第12話 イオラ
うっすらと暗い講義室の中を覗く。時折光が瞬いて、それを扱う二人の人物を映し出す。
リアに聖術を教えるイオラは、記憶の中の姿よりも大人びて見えた。前に会った時よりも髪が伸びたせいだろうか。或いは、見慣れないパンツ姿だったため、その新鮮さがそう感じさせたのかもしれない。
先にこちらに気付いたリアが手を振り、それを見て振り返ったイオラが、ぱっと表情を明るくして駆け寄ってきた。
「テオ様! お久しぶりです」
「お久しぶりです、イオラ様。ごめんなさい、お邪魔しちゃって」
「いえ、そろそろ休憩する予定だったし、丁度良かったです」
歯を見せて笑うイオラを見ると、テオも自然と頬が緩んだ。
カーテン開けてもいいですかと言うリアの声。イオラがいいよと返すと同時にカーテンが開け放たれ、部屋の半分に灰色の光が取り込まれる。今日の天気は曇りだが、雲があっても外の世界は明るいらしい。イオラが窓辺へ歩いて行き、もう半分のカーテンを開ける。そのままイオラが窓を開け放ったのを見て、テオもそちらに歩み寄る。深呼吸をすると、まだ少しだけ、春の残り香があった。
窓辺に肘をついて風を浴びながら、イオラは上目遣いでテオの方に首を向けた。
「昨日、お姉様方とお茶会だったんでしょう? 大丈夫でしたか?」
ええ、と頷きかけて、ふと動きを止める。大丈夫でしたか、というのはどういう意味か。テオが聞き返すよりも先にイオラが溜息を零した。
「ここ数年、お姉様方の仲が悪くて。リリのところに王子が生まれた頃からずっと。リア様の王位継承が話に上がってからはもう、二人ともピリピリしているんですよ」
「ロサ様はそんな感じがしましたが……リリ様も?」
「まあ、どちらかというと気を揉んでいるのはロサですが、リリがそれを煽っているって感じですね」
煽っている。イオラの言葉遣いが引っかかる。ロサとリリの対立は昨日の様子を見ていれば明らかだったし、リリの方に余裕がありそうということも見て取れたが。まるでリリが喧嘩を吹っかけているような言い方。
「煽る? どうして?」
「だって、リリの子の方が先に生まれたでしょう。二人の王子のどちらに王位を継承するか、話がつかないんですよ」
そこで、ようやく理解した。二人がリアに注目していたのは。王位継承の話題に敏感だったわけは。
「リリ様の方が優勢ということですか」
「どうでしょう。お父様は特にどっちとは仰っていないんですけど。不安がるロサと比べてリリは余裕綽々なものだから、ますますロサが気に病んじゃうっていう」
「王位って、気に病むほどに大事なんですか?」
口にしてから、少しだけ偉そうだったかもしれないと思った。だがテオの疑問にイオラは乾いた笑みを返し、「さあ」と首を傾げてみせた。
「あの二人は地位や権力に執着しているわけではないと思いますけど。子が王にならなかったときに、居場所がないように感じちゃうんじゃないですかね」
そんなはずはない、と思ったが、それはテオにはわからないことだから声に出すのはやめた。きっと、王位を持たない王子も、その母なる姫も、国民は喜んで尊ぶだろう。だが、民に受け入れられていても、孤独や苦悩が消えるわけではない。
「心苦しいですけど、私にはわかんないですね」
そう言ってイオラは、窓の外を見た。ぱっちりとした大きな目に、曇った空が反射して見えた。
「イオラ様は、臣籍降下なさるんですもんね」
「はい。割と早い段階で本家を離れるって決まっていたので、どうしても他人事みたいになっちゃって」
「お相手って確か、副騎士団長の……」
「そう、マーズ。歳は多少離れてますけど、昔からの知り合いなので気は楽です」
自分と似た境遇であることに親近感を覚えると同時に、少しだけ羨ましいと思った。もっと早いうちから結婚相手が決まっていれば、テオもすんなり受け入れられたのだろうか。イオラが婚約を結んだのはいつだったのだろう。誰かに決められた相手だったりしたのだろうか。
「そういえば、テオ様も臣籍降下するんでしたね。お相手ってどなたでしたっけ」
好奇心の詰まったイオラの瞳がこちらを振り返るが、テオは苦い笑みを浮かべるしかなかった。
「それが、まだ決まっていないんです。遅いですよね」
「全然。相手なんて探せばいくらでもいるじゃないですか」
不思議そうに唇を尖らせるイオラが、心底羨ましいと思った。
「いくらでもいるとしても。誰でもいいわけではないでしょう」
ただでさえ気乗りしないというのに。
確かに、と呟いたイオラは、変わらずキラキラとした目でテオを見上げた。
「じゃあ、どんな人と結婚したいですか?」
どんな人。美人? 拘らない。賢明? 尊敬はするけれど。優しい人。楽しい人。紳士な人。お喋りな人。テオをよく知っていて、テオがよく知っている人。
誰かの顔を思い浮かべようとして、ふと気がつく。そこに浮かんでくる顔がないことに。
「……どんな人がいいんでしょうか」
理想を言えばいくらでも挙げられるが、結局そんな人はどこにもいない。いたとしても、テオにはもったいない。たかがテオに、高望みなことは言えない。だが、結婚すれば一生を共にすることになるのだから、気の合う人が良いとは思う。
うーん、と小さく唸ったイオラが、まじまじとテオを見つめる。真っ直ぐなその視線に堪えられず、テオは窓の外に目をやった。外はちょうど騎士団の訓練場が見え、剣を振るう騎士たちの中にはイオラの婚約者の姿もあった。
「——テオ様は繊細で真面目な方だから、一緒にいて気が抜ける人がいいんじゃないですかね」
イオラの返答に、拍子抜けしてしまった。気が抜ける人、というよりも、その前の部分の言葉に。
「私、繊細に見えますか?」
「繊細でしょう。なんて、わかったような口はきけませんが。少なくとも私よりは色んなことを考えていそうだなって思います」
そんなはずが。
ないと思いかけてすぐにもう一人の自分がそれを否定する。わからないでしょう、と。人より思慮深い自信はないものの、感受性はそれなりに豊かな自負はあった。それを見抜くイオラも相当に敏く感じるが、彼女の方は、感じ取ってもそれを些事として聞き流す能力が高いのかもしれない。
「テオ様はもう少し肩の力抜いていきましょ。急がなくても、いずれはなるようになりますよ」
イオラの両手がテオの両肩を叩き、彼女はそのままくるりと振り返ってリアを呼んだ。
いずれはなるようになる。どうにもならないことばかりでも。
少しだけ軽くなった肩で、大きく息を吸って、吐く。悲しくなんてないのに、なぜか少しだけ、泣きたいと思った。涙は浮かんでこなかった。




