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第13話 書庫

 目が活字の上を滑る。言葉が頭を通り抜けていく。ふわぁ、と欠伸をして、テオは頬杖をついた。

 書庫は静かで、ひんやりとしていて、居心地がいい。時間が空いた時にはここに来れば退屈しない。そう思っていたのだが。ずっと本を読んでいるのもなかなか疲れるらしい。読みたい本は尽きないのに、読むための体力が足りない。

 もう一度手元に目を落としてみる。文字の羅列の中にあった「聖術」という言葉が頭に入り込む。ふと先日見たリアの訓練を思い出し、テオは自分の内側に意識を向けてみた。

 身体中に、血のように廻り廻る力の粒子。目を閉じると感じる。それを、手の一点に溜める。手があたたかくなってきたと感じたら、それを、じんわりと外に出力。掌が優しく光って、紙面の字をくっきりと浮かび上がらせた。


「聖術ですか」


 すぐ背後で声がして、肩がビクリととび跳ねた。勢いよく振り返れば、そこに立っていたのはガタイのいい砂漠の民の女性。彼女が騎士団の制服を着ているのを見て、すぐにその正体を理解する。


「ハルウ様」

「ご存知いただけて光栄です」


 記憶する限り、過去に直接話したことはないが。この国で彼女を知らない者などいない。

 ハルウ・バリー。史上初の女騎士団長。


「ごめんなさい、ここで使うのはよくなかったですよね」

「まぁ、魔術と違って聖なる力ですから、害あるものじゃないでしょう」


 そう言ってハルウはにこりと笑う。少し歪な愛想笑いだったが、単に笑い慣れていないだけなのか、好意は感じられたのでほっとして微笑み返す。それを見て安堵したように口角を和らげたハルウが、ふと思い出したように話を切り出した。


「そういえば、リア様も聖術を習っていらっしゃるんでしたっけ」

「ええ、よくご存知で」


 彼女がそれを知っているのが意外だった。騎士団長とはいえ、リアとはさほど関わりがないと思っていた。聞いてみると、リアのことは城内で噂になっているらしい。陛下に一目置かれているとか、気さくで親しみやすいとか。多くは期待の眼差しを込めたものだ。一方、無学無才だとか、田舎者だとかいう声もあると。


「気にしなくて結構ですよ。結局は単なる噂に過ぎませんので。リア様にもそうお伝えください」

「きっとリアはそこまで気にしていないと思います。良くも悪くも鈍感な子なので」

「それは何よりです。人の声は聞こえすぎると毒になる」


 人の声は聞こえすぎると毒になる。名言。


「流石、長年騎士団長をやっていらっしゃるだけに、説得力がありますね」

「伊達に数十年もやってないのでね。いつの時代にも口さがない連中はいますから」


 ハルウもきっと、その毒に苦しんだ経験があるのだろう。彼女の立場は歴史的に見てもかなり異例なものだから。女性で、砂漠の民で、騎士団長。三つの要素が彼女の異彩さを生み出している。しかし、その地位が長く不動であることが、彼女の実力の証。

 彼女の身の上話などを聞いてみたい気もしたが、やめておいた。個人的なことを簡単には話したくないだろうから。


「ところで、ハルウ様はどうしてここに?」

「そうそう、テオ様にお伝えしておきたいことがございまして」


 ハルウの表情が真面目なものになったことで、テオも気が引き締まる。


「王族の方々に注意して回っているのですが。今後もしかしたら、レベリオが狙ってくるかもしれません。どうか護衛は厳重に」


 ひゅっと、首に氷を当てたときのような感覚を覚える。王族の中でも、テオ一家にとっては特に、軽く受け流せない話だった。


「魔王派の組織ですもんね」

「はい。最近、動きが活発になっていると報告を受けています。陛下やリア様の方が狙われる可能性は高いですが、聖術を扱える以上、他の王族も狙われ得るので」


 やめてほしい、とうんざりしたが、それをハルウに吐き出したところで仕方がないので、素直に頷くだけに留めた。

 壊される。魔王の手によって。日常の中の変化ではない。明確な瞬間をもって、覆される。その瞬間が、怖くて仕方がない。想像もしたくない。ぬるい平穏でもずっとそこに浸っていたい。

 テオの表情が暗くなったのを見て、ハルウは慌てた様子で、ですが、と続けた。


「王城は、我々騎士団が厳戒態勢でお護りしますので。リア様含め、傷一つ負わせないと約束します」

「ありがとうございます。頼もしいです」


 不安は拭えないものの、テオは騎士を信じて祈るしかない。


「……レベリオって、どうして魔王に属するのでしょうか」


 この世に女神を信仰しない人がいることはとっくに知っている。彼らにも彼らの正義があることは百も承知している。だから、彼らが完全悪だとは思わないが。もう少し、妥協というか容赦というか、和解の余地はないのだろうか。

 どうでしょうね、と返したハルウはしばし考え込んでいたようだった。歴史的な話をしているわけではないことは、彼女も汲み取ってくれたのだろう。ぜひとも彼女の意見を聞いてみたいと思った。


「きっと、魔王に属するかどうかはあの組織の本質じゃないと思うんですよ」


 だが捻りだされた答えは、テオの予想の斜め上を行っていた。


「どういうことでしょうか」

「あの組織って実は、魔人の割合があまり多くないと言われているんです。幹部が魔人だから自ずと皆がそうであるように見えるだけで」

「え、じゃあ、魔人ではない人はなぜレベリオにいるんでしょうか」

「たぶん、国家に馴染めない者たちが集まる場所になっているんでしょうね」


 国家に馴染めないから、魔王側に行く。いや、少し違う。国家に馴染めなくて行きついた先が、魔王に属する者を筆頭とする集団だった。魔王に属するというのは単なるおまけのようなものだ。


「私は、レベリオの力が強まるというのは即ち、国家からあぶれる者が増えているということだと考えています。あれが魔王側の組織である問題はそこにある」


 たとえ魔王を信仰するのが組織の一部でも、それに従う者が多ければ魔王の勢力が強いということ。それはつまり、王家の衰退と同意。王家が魔王を封印できる力を持っていようと、民がついてこなければその力に意味はない。


「まぁ、レベリオがなぜ魔王に属するかと聞かれると、単純に魔人の運営している組織だからというのが答えだと思いますが。内実はもう少し複雑ということだけ、お答えしておきます。ご満足いただけたでしょうか?」

「ええ。とても有意義な話を聞けました。ありがとうございます」


 こんな話、本を読んでもどこにも載っていない。長年レベリオと対峙してきたハルウにしか話せないことだ。

 良かったです、とハルウは麗しく微笑んだ後、それではそろそろ失礼します、と言ってその場を去った。

 少しだけ、見方が変わった気がした。平和を壊そうとする姿勢は相変わらず理解できないが、ここを平和と思えない者の存在に気が付けた。テオが気付いても何ができるという話ではないが。王族として、覚えておくべきことだと思った。

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