第9話 誰そ彼
本当は、城内を散歩しに行くつもりだったのに。
トートルの仕事仲間を名乗る人たちが部屋に挨拶に訪れ、アリスと共に応対に追われていた。一人帰ったと思えばまた一人。待ち構えていたかのように次々と来るものだから、休む暇もない。しかも、揃いも揃って皆、縁談を持ち出すのだ。うちの息子がいい歳で。ぜひお見合いしていただけませんかと。テオよりも、アリスの顔を見てそう言った。もう誰が誰だか覚えていないくらいに、みんなおんなじ。滑稽で笑える。
ようやく静かになった部屋の窓を開け放つ。どこからか夕餉の匂いが漂ってきた。身を乗り出して眼下を覗くと、向かいの棟に繋がる渡り廊下が見えた。確かあの先に大衆食堂があったはず。
雑多な飯の香りはひどく食欲を掻き立てた。先程、召使が来て夕食の準備ができたと告げたが、リアがまだ眠っているから待つことにしたのだ。アリスとそう決めたときは、さほど空腹を感じていなかったのに。
「……疲れた」
誰にも聞こえないように、呟く。外を翔る風がその声を捕まえて、宙で弄んで消えた。
不意に、渡り廊下を歩く青年が一人、こちらを向いた。赤褐色の髪の間から、銀色のピアスがきらりと揺れる。明るい茶色の瞳がこちらを捉えて微笑み、さらにはその長い腕を伸ばして手を振ってきた。それがあまりに自然な動作だったので、つられて腕を持ち上げかけてしまったが。どうにか踏みとどまって、急いで窓を閉め、その場を離れる。
——誰、今の。
変な人に目をつけられてしまったかもしれない。一見悪い人には見えなかったが、自分の人を見る目がどれほど信用できるのか。知らない人には心を許すなと幼い頃から口酸っぱく言われてきたのに。いや、そんな言いつけはもうとっくに破っているけれど。
ドクドクと脈打つ鼓動を鎮めていると、部屋の入口に立つルカと目が合った。どうかしましたか、とでも言いたげな瞳に、少しだけほっとする。なんでもない、と小さく首を振って、再度窓の外を覗いてみる。
青年はいなくなっていた。ようやく身体の力が抜ける。
「あらリア、起きたのね」
その声で振り向くと、ソファーに沈んでいたリアが身体を起こして伸びをしていた。アリスが読んでいた本を閉じて膝に置き、立ち上がる。
「ゆっくり休めたかしら。途中、うるさくなかった?」
「全然? よく眠れたよ」
「よかったわ。もう、城の人が挨拶に来てキリがなくて、ねえ?」
アリスのおどけた調子に合わせて、テオも強く頷く。大変だったのよ、と言うアリスに乗じて何か愚痴でも吐こうかとも思ったが、なんとなくやめておいた。
「二人とも、お腹が空いたでしょう。そろそろ夕食に向かいましょうか」
「父さんは?」
「トートルは仕事がまだ片付かないから、三人で食べてって」
せっかく久々に家族が揃ったのに。同じことを思ったのか、リアも一瞬寂しそうな表情を浮かべた。しかし直後、リアの腹でぐぎゅうと虫が鳴いて、思わず三人で吹き出す。よく見たらルカも、その隣の騎士も笑っている。
じゃあ行きましょうか、という声を合図に、三人は部屋を出た。
「なんか、視線を感じる……」
食事部屋へ向かう道中、リアが居心地悪そうにしながらテオに囁いた。
「そうね、私も感じる。なんででしょうね?」
「うーん……俺らがあんま良い印象持たれてないから?」
「逆でしょ。リアがかっこいいからよ」
またまた、とリアは謙遜してみせたが、テオとしては特段、彼を持ち上げたつもりはなかった。
リアに注目するその殆どが若い女性だ。リアが視線を向けるたびに身なりを整え、甘い視線を向け、微笑む。かっこいいから、と簡潔に答えたものの、その内実はきっともっと複雑だ。
何を隠そう、リアは我が一家の次期当主なのだから。さらに言えば、王位継承の可能性を持つ人でもある。もしそのリアに見初めてもらえたら。ご寵愛を受けることができたら。そんな期待が見え隠れする。
——いや、不純な考え方だ。乙女たちの純粋な憧れをこんな風に捉えてはいけない。
いつからこんなに疑い深くなってしまったのだろうか。思うより人は善良だし、深く考えてなどいないのに。
「姉さんが見てくれた服のおかげだな」
リアはテオの返答が満更でもなかったらしい。先程までとはうって変わって堂々と歩き始めた。その様子に思わずくるりと目を回したが、溜息をつくのはどうにか堪えた。
「デザインを決めたのはリアでしょう」
「でもデザインも一緒に考えてくれただろ。この服で俺らが並べば当たり前に美男美女だ」
「あら、随分な自信ね」
「姉さんが先に言ったんだろー」
小さく笑って、そうね、と返す。リアはかっこいい。その言葉に嘘はなかった。
「ねぇリア、あなたは人を見る目に自信がある?」
「え? 何だよ、急に」
「私、王城にいる間に結婚相手を探さなきゃならないの」
結婚という言葉を持ち出したせいだろうか。こちらを見つめる女性たちの視線に熱が篭った――ような気がした。
「リアにも手伝ってもらおうかなと思って」
ちら、とリアの顔を見上げると、彼は目を輝かせてこちらを見ていた。
「まかせろ。悪い輩は俺が追い払ってやるから」
「えぇ、そっち? 良い人を見つけるのを手伝ってほしいんだけど」
「そっか。じゃあ、良さそうな人いたら紹介するよ」
その言葉にひとまず安堵する。テオ一人では相手を選べない予感があった、むしろそれしかなかった。アリスやトートルの意見を聞くのもいいけれど、リアという存在が間にいることで、ほんの少しだけ、嫌悪感が和らぐ気がする。
テオは、ありがとう、と返して再び前を向いた。




