第26話 王族という地位
ほどなくして、給仕がグラスにワインを注ぎにきた。
弾ける琥珀色の液体──シャンパンが、灯りを受けてゆらゆらと揺れている。リゼッタとヴィルフォードは互いに黙ったままグラスを眺めていた。
──あれ。こういうときって、目上の人が先に飲むんだよね。
パトリシアに叩き込まれたマナーのひとつが脳裏をよぎる。でも、毒見役ならヴィルフォードより先に飲まなければならない。
どっちが正しいんだ、とリゼッタがグラスを前に固まっていると、
「彼女は舌が利く。まずは彼女から先に試飲させてもらう」
ヴィルフォードが給仕に向けて、さらりと言った。給仕は「さようでございますか」と腰を軽く折り、一歩ほど下がる。
──ああ、なるほど。そういう方便を使うのか。
さずがというか、計算高いというか、抜け目がないというか。感心もほどほどに、リゼッタはさりげなくグラスに手を伸ばした。
王宮以外の場所で毒見をするのは初めてだ。いつもと同じことをすればいい──そうわかっていても、指先にわずかに力がこもった。
でも、ここでぎこちない真似なんてしようものなら、今までの苦労が水の泡になる。ヴィルフォードにも示しがつかない。
──大丈夫。いつも通り、できる。
短くふっと息を吐き、手の震えを悟られないようにグラスを手に取る。香りをたしかめて、ひとくち、口に含んだ。
弾ける泡と一緒に広がる青くて若い味。舌の上で転がすように味わっていると、渋みが追いかけてきた。
さらに意識を集中させる。毒は──ない。
「とても美味しいです。前菜はナッツや生ハムより、チーズを使ったもののほうが合うかと」
流れるように、あくまで自然な淑女の調子で言葉を紡いだ。背後から給仕がほっと小さく息をついた気配がする。どうやら不審には思われていないようだ。
この場でのリゼッタは、「メイド」ではなく「王族の随行者」として迎えられている。そんな彼女の悪くない反応に、給仕が安堵するのも無理はない。
それと同じく、リゼッタもひそかに胸を撫で下ろしていた。さりげなくマリアージュにまで言及するなんて。毒味の後、毎晩のようにヴィルフォードに酒の種類や味、香りの違いを覚えさせられてきた甲斐があったというものだ。我ながら、ずいぶんと様になったのではないだろうか。
「そうか」
ヴィルフォードが頷く。端から見れば、だだの主人と従者のやり取りだ。誰もリゼッタの仮の役目を疑ったりはしないだろう。
──うまいものだなあ。
リゼッタはヴィルフォードがグラスに口をつける姿を見つめていた。
.。゜:*:✼.。
ひとり広間に降りたリゼッタは、配膳台の前で思わず目を輝かせた。
ずらりと並んだ、ひと口サイズの料理たち。彩りよく盛られた野菜と海鮮のマリネ、具材が透き通った層の中で積み重なる艶やかなテリーヌ、じっくりと香ばしく焼き上げられた赤身肉に──と、毒見として様々な料理を口にしてきたつもりだったが。これだけの数が一斉に並んでいるのとなれば話が違う。
端から端まで全部取りたい。そんな本音をぐっと押し込める。ここは夜会の場だ。淑女らしく、控えめに。
──とりあえず、チーズかな。
リゼッタは皿に取り分けていく。小さなキッシュ、それから数種類のカナッペ、あとひとつは──いや、ここで止めておこう。
皿に数点だけ乗せたリゼッタは席に戻った。
「なんか……すごく見られますね。ここ」
ちらちらと視線を感じる。数段下の広間から見上げるように向けられる視線が、思った以上に多い。それになんだか、目には見えない大きな壁を隔てて見られているような気がする。
「王族を招き入れた、と見せびらかせるための席だからな」
「見せびらかせる……」
「ああ」
阿呆らしいと言わんばかりのため息をつくヴィルフォード。
なるほど、とリゼッタは内心で頷いた。ここは自分たちがくつろぐための席ではない。サイラスが“王族を迎えた”と示すための席。ここに通されたときに目立つ場所だと思ったのは、あながち間違いではなかったようだ。
王族を招けたという実績が一種の箔になるのだろうか。貴族様の考えることは、やはりよくわからない。
──それにしても。
ヴィルフォードは、日々こんな視線を浴びているのだろうか。敬意や畏敬、関心に興味。でも、それだけではない。値踏みするような視線や、どこか品のない好奇も混じっている。全部が混ざりあった視線は、べったりと肌にまとわりつくように重く、鬱陶しい。
とても慣れそうにないな、とうんざりするリゼッタ。一方で、当の本人は我関せずというように涼しい顔で広間を見渡していた。




