第2話 信仰
この世界は、光の女神ルクス様によって守られています。
全ての生き物の源である太陽は女神様の光そのものですし、魔が世界に蔓延る闇夜にも、女神様のお導きである月が微笑んでいるでしょう。
その恩恵を受けて生きる我々は、生きていることに感謝し、祈りを捧げなければなりません。女神様は、一人一人の心と繋がっているのです。ですから、己の心と向き合い、祈り続ければ、必ずや女神様は応えてくれるでしょう。
「――ソロル。居眠りをしてはいけません。お祈り中ですよ」
提唱の途中で、突如温度を失った声がぴしゃりと少女の名を呼ぶ。静寂に満ちた聖堂に、その低い声はよく響いた。テオの右隣でゆらゆら舟を漕いでいたソロルが、びくりと身体を震わせて姿勢を取り繕う。眠ってなんかいませんよとでも言うように。だが、神父の眼差しは眼鏡越しでも針のように鋭く突き刺した。
「あなたももう十七でしょう。最年長なんですから、もっと模範たるべきです」
テオがうっすらと目を開けて隣を盗み見ると、斜め上の方にふてくされたソロルの顔があった。気配を察知したのか、その不満げな視線がテオに浴びせられる。目が合うと、ソロルの目尻が吊り上がったように見えた。知らんふりして再び目を瞑る。だが。
「少しはテオ様を見習ったらどうですか」
神父の追い打ちに、テオの眉間に力が入る。お願いだから、こちらの名前を出さないでほしい。そんな願いを神父が知る由もない。ソロルは何も言い返さぬまま、隣の人にだけ聞こえる程度の音量で舌打ちをした。ほら。
テオは小さく零した息と共に雑念を吐き出し、どうにか意識を己の内に向ける。周りの些細なことに心を揺さぶられている場合ではない。ただ一心に、祈りを。
瞼の向こう、ステンドグラスを通り抜けたカラフルな光が見える。あちこちに散乱した光は、聖堂全体を照らすばかりで、テオたちには見向きもしない。唯一、前方に仁王立つ女神像だけが、スポットライトのように真っ直ぐな光を浴びていた。
***
「最年長って、姫の誕生日が遅いだけで同い年じゃんね」
教会の扉をくぐったところで、テオは思わず身を縮こまらせた。門のすぐ傍で、声高にソロルが語っている。茜色に染まって傾いた日が、三つの人影を足元にまで長く伸ばしていた。その影の内の一つであるカウダの声もする。
「姫は姫なんだから、一緒にしないでほしいよねぇ」
「ほんと。てかさ、あの子、あたしのこと見てたんだけど。絶対心の中で馬鹿にしてるよ」
「えぇー! やだぁ」
クスクスクス。井戸端に集まる小鳥たち。宛もなく放たれ、迷いなく刺してくる棘。突き刺さったらもう抜けないのに。
扉の隣の外壁に背を預けて、テオはじっと帰りの時間を待つ。どうせすぐに馭者が来る。
遠目から娘たちの姿を眺めながら、一番背丈の小さな少女に目を向けた。歪な愛想笑いを浮かべてソロルとカウダに交互に顔を向けている彼女。名前は、ティム。こちらに気付いている彼女の視線がちらちらと、テオを窺っているのが痛いほどわかる。
見ていられなくなって、テオは外壁伝いに歩きだした。その場から逃げるように背を向けて。
角を曲がったところで、足を止める。壁に寄りかかる大きな男が行く手を阻んだ。顎を持ち上げて顔を見ようとしても、視線は合わない。それもそのはず、左目につけられた眼帯がテオの姿を隠していた。
だが、彼は驚く様子一つ見せなかった。布と皮であしらわれた軽装の制服が衣擦れ音も立てずに動き、胸元に刻まれた国の紋章がテオを正面に置く。そして、眼帯のついていない方、一重瞼の細い目が、柔らかな雰囲気を纏って微笑んだ。
「テオ様。どうかいたしましたか?」
低くて明瞭で、ゆったりと落ち着いた声。それを耳にしただけで、気付けば表情が緩んでいた。
「なんでもない。ルカさんこそ、こんなところで何してるの?」
「少しばかり、休憩を。この後に護衛の仕事が控えているので」
「そう。いつもありがとうね」
光栄です、とルカは短く返した。テオは、彼のこういうところが気に入っている。誇り高いのに、驕らないところが。以前テオがそう褒めて伝えてみたところ、彼は自信に満ちた表情で、当然です、と笑った。騎士たるもの、気高く謙虚にあらねば。
武術を習ったことすらないテオにとって、騎士道精神なんてものは未知のものではあるけれど。貴きものであることはわかる。
「最近は魔獣の数も増えていると聞きますからね。気を抜けません」
「怖いよね」
「ええ。いつどこから湧いてくるかもわかりませんからねぇ」
少なくとも、結界の張られた教会や、街明かりの溢れる村には、招かざる者は入ってこないが。道中はそうもいかない。外に出ればそこはもう危険な世界。特に、光の力が弱まる夜は。地の底からいつの間に湧いた魔獣が、夜道を歩く人を襲うなんてのはよくある話だ。
「あ、でもね、魔獣が湧くのは、黄昏時らしいよ」
いつか教えてもらった豆知識。闇の濃い深夜ではなく、光が闇を飲み込む境目の時間こそが、危険なのだと。
へぇ、と感心したようなルカの声に、テオも思わずふふんと鼻を鳴らした。
「流石、博識ですね、テオ様」
「といっても、友達に聞いた話なんだけどね」
テオが博識だというのなら、その友達はもっと多くを知っている。テオの知らない世界を知っている。巨大なこの国を渡り歩いて、様々な人と交わって、多くの物に触れて。箱庭に生きるテオがどれだけ本を読んだって、人とは違う道を歩んだって、彼が人生で出会う世界の広さには至らないのだろう。
「あの、砂漠の民の青年ですか?」
「そうよ。どうしてわかったの?」
「そりゃあ、自分はテオ様の護衛騎士ですから」
考えてみれば、尋ねるまでもないことである。テオにとって、友達と呼べる人は数えるほどしかいないのだから。見ていればわかる。
「彼、不思議な雰囲気を纏っていますよね。自分は直接話したことはありませんが……いつも遠目に見ていて思います」
「そう、そうなの」
思わず前のめりになって強く頷く。ルカが僅かに身を逸らして目を丸くしたのを気にも留めずに、捲し立てるようにテオは喋っていた。
「大人びているというか、それでいて子供心を忘れていないというか……きっと、良いことも悪いこともたくさん経験してて、ある種の境地を越えた人って感じがするの」
今までテオが出会った中で、こういう人が一定数いる。大抵は歳の離れた大人だ。人生経験が豊富な人に見られる、静謐な強かさを纏う人。
テオは彼の年齢を知らない。容姿や態度からは一見、テオと近い年代にも見える。しかし彼は「砂漠の民」という長寿族だから、見た目だけでは判断できない。ただ、豊かな人ということだけを知っている。
意気込んだテオに対してルカは、ふ、と笑い声を漏らした。微笑ましい、とでも言いたげな笑い方だった。
「素敵な人なんですね」
そうなの、とテオは再度強く頷いた。
今度の機会にルカとカルドを引き合わせてみよう、と思った。きっと、相性は悪くないはずだ。ルカもまた、経験豊富な一大人としての強かさを宿す人だから。
そう決意したところで、門の方から馬の鳴き声が響いた。馭者の準備が済んだのかもしれない。
行きましょうか、と促すルカを従えて、テオは歩き出した。




