第34話 あの日の裏話
リゼッタがアイスクリームを食べ終え、ヴィルフォードも皿を空にした頃。タイミング見計らったように、扉が数回ノックされた。
「失礼します」
入ってきたのは、ティーセットを乗せたトレイを持つグレン。いつも通り、しゃんと背筋を伸ばした姿勢でテーブルへ近づくと、無駄のない手つきで紅茶を注いでいく。
その仕草を、リゼッタはまじまじと見つめる。あの夜、黒髪に黒いマスク姿でサイラスの屋敷へ潜入していた人物と同一だと思うと、改めて違和感がすごい。
リゼッタの遠慮のない視線に応えるように、グレンは垂れた目元をやさしく細めた。
「どうかしましたか?」
「あ、なんか……ちゃんとグレンさんだなあ、って」
「俺はいつだって“グレン”ですよ」
くすりとグレンが笑う。
これも後から聞いたことだが、やはりあの夜、グレンはヴィルフォードの命で変装していたらしい。顔が割れている分、逆に油断させやすいと踏んで黒いウィッグまで用意したそうだ。
廊下でジョセフの介抱や飲み物を頼んだとき、彼が無言で頷くだけだったのは、声で正体が露見するのを防ぐため。
どうして行く前に教えてくれなかったのか、と訊ねれば、
「『敵を欺くには、まず味方から』と言うだろ」
と、悪びれる様子もなくヴィルフォードは答えた。ついでに、「お前は顔に出るからな」とまで付け足されたのは記憶に新しい。
「今日の紅茶は、レイモンド公からいただいたものです」
グレンがそう言いながら、カップをリゼッタたちの前へ置いた。立ち上る湯気とともに、爽やかな香りが鼻先をくすぐる。
「いい香り……」
口をつけると、すっきりとした飲み口の中に、とある果実を思わせる甘さが広がった。
「これ、ライチティーですね」
「さすがリゼッタさん、すぐにおわかりになるとは」
「ちょっと薔薇みたいな香りがしますし、味に独特の爽やかな酸味があるんです。だから、ライチかなって」
感心したように頷くグレンの横で、ヴィルフォードが紅茶を口に運ぶ。
「毎日毎日、よく飽きもせず贈ってくるものだ」
「そんなこと言っちゃダメですよ、殿下。感謝の気持ちなんですから、ありがたく受け取らないと。それに、私は毎日でも大歓迎です」
「お前の場合、単純に食べたいだけだろう」
「否定はしません」
えへん、と得意顔で答えるリゼッタに、ヴィルフォードは軽くため息をこぼした。
実際、この数日で何度もレイモンド家から贈り物が届いていた。茶葉、焼き菓子、果物、それから酒まで。
人の手でやったとは思えないほど精密で丁寧に梱包されたそれらは、どれも目に見えて上等なものばかり。その辺の貴族程度では、到底真似できないほど豪勢な振る舞いだった。
それもそのはず。
レイモンド公──あの夜、廊下で倒れていたジョセフという人物は、実はレイモンド公爵家の当主だったのだ。王都から少し離れた南方に広大な領地を持つ、古くから続く名門貴族らしい。
リゼッタがそれを知ったのは、夜会の翌日だった。どうやらレイモンド公本人が、山のような手土産を抱えて王宮へ礼を述べに来ていたらしいのだ。
その日、食後の甘味で出された果物──アテモヤを食べながら、ヴィルフォードにレイモンド公が来たことと、彼の素性や身分を聞かされた。
──とんでもない人の介抱をしちゃったなあ。
話を聞いたリゼッタは、あんぐりと口を開けていた。
まさか公爵様だったとは。そうと知っていれば、もう少し言葉を選んで、丁重に接していたのに。気安く「ただのメイドですよ」なんて言ってしまった自分を思い返したリゼッタは、頭を抱えたくなった。
ちなみに、レイモンド公は「ぜひアレシュタイン嬢にも直接お礼を」と何度も口にしていたらしい。
だが王宮におけるリゼッタの立場は、あくまで下級メイドにすぎない。本来ならば、公爵家当主と気軽に面会できるような身分ではないのだ。
それに、随行者がただのメイドだったとあっては、ヴィルフォードの体裁にも関わる。リゼッタが毒見役であることも、外部には伏せておく必要があった。
今回の件で、夜会の前にヴィルフォードが「本来の役目は明かすな」と口酸っぱく言っていた理由を、リゼッタはようやく理解した気がした。
もし最初からリゼッタ──毒見役の存在を知られていたなら、サイラスもあんな手段は使わなかっただろう。事前に夜会の本当の目的をリゼッタに明かさなかったのも、おそらく顔と態度に出やすいと踏んだからだ。
「敵を欺くには、まず味方から」と言ったヴィルフォードの顔が脳裏に浮かんだ。少し悔しくもあったが、実際その通りだったと思う。もし知っていたら、いつ毒が出されるのかと終始そわそわして、挙動不審になっていたに違いない。だから、ヴィルフォードの選択は正しかったのだ──と、リゼッタはすんなり結論づけた。
きっとレイモンド公とのやり取りも、ヴィルフォードがうまく取り持ってくれたのだろう。リゼッタは一度も、レイモンド公と顔を合わせることはなかったのだから。
「この感じだと、“淑女”のお前に会うまで贈り物は止まらなそうだな」
目を細め、どこか面白そうに言うヴィルフォード。
「殿下……いま、少しだけ馬鹿にしましたよね」
「さあな」
「殿下が『さあな』って言うときは肯定だって、もうわかってるんですからね」
「さあ、どうだろうな」
「やっぱり肯定じゃないですか」
リゼッタはむうっと頬を膨らませながら、ライチティーへ口をつけた。
「……でも、まさか初めての夜会で毒を見抜くことになるとは思いませんでした」
ティーカップを包みながら、リゼッタがぽつりとこぼす。華やかな香りが抜けていくのに、ワインに溶け込んだ青い匂いだけは、まだ妙にはっきり記憶に残っている。
自分でも、あそこまで迷わず口にできたのが不思議だった。思い込みだったらどうしようかと思ったけれど。一度違和感に気づいてしまったからには、もう見過ごせなかった。
「勢いで言い切ってしまいましたけど、今思えば結構無茶でしたよね」
「前に言っただろ。毒見役に必要なのは、異変に気づくことだ、と」
ヴィルフォードは淡々と言いながらカップを傾ける。
「お前は役目を果たした。それだけの話だ」
さも当然のことを述べるような抑揚のない口調。迷いのない言葉は、リゼッタの胸にすとんと落ちた。
「……殿下って、たまに急に褒めますよね」
「事実を言っただけだ」
「そういうことにしておきます」
ヴィルフォードは「勝手にしろ」とでも言いたげに小さく息をつく。その紫の瞳だけは、珍しく機嫌がよさそうに細められていた。




