第4話 晩餐
「リアの登城が決まったわ」
三人が座った夜のダイニングテーブルに、溜息のような声が零れた。大きな声ではなかったけれど、報せを聞かせるには十分な声量だった。スープを口に運んでいた手を止め、テオは声の主――母、アリスの顔を見る。王族の血を引く者特有の黄金色の瞳に、暗く落ち込んだ影。ただならぬ気配を察した姉弟は、重たい空気をどうにか持ち上げようと明るい声色で返答した。
「それって、めでたいことじゃないのか?」
「何か問題があるの?」
「問題……そうね、色々と」
子供たちの努力を察してかアリスは微笑んでみせたが、疲弊の色は隠しきれずに滲んでいる。テオとリアが揃って不思議そうに母の顔を見つめると、彼女は肩を落として、持っていたスプーンを皿の縁に掛けて置いた。
「今、この国には世継ぎがいないのよ。国王陛下には三人の姫様がいるけれど、しきたり上、女性は王位を継げないから」
テオはスープを口に含みながら、それはおかしな話だと思った。確かに陛下にはご子息はいないけれど。
「でも、ロサ様とリリ様に一人ずつ男児が生まれたじゃない。確か、今年で三歳になるのよね?」
上二人の姫それぞれに、男児がいる。同じ年に二人の王子が生まれたということで、こんな国外れの村でも祭りが行われるほど、派手に祝われていたことをよく覚えている。
その通りよ、とアリスは短く肯定した後で、でも、と付け加えた。
「次の世継ぎとしては、まだ幼すぎるわ」
「まさか、陛下も今すぐ退位するわけじゃないだろ。確かにもう五十も半ばだけど……」
リアの言う通りだ。テオもうんうんと頷いた。
若くはないけれど、まだまだ現役。病などの報せも聞かないし、何事もなければもう十年くらいはお元気でいらっしゃることだろう。実際、先王は齢六十七まで生きたわけだし。
アリスは、とうとう本当に溜息を零した。無知な子供たちに呆れたわけではないことはわかった。
「……魔王復活の予言が下りていることはあなたたちも知っているでしょう」
思いもよらぬ話題に、リアが隣で首を傾げた。その話題についてわからなかったわけではなかった。
「知ってるよ。魔王の器となる人が消息不明なんだろ。表向きでは処刑されたことになってるけど」
テオも頷いて続きを促すと、アリスは目を細めて空を睨み、すぐに隠すように目を伏せた。
「魔王が復活すれば、聖なる光の力を持つ王族が――国王が、封印する定めにある。でも今の陛下は魔王と戦うにはお歳を召しているし、かといって王子は幼い。だから、今回の封印の役目を、リアにやらせようという動きがあるの」
つまり、それは。
「えっ、リアが次の国王になるってこと!?」
思わず大声を出してしまい、テオは慌てて手で口元を覆う。ちらと周りを窺えば、こちらの言葉を聞いたリアの口が丸くぽかんと開いてしまっている。
あまりに驚いた顔をしていたのが滑稽だったのか、アリスはほんの一瞬だけ口角を緩めたが、すぐにまた険しい顔に戻って、ゆっくりと首を縦に振った。
「もしかしたらそうなるかもしれないわね」
大変なことだ、とテオは他人事のようにぼんやりと考えていた。あいにく、テオは王位なんかには興味がないため、弟が国王になったところで何の感慨も湧かないけれど。遠くから迫ってくる、平穏な日常の崩れる音が、耳を通って体内に潜り込み、頭の中をゆっくりと掻き混ぜ始めていた。
そこへ、いくらか冷静さを取り戻したらしいリアが、え、とどこか間の抜けた声を発した。
「それって、めでたいことじゃないのか?」
再び先程の話題に戻る。適齢の世継ぎがいないという問題。魔王封印という問題。リアが国王になるという問題。「色々と」事情があることはわかった。
だが、アリスが今何を憂いているのかがまだ見えない。リアへの同情? 当事者意識? それとも先行き不安な国を憂いているのか。
「逆に聞くけれど、リア、あなたはめでたいことだと思うの?」
この質問は想定外だったのか、リアは言葉を詰まらせた。感情と理性を分けて、言葉を選んで、吐き出すまでにはいくらか時間を要したようだった。
「……個人的には、責任が大きすぎてあんまり気が進まないけど。門出って意味では、めでたいことだと思う」
「そう。私は嫌よ。全くめでたいことだと思えないわ」
リアとは対照的にバッサリと言い放ったアリスに、テオは思わず周囲を見回してしまった。扉の傍で控える従者たちの、気まずそうな視線が交錯する。まずいことを聞いてしまった、とでも言いたげだ。
しかし尚も躊躇うことなくアリスは言葉を続ける。
「だって、これって要はリアに危険な役割を押し付けているだけじゃない。国王になると言っても、きっと実権は陛下が握るのでしょうし。完全に良いように使われているだけよ」
そこでようやく、テオはアリスの本心を理解した。母は、息子の危険を案じて怒っているのだ。身勝手で理不尽な国家に。
本来、王に怒るなんて許されざることだ。もちろん、不満を訴えるだけで処刑されるほど荒れてはいないが、王の権力は絶対であり、王位継承権すら持たないテオ一家は逆らえる立場にない。それなのに平然とした顔で政治批判ができるアリスは、全く強かな母である。
心に痞えていたものを吐き出してすっきりしたのか、アリスはふうと一息ついて、置いていたスプーンを再び手に取った。
「陛下の命令とあらば断ることもできないから、行くしかないけれど。でもね、リア。嫌なら嫌って言っても良いのよ」
もちろん場所は選んでね、と付け足して、彼女は冷めてしまったスープを口に運ぶ。おずおずと召使が近付いて、温め直しましょうか、と提案したが、彼女は大丈夫よ、と返して食事を続けた。
一方リアは、拍子抜けしたようにアリスを見つめていた。彼の心中は察するに余りある。高貴な王族は、公の前で本心を晒すべきではない。そう言い聞かされて育てられたから。嫌と言っても良いなんて言葉を受け、どう反応したらいいのかわからないのだろう。
沈黙が落ちたダイニングで、食器とスプーンが触れ合う小さな音だけが聞こえる。テオも食事に戻ろうとして、ふと湧いた疑問を口にした。
「お城に行くのは、リアだけ?」
今の話だと、王家が欲しがっているのは次期国王候補のリアであって、テオはお呼ばれではないだろう。屋敷の主たるアリスも、長くここを留守にできないし。
リアを一人で行かせるのも不安ではあるが、王城には、アリスの婿でありテオたちの父であるトートルが働いている。たまにしか帰ってこられないため交流は浅いものの、会えば和やかに近況を話す間柄ではある。味方がいないなんて事態にはならないだろう。
だから、テオは留守番だと思っての確認だったのに。
「いいえ。私とテオも行くわよ。あまり長くは滞在できないけれど、陛下にご挨拶くらいはしなくちゃ」
トートルにも久々に会いたいし、とついでのように言ったアリスの言葉はほとんど耳に入らなかった。
先程まで他人事だった出来事が、急激に現実味を帯び始める。前回登城したのはいつだったか。確か、テオの成年報告の挨拶のとき、つまり、二年ほど前。数字で聞くと意外と最近のようにも感じるが、体感的にはもう遠い昔のように感じられた。何せ当時は、王子が生まれて間もないということで王城全体が忙しくしていたため、早いうちに帰ってきてしまったのだ。
今回も長くは滞在できないと言われたものの、行くのと行かないのとでは当然訳が違う。準備をしなくては。身支度だけじゃなくて、心構えも併せて。
「そう、だから二人とも、旅支度を済ませておいてね」
テオの考えを読んだかのように、アリスが穏やかに告げる。
弟と口を揃えて返事をしたテオは、誰にも気付かれないように、小さく溜息をついた。




