第27話 接触
皿に乗った料理の毒見を終えたリゼッタは、音を立てないようにシルバーを置いた。
特に違和感はない。全体的に王宮よりも少し塩気が効いていたが、味も香りも申し分ないものだった。
ヴィルフォードが淡々と食べ終えたころ、給仕が次の一杯を注ぎにきた。今度は赤ワインだ。グラスの中で深みのある赤が揺れている。
「では、失礼いたします」
グラスを取り、香りをたしかめるリゼッタ。柑橘を思わせる爽やかな香りが立ちのぼる。数回ほどグラスを回すと、今度はふわりとキャラメルのような樽香が重なった。
ひと口含んで、舌の上で転がす。角のない渋みが鼻へ抜けていく。熟成された葡萄の甘やかな余韻。どうやら、こちらにも毒はないようだ。
「美味しいです。年代物ですね」
「ありがとうございます」
給仕は満足げに一礼し、音もなくその場を下がっていった。
「……殿下、次の料理取ってきていいですか?」
淑女らしい笑みを浮かべながらも、その口調は軽い。視線は感じるが、距離があるぶん会話までは拾われないはずだ。外見だけ取り繕っていれば十分だろう。
「好きにしろ」
「では。赤でしたら、やはり肉料理ですね」
朗らかに笑って、リゼッタは席を立つ。止めないあたり、彼らしい。もしくは、止めても無駄だと思っているのかもしれない。
いつだったか、厨房のキースに「毒見にかこつけて食事をしているだけだろ」と言われたことを思い出したリゼッタは、その通りだなとくすりと笑った。
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ローストビーフ、ポークソテー、鶏のトマト煮──つい目移りしてしまう。全部取りたい。だがコルセットに締め上げられた身体は、そんな欲張りを許してくれそうにない。淑女らしく、というのもあるが、それ以前に物理的に入らないのだ。どれか一つに絞らなければ。
──ここは王道で、ローストビーフかな。
狙いを定める。目の前に広がる料理に気を取られて、ほんの一瞬だけ本来の役目のことが頭から抜け落ちた。
とはいえ、この形式の晩餐会だ。誰がどの料理に手を伸ばすかわからないし、大勢の人たちが囲っている中であからさまな細工はしにくいはず。
などと考えながらトングを掴もうとした、そのとき。
「楽しんでいただけてますか、アレシュタイン嬢」
声をかけられて顔を上げると、サイラスが傍らに立っていた。にこやかな笑顔だ。リゼッタも控えめに口角を上げる。
「はい、どれも美味しそうで迷ってしまうくらいです」
「それは光栄です。本来でしたら、お二人にはコース料理を振る舞うところですが、いかんせん準備が間に合いませんでして」
「とんでもないことです。こちらこそ、殿下の急なご訪問にも関わらず、これほどのもてなしをいただけて光栄です」
社交の言葉を返しながら、小さく腰を折ってみせる。先ほどまで料理に目を奪われていた少女の面影は、すでにきれいに引っ込んでいた。
「して、アレシュタイン嬢」
サイラスの声が、わずかに低くなった。浮かべた笑みはそのままに、目元だけが三日月のように細められる。
「こうしてわざわざ足をお運びいただいたのには、何か特別な理由がおありなのでしょうか?」
大振りな指輪のはまった手をあごに添え、わずかに首を傾げるサイラス。少し訝しげに眉を下げて、さしずめ愛想のいい表情をしているが。問いかけにしては絡みつくような、どこかねっとりとした気配を孕んでいる気がした。
「さあ……わたくしには存じかねます。殿下のお考えなど、到底わたくしには」
リゼッタは申し訳なさげに微笑む。
実際のところ、詳しいことは何ひとつ聞かされないまま同行しているのだから、偽る以前にそう答えるほかない。理由があるのだとしたら、むしろこちらが知りたいくらいだ。
「左様でございましたか」
サイラスは落胆した様子もなく、また笑った。
「では。アレシュタイン嬢は、殿下とはどのようなの関係で? いえ、変な意味ではなく。殿下が女性の随行者をお連れしているのは珍しくて。大抵は赤髪の男性でしたから」
赤髪──おそらく、グレンのことだろう。
「光栄なことに、お側でお仕えする機会をいただけまして。それ以上など、わたくしには恐れ多いことでございます」
「なるほど」
公爵が小さく笑う。今度は、先ほどよりも幾分か自然な響きに聞こえた。
「お時間を取らせてしまい失礼しました。引き続き、お楽しみください」
軽く会釈を残し、サイラスは人混みの中へと姿を消した。
その背が見えなくなったのを確認したリゼッタは、ようやく息を吐く。無意識に入っていた肩の力が、すとんと抜け落ちた。うまくかわせただろうか。たぶん大丈夫だったはずだ。サイラスの反応や、こちらの仕草は悪くなかったと思う。
料理を乗せた皿を手に席へ戻るところで、ふと視線を上に向けた。
──あれ。
ヴィルフォードの隣に、給仕服の見知らぬ人物が立っていた。
黒髪に、口元を隠す黒いマスク。前髪が深く下りていて、顔はほとんど見えない。ヴィルフォードと何か話しているようだったが、やはりこちらまで声は届かない。
話に区切りがついたように、その人物が顔を上げた。マスクと前髪の隙間からのぞく、わずかに垂れた目元。一瞬だけ、その視線がリゼッタをかすめた。
──誰だろう。
なんとなく誰かに似ているような──と小首を傾げている間に、その人物はヴィルフォードの背に向けて一礼をしながら奥へと消えていった。
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「肉だけじゃなかったのか」
戻ったリゼッタの皿を一瞥したヴィルフォードが、ため息混じりに言った。ローストビーフの隣にはドライフルーツとナッツ、オリーブオイルのかかったカマンベールチーズがちゃっかり収まっている。
「せっかくですので、赤ワインに合いそうなものを」
涼しい顔で答えながらリゼッタは皿を置いて、ひと口。やはり毒の気配はない。普通に美味しい。
「問題ないです」とヴィルフォードに皿をすすめると、彼は皿を一瞥しただけで手を伸ばそうとはしなかった。
「サイラス公爵と何を?」
「世間話、ですかね。突然お邪魔した理由とか、私と殿下がどういう関係か、とか聞かれました」
「そうか」
それだけ言って、ヴィルフォードはワインに口をつけた。特に表情は変わらない。
「なんて答えたか気にならないんですか?」
「ならない。ここでボロを出すような間抜けなメイドだとは思っていないからな」
迷いのない言葉だったが、思いがけない言葉だった。リゼッタはきょとんとしながら、少しの間その横顔を見た。
「……そういうことは、もう少しちゃんと言ってくれてもいいと思うんですけど」
「ちゃんと?」
「だから、その、信頼してるって」
「言っただろ」
「言い方ってものがあるじゃないですか」
リゼッタもワインを口に運ぶ。まったく、この人の天邪鬼気質は相変わらずだ。でも、悪い気はしなかった。
「そう言えば、グレンさんは今日はお休みですか?」
ふと思い出して、何気なく訊ねる。ヴィルフォードはわずかにグラスを傾けたまま「さあな」と短く答えた。
「サイラス公爵が、殿下はいつも赤髪の男性を連れていると言っていたので。今日はお休みなのかな、と」
きっとグレンも、いつもヴィルフォードに振り回されているはず。彼が休めているのなら、代わりに自分が来た甲斐もあるということだ。
「あいつなら……今頃、どこかで勝手に動いているんじゃないか」
ヴィルフォードの口元に、かすかな笑みが浮かんだように思えた。




