第6話 日々
頬杖をつきながら、本のページを捲る。とある旅人による、砂漠の民の集落を描いた、挿絵付きの旅行記。日干し煉瓦の家。多肉植物。黒髪の砂漠の民。ペイントを施した民族衣装。女神信仰。魔術。交易。
目を瞑って、見知った砂漠の民を思い浮かべる。砂漠にはない広葉樹の木陰に腰掛けている。緩く括られたふわふわの長い黒髪。濃い灰色の外套と、茶色を主とした動きやすそうな服装。信仰の話は深くしたことがないが、自分は女神信徒ではない、と言っていたことは覚えている。魔術は、実際に見たことがある。魔の気配ひとつ感じさせない術が、相当洗練されたものであることはわかった。
普段は、商売や用心棒で稼ぎながら旅をしているらしい。砂漠の警備隊に入ったらどうかと提案してみたが、反応はイマイチだった。言葉を選びながら、どこか切なくも見える表情で、気ままに生きていたいから、と。
彼が自由を愛する人であることは当時既に理解していた。だからそれ以上のことは尋ねなかった。
——こつこつ、と柔らかなノックの音がテオを現実に引き戻す。返事をすると、扉の向こうから若い女声が響いた。
「テオ様、お茶の時間にしませんか?」
入るよう促すと、侍女のサリーがトレーを抱えて現れた。
「イチジクの紅茶を仕入れたんです。それから、料理長がベリーのタルトを焼いてくださいました」
ありがとう、と返事をしながら立ち上がり、窓辺のテーブルに移動する。
「もしよかったら、サリーも一緒に休憩しない?」
「いいのですか。では、遠慮なく」
円形のテーブルに並んで座って、二人揃ってティーカップを傾ける。サリーの分のタルトも持ってきてもらえばよかった。半分食べる? と聞いたが、彼女は慎ましく首を横に振った。テオ様に満足して食べていただきたいので、と。別に、量が半減したら満足度も半減、なんてことはないのだが。せっかくの厚意なので素直に受け取ることにする。
開けた窓から吹き込む風で、カーテンが揺れていた。土と草の青い匂い。庭に植えられた木々の葉が擦れる音。
少し背筋を伸ばして窓の外を見下ろすと、家々の屋根の間から、村の様子が見える。あそこに立っているのは、フォル。農具やバケツを両腕に抱え持って運んでいる。——と、そこにソロルが近付く。何やら話をして、フォルの持つバケツを受け取って並んで歩き出した。あら、お優しいこと。
不意に、フォルの視線がこちらを向いた。きらりと瞳が輝いて、先程までバケツを持っていた手を大きく振る。テオも小さく振り返すが、フォルの隣のソロルがわかりやすく目を細めているのを見て、すぐに手を下ろし、椅子を動かして窓辺から少し離れた。残念そうにするフォルの顔が思い浮かぶが、それよりも、切れ長の目が瞼の裏でこちらを睨んでいた。
また一口、紅茶を口に含む。フルーティな香りの中に紅茶の仄かな苦みが混ざって、甘いタルトにはよく合う。
「美味しい」
独り言のように呟くと、サリーが嬉しそうに、よかったです、と笑った。
「イチジクって、あちこちでよく採れるものなの?」
「どうでしょう。今が旬とは聞きますが……どうしてですか?」
「えっと、知り合いの旅人が、前に食べていたのを見たから」
彼はなんだか、よく果物を食べている気がする。携帯しているという干しブドウだとか、森になっていたというビワだとか、市場で買ったというリンゴだとか。何度か分けてもらったこともある。どれも、家で食べるのよりどこか甘酸っぱかった。
「料理長に聞いておきましょうか?」
「ううん、いい。ありがとう」
せっかくなら彼への土産話にしよう、と思った。次行くときにはそんなことは忘れているかもしれないけれど。話のタネを考えるだけで気分が上がるから、無駄なことではない。
「……王城のご飯も、きっとすごく美味しいんでしょうね」
何せ国の中心地、あらゆる地方の物が集まる場所だ。食材そのものが美味しいだけでなく、城には腕のいい料理人もいることだろうし。いつ行っても城の文化は華やかで飽きない。食をはじめとして、城下の観光もぜひしたいところだ。
「料理長が、自分も行きたかったってぼやいていましたよ。アリス様に頼んで駄目ならリア様にお願いする、とか言って」
「ふふ。駄目よ、サドゥスさんの奥さん、またご懐妊したんでしょ」
「流石に冗談でしょうけど。何かお土産を考えなきゃいけませんね」
何が良いだろう、と想像する。料理長以外の屋敷の従業員たちに配るつもりだから、たくさん手に入るものがいい。子供も食べられるお菓子が無難かもしれない。だが、前に行った時の土産にも苺のクッキーを配った記憶がある。それと違うお菓子なら喜んでもらえるだろうか。
目を瞑って、皆が喜ぶ顔を思い浮かべる。腰の重い務めではあるが、皆の笑顔のためならば安いものだ。
「一緒に城下町を見て回ろうね。きっとどこかで暇な時間も生まれるはずだから」
「ぜひ! 私、城下町の串焼き肉食べたいんですよね」
「また? 前も散々食べてたじゃない」
「だって美味しかったんですもん」
サリーの弾んだ声に癒される。いつも澄んだ顔で仕事をこなす彼女が楽しそうに話してくれると、主人としても冥利に尽きるものだ。彼女にとっても、ただ仕事するだけじゃない、楽しい旅になればいいなと、そう願った。




