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【完結】このたび、雑草メイドは冷酷殿下の毒見役になりまして  作者: 葉南子@「ツキヨム」コン大賞受賞
第三章 社交界デビュー!?

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第29話 場違いのリゼッタ


「ただいま戻りました」


 席に戻ったリゼッタは、努めて(しと)やかに腰を下ろした。広間はまだ賑やかだ。何も変わっていない。なのに、さっきまでと同じ場所にいるような気がしなかった。


「遅かったな」

「はい……いろいろ、ありまして」


 言葉を選びながら答える。あの男性のことを話すべきか、と口を開きかけたとき。


「サイラス公爵と、席を改めて話をすることになった」


 ヴィルフォードが淡々と言った。


「え……?」

「お前が席を外している間に交渉した。『十分ほど時間をくれ』と言われて、待っているところだ」

「それはまた、急ですね」

「それが狙いだからな」


 ヴィルフォードの口の端が軽く上がる。短い言葉の中には含みがあった。まるで相手の出方を試しているような、そんな響きだ。

 胸の奥が、かすかにざわめく。


「あの、殿下……。実は……」


 今なら、まだ──そう思って口を開いた、その瞬間。


「ヴィルフォード殿下、サイラス公爵がお待ちでございます」


 背後から給仕の声が飛んできた。リゼッタは言いかけた言葉を飲み込む。


「行く、と伝えろ」


 立ち上がると、ヴィルフォードは椅子に座ったままのリゼッタを一瞥した。


「何をしている」

「はい?」

「お前も同行するんだ」

「私もですか!?」


 思わず声が上がった。一瞬だけ、周囲の視線がこちらへ流れたような気配がする。リゼッタは取り繕った笑顔を浮かべて「こほん」と咳払いをした。


「このために、お前を連れてきたんだからな」


 それだけ言って、ヴィルフォードは歩き始めた。当然こように、なんの説明もない。怪訝そうにしながらも、リゼッタは言われた通り席を立った。

 ヴィルフォードの後ろを歩きながら、頭の中では男性の言葉が回り続けていた。あの男性は何を伝えたかったのか。そして、彼──ヴィルフォードは何を考えているのか。

 二つの疑問はぐちゃりと絡まり合って、解けそうになかった。


 .。゜:*:✼.。


 案内された部屋は、広間の喧騒が切り離されたように静かだった。


「お待たせいたしました、ヴィルフォード殿下」


 部屋の中央にある重厚なテーブルの端で、先に待機していたサイラスが丁寧に腰を折った。


「急な話で悪いな」

「とんでもない。殿下にこうして足をお運びいただけるとは」


 かしこまりながらも、柔らかい微笑みを浮かべるサイラス。「どうぞ、おかけください」とテーブルのほうへと促され、ヴィルフォードが動く。リゼッタも軽くカーテシーを添えて後に続いた。

 二人と対面するように、サイラスも腰を下ろす。その瞬間、何かが鼻の奥を掠めた。

 お香とも違う。部屋で焚いていたなら、入った瞬間にわかる。鼻にツンとくるバニラの香水とも違う。かすかに青い、ような。知っている匂いに似ている。どこで──。

 

「改めて、本日はお運びいただきありがとうございます。お食事はお口に合いましたでしょうか」


 サイラスの声で思考が途切れた。

 

「ああ」

「それで……改めてお話とは、いかがなものでございましょう」

「近年のサイラス家の発展は、こちらの耳にも届いている。目覚ましい成果だと」

「なんと過分なお言葉。恐縮ですな」


 うやうやしく頭を下げながら、サイラスは満足げに目を細めた。その奥に、わずかな期待の色が滲む。


「その手腕を直に聞いてみたかった。それから、もうひとつ。先ほど話を通した者にも伝えたが、こちらからも話ができればと思ってな」

「なんと、本当に殿下直々に。ありがたき光栄でございます」


 深く頭を下げるサイラス。抑えた声音の奥には、隠しきれない弾みが混じっている。まるで、この展開を待ち望んでいたかのようだった。

 リゼッタはというと、ヴィルフォードの隣でおとなしく微笑んでいた。口角を控えめに上げた、淑女らしい笑みだ。

 だが、その内心では大きく首を傾げていた。

 

 ──なんか私、場違いじゃない……?


 商談でも始まりそうな雰囲気。もしかして、この場を見届けさせるために呼ばれたのだろうか。しかし──そんな理由で、この人がわざわざ自分を連れてくるものだろうか。

 考えながら、リゼッタはなんとなく視線を動かした。

 テーブルを挟んで向かいに座るサイラスの手が、自然と目に入る。大振りな指輪がはまった指。その一つ、右手の人差し指の先に、これまでなかったものが巻かれている。


 ──絆創膏?


 ぽつりと、花弁に落ちた一雫の露のように浮かぶ血の跡。おそらく、怪我をしてからそう時間は経っていないはず。

 大袈裟なくらい太い指輪に、その簡素な絆創膏はひどく不釣り合いだった。


「アレシュタイン嬢も、そうお感じになりますかな」


 不意に名を呼ばれ、リゼッタは我に返る。


「え、ええ。とても興味深いお話だと」


 何に同意したのかは不明だったが、リゼッタはとっさに言葉を繕った。表情だけは崩さないように、微笑みを保ち続ける。


 話は、リゼッタにはよくわからない方向へ進んでいた。

 領地の収益がどうとか、貴族たちとの取引がどうとか。同じ言語のはずなのに、なにかの呪文みたいに聞こえてくる。


 ──えっと、これ、私は何をしていればいいんだろう。


 笑って頷くだけでいいのか。それとも何か役目があるのか。ヴィルフォードはちらりともこちらを見ない。サイラスも、リゼッタの存在を忘れているかのようだった。


「せっかくの機会でございます。ささやかではありますが、一杯いかがでしょう」


 一区切りついたのか、サイラスがゆるやかに立ち上がる。止まった先は、部屋の隅にあったサイドテーブル。上には蓋付きの盆が置かれている。

 にこやかな表情のまま蓋を開けると、すでに赤ワインの注がれたグラスが三つ並んでいた。


「当家のワインでございます。ぜひご賞味いただきたく」


 サイラス自ら盆に手をかけ、リゼッタとヴィルフォードの前にグラスを置く。最後に、自身の前にも同じように置いて、何事もなかったかのように席に着いた。

 目の前のグラスに視線を落とすリゼッタ。ほんのりと橙を帯びた深い赤は、おそらく年代物だろう。シャンデリアの光を受けて、ゆらりと揺れている。

 ヴィルフォードは、そのグラスに手を伸ばそうとはしなかった。

 

「さ、どうぞ。お口に合えばいいのですが」


 穏やかな口調で促すサイラス。


「そうだな、まずは彼女に見てもらおうか。まだ若いのに、ワインには少々うるさくてな」


 軽く言って、ヴィルフォードはあごでリゼッタを示す。

 なるほど、ここで自分の出番というわけか──言外の意味をリゼッタは瞬時に汲み取った。

 

「よろしいでしょうか?」

「ええ。もちろんです」

「では、先に失礼させていただきます」


 リゼッタはグラスを手に取り、そっと鼻先へと引き寄せた。

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