるのって、日が暮れる頃だったよね。帰り際、少しだけ会いに行ってもいい?」
主人の帰りを待つ犬のような、親の袖を握る子供のような、寂しげで純粋な瞳。
喉が詰まる。
「う、わ、わかった、待ってる!」
「ありがとう。掴んじゃってごめんね。じゃあ、頑張ってね」
手が離れ、ぱひゅんと逃げるように駆け出す。挨拶をし忘れたことに気付いたけれど、それどころではなかった。掴んだ手は冷たかったのに、掴まれた指先が熱くて、顔にまでその熱が移ってしまったようだ。
これまでたくさん、色々な話をしてきたけれど。直接肌に触れたのは、初めてのことだった。
***
こんなにも集中できないお祈りなどなかった。触れた手のことばかり考えた。それが落ち着いたと思えば、帰り際に会いに来てくれることが頭の中を埋め尽くした。
幸い、神父にはバレなかったようだが、お陰で女神様に、誕生日を迎えたことをきちんと報告できなかった。どうしてくれるのかと八つ当たりしかけて、その度口元が緩むのを抑える。こんな欲にまみれたテオをどうしよう。時間が過ぎるのが妙に遅く感じた。
終わりを告げる鐘が鳴って、神父の締めの言葉も聞き流し、挨拶もそこそこに、ソロルたちが支度を終わらせるより先に教会をとび出した。
辺りを見回す。門の前に止まる馬車の傍に、黒い人影が伸びている。姿を確認しなくてもわかった。
「カルドさん! おまたせしました!」
叫びながら門の外にとび出すと、カルドが目を丸くしてこちらを振り返った。こちらの息が上がっているのに気がついて、急がなくてよかったのに、と肩を下ろす。
夕暮れに映されるカルドが珍しくて、ついまじまじと見つめてしまったが、ふと我に返って本題を切り出した。
「どうしたの? 何か、用事でも」
カルドは子供のような無邪気な笑みを浮かべ、一歩こちらに近付いた。顎を持ち上げて顔を見ると、背丈の違いを実感した。
「目を閉じて?」
どくん、と心臓が跳ねる。なんだろう。ぎゅ、と強く目を閉じる。見ちゃ駄目だよ、と囁く声が妙に近く感じる。耳を澄ませばカルドの息遣いを感じる。衣擦れの音。瞼の向こうで一瞬、光が遮られて。
頭に輪っか状の何かが触れた。いや、乗せられた?
「もういいよ」
視界に光を取り込む。そっと頭に触れると、ふわりと柔らかな感触がした。これは、花?
「クローバーの花冠。作ったんだ。ちなみに、四葉も入ってるよ」
壊れないように慎重に持ち上げ、目の前まで持ってくる。白い花と三葉を交えた花冠。作り慣れているのか、はたまた練習したのか、ほつれもなく綺麗に仕上がっている。そして、探してみるとひとつだけ、四葉が混じっていた。見つけたら幸運が訪れるという伝承のある四葉。探してくれたのだ。
「それからもうひとつ。誕生日プレゼント」
カルドの手が差し出され、その上に、星のような模様を彫った石がある。白っぽくて、水晶のような透明感のある石。持ち上げるとずっしりと重みがあり、繊細な彫刻がきらりと光を反射した。
テオはこれに見覚えがあった。
「これ、いつも腰につけてるやつじゃない」
「よく覚えてたね。そうだよ。星読みのお守り。道に迷っても方角がわかるようにって」
「大事なものじゃないの?」
「大事だよ。だから、大事な君にあげる」
はっきりと告げたその声に、胸を打たれる。先日貰った色とりどりの花束よりも、高価なアクセサリーよりも、陛下直筆の手紙よりも、どのプレゼントよりも、心が踊って弾んで跳ねて、熱い。
「急遽用意したから、あんまりちゃんとした物じゃなくて申し訳ないんだけど……」
「ううん。これがいい。すごく嬉しい。ありがとう」
最高の十七歳。今日の出来事ひとつだけで、歳を取ってよかったとすら言える。
胸がいっぱいだ。大きく呼吸をすると、心だけでなく身体まで満たされた気持ちになる。もう一度、ありがとう、と言葉にすると、どういたしまして、とカルドも嬉しそうに笑った。
「……ねぇ。カルドさんの誕生日は、いつ?」
思い切って、口にする。どうしてもこれだけは訊きたかった。カルドが、己のことをあまり話したがらないということを知っていても。
カルドは、僅かに表情を硬くした。空気の糸がほんの少し張ったのがわかった。テオは、束の間の沈黙に固唾を呑んで、目を伏せ、胸の内で祈る。お願いします。どうか、彼が拒みませんように、門を閉ざしてしまいませんように、どうか。
「——十二月の、二十四の日」
少し掠れた声で、ひとつの日付を告げる。目線を上げると、カルドはいつもの儚げな、穏やかな笑みを浮かべていた。彼の誕生日は、十二月の二十四の日。冬の真っ只中、年末の末。
「そうなの。教えてくれてありがとう。今年のその日は、私にもあなたの誕生をお祝いさせてね」
「そうしてくれたら、嬉しい。ありがと」
じゃあまたね、とカルドは手を振った。テオがまたね、と返したのを確認して、彼は姿を消す。
何をプレゼントしよう、なんて考えながら、手の中のお守りを眺める。白く透明なそれに、夕陽が映り込む。
その光を覗き込もうとして、教会の扉が開く音が聞こえ、慌てて敷地内に戻る。中から出てきたソロルが、訝しげにテオを凝視した。目を合わせないように横をすり抜ける。
睨むような目線が、痛くなかった。きっとお守りのおかげだ。そういうことにしておこう。




