第7話 支度
「あら。いいじゃない」
執務の合間に顔を覗かせたアリスの声に、「でしょ!」とテオが胸を張る。二人の様子に、リアが顔を赤らめてはにかんだ。
頼んでいたリアの新しい正装。赤い髪によく映える、深いエメラルドグリーンのジャケットに、ダークブラウンのパンツとベスト。胸元には王家の紋章を象った金のブローチ。その真ん中には深紅のルビーがはめられている。
リアの傍に寄ったアリスは足先から頭まで見渡して、満足そうに頷いた。
「この金色の刺繍が繊細でとても綺麗ね。個人的には、全体にもう少し光沢がほしいところだけれど」
「そうよね? 私もそう思ってリアに言ったんだけど……」
「これぐらいがちょうどいいよ」
謙虚な弟ですこと。テオとアリスは顔を見合せ、くるりと目配せをする。
「じゃあ、アクセサリーを足しましょうか。屋敷ならともかく、しばらくは王城で過ごすんだから、あまり地味だと威厳が保たれないわ」
サンプルを見せてもらえるかしら、というアリスの声を受け、仕立て屋が急ぎアクセサリーケースを取りに行く。
「テオの方はどう?」
「とても素敵だったわ。一着は、リアのとお揃いのエメラルドグリーンにしたの」
「そう、ぜひ見たかったわね。でも、あなたの方はあまり心配していないから、気に入ったのならよかったわ」
これには思わず手柄顔。テオ自身、お洒落にはそれなりに造詣があると自負しているが、アリス公認をいただけたようで誇らしい。
くす、と笑ったアリスは、仕立て屋が持ってきたアクセサリーを眺め、その中にあった銀時計を指した。
「この懐中時計、金の物はない?」
「今から作らせましょうか? 時間はかかってしまいますが、自分が仲介して時計屋に安くしてもらえますよ」
「そうねぇ……そうだわ。夫の古いものがあるから、それを調整してもらえるかしら」
「かしこまりました! 調整だけでしたら、数日でお返しできます!」
アリスに命じられて、年配の使用人が保管されている時計を取りに行く。その背中を見届けて、手持ち無沙汰なリアにアリスが声を掛ける。
「リア、次の服に着替えなさい。まだ試着していないのが残っているでしょう」
はーい、と返した声を受けて、アリスとテオは退室。あとは着替え終わって再び呼ばれるのを待つとしよう。自室に戻ろうとしたところで、アリスに呼び止められた。
「なぁに、お母様」
テオが振り返ると、彼女はなんだか、申し訳なさそうな、困ったような表情を浮かべていた。テオが不思議そうに見つめると、しどろもどろ、視線を泳がせながら、苦笑いを浮かべた。
「あなたが嫌がる話を思い出したの」
なんだろう、と推測してみる。思い出すきっかけは。リア? 時計? エメラルド色? 少なくとも、テオに思い当たりはなかった。
なぁに、と再び問えば、アリスは意を決したようで、真っ直ぐにこちらを見据えて告げた。
「王城に行ったら、婚約者を探すわよ」
——その話か。流石にそろそろ、逃れられないらしい。
テオが胸に溜めた息を吐くと、自然と肩が落ちた。だがそれを隠すように、どうにか口角を持ち上げる。
「寂しいな。家を出る日を想像するの」
「そう、ね。私も寂しいわ。でも、大丈夫よ。他の家に嫁いでも、あなたの実家はここにあるから」
不意に、泣きたくなる。慌てて視線を逸らし、ぐっと喉の辺りに込み上げてくる感情を、どうにか呑み下した。
「良い人に、巡り合えるといいな」
「あら、受け身でいちゃ駄目よ。テオ、あなたが選ぶの」
アリスは、どこか不敵な笑みを浮かべて、瞳に麗しい光を携えていた。
「体裁はいいから、あなたがこの人が良いと思う相手を選びなさい」
——本当は、喜んで笑って頷きたかった。そうするのが正解だと知っていた。
選ばないという選択肢は、ここにはない。体裁を気にせず選ぶことはできても、誰かは選ばなければならない。それに、体裁を気にせず、というのも本当は条件付きということを知っている。
許されないのだ。テオが本当に望む相手を選ぶことなど。
「……嫌だなぁ」
結婚なんてしなくてもいい。或いはもっと、自由なタイミングで好きな相手と結婚したい。今というタイミングも、選べる相手も、本当はもっと広い世界があって、ここは狭い箱の中であることを、テオはもう知ってしまっている。
テオの呟きに、アリスはやれやれといった感じで「テオ」と名を呼んだ。
「気持ちはわかるわ。私もあなたくらいの年齢だった頃は、結婚なんてしたくなかったもの」
てっきり諫められると思っていたテオは拍子抜けして、ぱちくりと瞬きをする。
「でも、案外悪くないわよ。まぁ、あなたと私じゃ、婿を迎える側と嫁に行く側で違うなんて言われたら何も言い返せないけれど。他人と家族になるっていうのは良いことだと思うわ」
もちろん相手は選んでね、とアリスは片目を瞑ってみせる。彼女の姿勢に絆されて、つい、本音を零しそうになる。
「うーん。そうじゃないの。私もいつかは結婚したいなぁって思うけれど、今じゃないって感じるの。もう少し、遊んでいたいなぁって」
「あらやだ。いったいどこで男遊びなんて覚えたのかしら」
「え、いや、そうじゃなくて!」
両手を振って大慌てで否定するテオを見て、アリスはからかうように笑った。その姿に、思わず頬を膨らませる。
「お母様の意地悪」
「ごめんなさいね、かわいくって。若いわねぇ。ただ私からは、いつかって言っているうちに時期を逃しちゃうわよ、とだけ」
わかってる。若さは永遠じゃない。なんなら、テオの年齢で婚約者を探し始める時点で出遅れている。ロサ姫やリリ姫などは、十八になってすぐに結婚していた。ここまで引き延ばせたのは、母の情けによるものが大きい。わかっているのだ。
黙り込んだテオを見て、アリスはそっと傍に寄ってテオを抱きしめた。
「何か悩みでも愚痴でも、小さなことでもいいから、相談してね。あなたはしっかりしているから私もそれに甘えてしまうけれど、私の前では良い子でいる必要もないんだから」
ふわりと、薔薇の香りがした。母の香水。だが、抱きしめられて至近距離で息をすると、仄かにアンバーの香りも鼻をくすぐる。太陽色をしたそれは、気品高く、かつ、温かかった。
「ありがとう、お母様。私も、心を決めなきゃね」
いつまでも子供のように駄々をこねてはいられない。強かに笑みを浮かべたテオに、アリスも目尻を下げて穏やかに微笑んだ。




