第35話 雑草メイドだから
「ああ、そういえば」
グレンが思い出したように、リゼッタの前に小箱を差し出した。
「リゼッタさん宛に、レイモンド公から贈り物が届いていましたよ」
「私に?」
受け取ったのは、艶のある濃藍色の箱。蓋には見慣れない花の絵が金箔で描かれていた。五枚の大ぶりの花びらが、風車のように均等に広がっている。
「なんの花でしょう、これ」
「プルメリアに近いですね」
「プルメリア?」
「はい。南方にのみに咲く花ですよ」
「南方だけ……!」
弾んだ声を上げて、まじまじと箱を見つめるリゼッタ。絵とはいえ、初めて見る知らない土地の花に胸が躍る。
そっと蓋を開けると、中には小さな硝子瓶が一本。真っ白なシルクに包まれているそれは、格式の高さを表すように丁寧に納められていた。
「香油のようですね」
「香油……!? そんな高価なもの、私なんかが……!」
「受け取っておけ」
紅茶を飲みながら、ヴィルフォードが素っ気なく言う。
「感謝の気持ちは、ありがたく受け取るものなんだろう」
「あ」
リゼッタから間の抜けたひと言がもれた。つい先ほど、自分が口にした言葉だ。ここぞとばかりに返したヴィルフォードのしたり顔が、ちらりと視界に映った。
──そうだよね。ありがたく頂かなきゃ。
レイモンド公が、リゼッタのことを思って選んだもの。それを無碍にしてしまうほうが、よほど失礼な気がした。
慎重に硝子瓶に手をかけて、栓を開けると──ふわり、と華やかな花の蜜と、柑橘にも似た爽やかさを混ぜたような香りが広がった。
「わぁ……!」
思わず声が弾む。
初めての香りだ。これが南方の香りなのだろうか。
「この香りは、やはりプルメリアですね」
「どんな花なんですか?」
「俺はリゼッタさんみたいに詳しくないので、見た目くらいしか説明できませんが」
グレンが少し考えるように視線を上げる。
「純白の花弁なんですけど、中心だけ蜜が集まっているかのように黄色くて。形も可愛らしいですけど、そのグラデーションがとても綺麗なんですよ。この時期は特に、枝いっぱいに花をつけていると思います」
「へえ、木に咲くんですね!」
強い日差しを浴びながら、潮風に揺れる純白の花。晴れ渡る青空と澄み切った青い海に、きっと色鮮やかに映えるのだろう。リゼッタは目を輝かながら、見たことのない景色を想像していた。
「相変わらずというか、雑草メイドらしいな」
わずかな呆れを含んだ、あの小さなため息が聞こえた。
「……と、言いますと?」
「宝石でももらった令嬢のような顔をしているが、お前が手にしているのは一本の香油だ」
「私は宝石より、こっちのほうが嬉しいですよ」
「だから“相変わらず”なんだ」
ヴィルフォードが肩をすくめながら続ける。
「価値の基準が少しずれている」
「基準は人それぞれですから。それに私は令嬢じゃなくて、ただのメイドですし」
「『ただの』じゃなくて、珍妙なメイドだな」
「珍妙……って、人に使っていい言葉なんですか!? せめて『風変わり』とか、言っても『奇天烈』では……!」
「同じだろう」
「違いますって」
即座に否定するリゼッタ。彼女に反して落ち着き払っているヴィルフォードは、悠然と紅茶を口へ運んでいた。
「褒めているんだがな」
「絶対褒めてませんよね、それ」
ヴィルフォードが目を細める。「さあな」と言わんばかりに愉快そうに。
そんな二人のやり取りを、グレンはくすくすと笑いながら見守っていた。
「リゼッタさんが宝石より香油に目を輝かせるような方だからこそ、殿下はリゼッタさんに一目置いてるんですよ」
「一目……置いてる?」
「ええ。他のご令嬢と同じ反応をされる方だったら、きっと殿下もリゼッタさんには興味を持たなかったでしょうね」
穏やかな笑みを浮かべながらグレンが言う。
「グレン」
ヴィルフォードの低い声が、釘を刺すように割り込んだ。細められた視線からは、「それ以上は言うな」という圧。
「失礼しました」
グレンもそれを感じ取ったのだろう。でも、口では謝罪したものの、軽く頭を下げた表情に悪びれた様子はなかったように見えた。
リゼッタは、ぱちぱちと数回ほど目を瞬かせていた。
──意外……。
まさかそんなふうに見られていたとは思ってもみなかった。あの「冷酷」といわれているヴィルフォードが、人に──ましてや、ただのメイドに興味を持つことがあるなんて。
そう考えると、少しだけおかしくて、少しだけ──くすぐったい。
「殿下……そんなこと思ってくれてるんですか?」
ちらりと、上目を遣いながらヴィルフォードの顔を覗き込むリゼッタ。ぐっと、ヴィルフォードの紫の瞳が何かを堪えるように細められた。
「思ってくれてるんですか?」
リゼッタの無邪気すぎる追撃。ほんの少し押し黙ってから、堪えていたものを一気に吐き出すようにヴィルフォードは深く息をついた。
「……さあな」
それだけ言って、視線を曖昧にリゼッタから逸らす。不器用そうに揺れている瞳、わずかに気まずそうな口元。
それが否定なのか、肯定なのか──その答えなんて、聞かなくても、きっと。
リゼッタはくすりと笑みをこぼして、爽やかな後味のするライチティーを口に運んだ。




