第10話 出会い
油断をしていた、と言えばおかしな話ではあるが。夕食後、アリスがトートルと話をしにテオたちの元を離れ、リアと二人で城内を散歩していた。騎士一人を従えていても、やはり傍から見れば隙だらけだったのかもしれない。
「おやテオ様、ご散策中ですか?」
いきなり背後から話しかけられ、びくりと身体を震わせて振り返る。図体の大きな中年の男が、にこにこと笑みを浮かべて目の前に立っていた。見覚えのあるその顔をしばし見つめ、そういえばつい数刻前に挨拶に来ていたことを思い出す。名前は、プルタンだったかポルトンだったか。とりあえず、財務官の人だったことは覚えていた。
「ええ。とても立派な王城ですので、どこも美しいです」
「ですよね。やはり国の象徴とも言えますから、王城は美しくあらねば。古くなったところは逐一修繕させているんですよ。お褒めいただき光栄です」
ああ、そういえばこういう人だった。挨拶に来た人の中でも特に疲れさせられた相手。王城を建てたのは大昔の建築家たちだし、王城を美しく維持しているのは常日頃丁寧な掃除手入れをしている使用人たちだ。どうしてこの人が誇らしげな顔をするのか。よくわからない。
先を歩いていたはずのリアが戻ってきて、テオの隣に並んだ。さぞ不思議そうに相手とこちらを交互に見るので、軽く肩をすくめてみせる。
「おや、あなたは弟のリア様ですか?」
「ええと、はい」
「私、財務官のポルタン・ウェンと申します。以後お見知りおきを」
はあ、と曖昧な返事をするリアを肘で小突く。困惑した表情でこちらを見る彼に目配せをするも、どうにも反応が鈍い。さっさと撒いてしまいたいのに。
「テオ様には先程お話ししたのですが、実は私、息子が一人おりまして。今年で二十二になるのですが、リア様もぜひご懇意にしてくださいな」
「はあ」
「テオ様も、愚息との縁談を前向きにご検討いただければ幸いです」
「ええ」
「そうだ、もしよろしければ城内を私がご案内しましょう」
背筋がぞわと震えあがって、つい一歩後ずさってしまった。だが向こうはこの反応にも気付かず、むしろ距離を詰めてきた。
「見所をいくつも知っているのですよ。私がいれば迷子になる心配はさせませんし」
「いえそんな、お忙しいでしょうし」
「そんなそんな、ご遠慮なさらず。リア様も今後長くご滞在になるなら、城内のことは知っておきたいでしょう?」
「そうですけど……」
煮え切らないリアの態度に、もう一度小突いてやろうかと考える。でもどうせこちらの意図には気付かない。ここはテオが場を丸めなければ。アリスならこんな押しに怯むこともないのだろうな、と考えて、ほんの少しだけ泣きたくなった。
上手くやらないと。ヒク、と口角が引き攣る。脂ぎったポルタンの顔面。目線を逸らす。青臭くて酸っぱい臭い。息を止める。
「——おやポルタネ殿。こんな美しいお方を口説いていたら奥様がお怒りになりますよ」
突如、爽やかな男声が響く。と思えば長い腕が伸びてきて、テオを庇うようにポルタンとの間に入った。驚いて小さく息を吐くと、ローズマリーの香りが鼻を掠める。
「ア、アスター殿。そんな、口説いていたわけでは。というか、私はポルタンだ。何度言えば覚えるんだ」
「これは失礼、ポルタン殿。人の名前を覚えるのは苦手でして」
アスターと呼ばれた彼は、こちらを一瞥してすぐにポルタンの方に身体を向け、テオとの間に割り込むように入ってきた。それでようやく、ポルタン側も数歩下がってくれた。
「財務官長がポルタン殿のことを探していましたよ。執務室の方にいらっしゃったんで、すぐ行った方がいいかと」
「そ、そうか。感謝する。では、テオ様リア様、またの機会に失礼します」
そそくさと去っていく丸い背中を茫然と眺める。それが角を曲がったところで、今度は隣の背の高い青年に視線を向けた。赤褐色の髪に、明るい茶色の瞳。極めつけは、丸い耳たぶにぶら下がる、星を象った銀色のピアス。
はっと息を呑んで、手で口元を覆う。この人。
振り向いた彼は、にこりと人の良い笑みを浮かべ、綺麗に腰を折って一礼した。
「お初にお目にかかります。セルブル・アスターと申します」
「あ、えっと。テオ・ソルアラと申します。こちらは弟のリア。助けてくれてありがとうございました」
助けてくれてなんて言ったら、ポルタンに失礼な気もするが。それに対してセルブルは軽く笑ってみせた。
「財務官長が探していたのは本当ですし。ま、お役に立てたなら幸いです」
その反応を見て、なぜだかほっとしてしまった。理由はわからない。歳が近いからだろうか。思えば王城に入ってから、身内以外の同年代と接していなかった。大人たちに挟まれ、無意識に肩肘を張っていたのかもしれない。
「アスターさんって、王城に勤めている方なんですか?」
すると、それまで黙っていたリアが声を発した。それが意外でテオは思わずリアを見たが、リアは目もくれずにセルブルの方を向いている。その視線を追ってセルブルを見ると、彼は不思議そうにリアを見つめ返していた。
「普段は西の領地で商業やりながら砂漠の民との外交やってますよ。アスター家ってご存じないですか」
「すみません、無知なもので……」
「ま、うちは比較的小さな家なんで。お気になさらず」
テオも、アスター家のことは知らなかった。もしかしたらどこかで名前くらいは聞いたかもしれないが、記憶にない。王城に来て仕事をしているだけ、それなりの名があるように感じるが。興味を持ったのか、リアが質問を続ける。
「じゃあ今日はどうしてここに?」
「ただの定例報告です。本当は書簡送れば済むんですけど、王城に行った方が顔も広がるからって身内がうるさくて」
肩をすくめて笑うセルブルの苦労を思う。察するに彼が現当主なのだろうが、身内にあれこれと言われて、思い通りにできないことも多いことだろう。テオは商売事などはからきしだが、経済学を齧ったことはあるため、大変さはよくわかる。テオにはとても真似できない。
「お二人は、陛下がお招きになったんですよね。王位継承のいざこざで」
テオとリアは二人揃って頷く。表面上は、そういうことになっている。セルブルはそれに呼応するように頷き、「そちらも大変ですね」と言った。
「何かあればどうぞ自分を頼ってください。年代も近いし、お力添えできることもあると思うんで」
ポルタン殿に絡まれたときとかね。そう付け加えて、笑う。
それじゃあ、と背を向けたセルブルを見送り、その姿が見えなくなったところで、思わず「あ!」と大声を出してしまった。周囲の人が驚いて振り返ったのを見て、慌てて自分の口を塞ぐ。なになに、と聞いてくるリアにはなんでもない、と返して、部屋への道を引き返した。
先程部屋にいるとき、こちらに手を振ったのがなんだったのか、聞くのを忘れてしまった。




