第25話 夜会のはじまり
二時間ほど馬車に揺られていただろうか。サイラス公爵家の門をくぐった頃には、空はすでに夜の色を帯びはじめていた。
屋敷は息をのむほどの佇まいだった。
鉄でできた門は必要以上に高く、庭園に沿っている木は窮屈に埋められていて、屋敷の外壁は過剰なほど緻密な彫刻で埋め尽くされている。
もし王宮に勤めていなかったら、リゼッタはこの景色に圧巻されていたいだろう。一般市民と違って、貴族の家とはこんなにも豪勢なのか、と。
けれど。
──派手というか、やりすぎだなあ。
ふと、そんな考えが浮かぶ。
王宮のそれが洗練だとするなら、ここにあるのは、金と権力を塗り固めたような豪華さだ。あふれるような気品ではなく、声高な主張と誇示。目に優しくないというか、見れば見るほど落ち着かなくなる。
金持ちの趣味はよくわからないな、とリゼッタはほんの少しの居心地の悪さを胸に押し込めた。
ヴィルフォードの一歩後ろを淑女らしく歩くリゼッタ。
歩幅を抑えて、裾を蹴らないように。パトリシアの声が脳内で再生された。
控えめに視線を落としながら歩いてると、自然と庭園の様子が目に入る。夏の花々が咲き乱れている庭園。ヒマワリ、ユーストマ、サルビア──季節を閉じ込めたような庭園だ。それに手入れが行き届いているのか、雑草という雑草がひとつもない。
──きれいだけど、なんだか退屈だな。
王宮の中庭は、もっと自由だ。生命力がある。背丈の違う野草たちが息づく場所。だけど、この庭園は整いすぎていて息をしていないみたいだ。
もっとも、そんな的外れな感想を抱く人なんて、招かれた客人の中でもリゼッタくらいしかいないだろうが。
「お待ちしておりました、ヴィルフォード殿下」
玄関前の階段に、出迎えの人間が数名ほど並んでいた。その中央に立ち、リゼッタとヴィルフォードを出迎えた人物が──デイビッド・サイラス公爵だった。
見た目は五十代くらい。恰幅のいい体躯。金糸で派手な刺繍が施された深緑の外套をまとっている。
笑顔は柔らかく、いかにも場慣れした社交の顔。だが、その目の奥は笑っていない感じがした。
「急な連絡にもかかわらず、参加の快諾いただき感謝する」
「いえ、殿下のご来訪とあれば、いつでも歓迎いたします。ですが……もう少し早くご連絡いただければ、より盛大におもてなしできたのですが」
笑顔のまま、さらりと返すサイラス。嫌味とも取れる発言かと思ったが、ヴィルフォードの顔色は変わらない。
彼の半歩後ろに控えていたリゼッタは、内心で首を傾げていた。
──たしか、夜会の話は半月くらい前には出てたような。
出席の連絡をしたのは急だったのだろうか。
まあ、そういうものなのかもしれない。貴族のやりとりは、よくわからないものだ。
挨拶が交わされる間、ふとリゼッタの視線があるところで留まった。
──あ。
花壇の端。マリーゴールドの根元のあたりに、小さくて丸いピンク色の花が咲いている。
──オジギソウだ。
こんなにも野草がない庭園の中、オジギソウだけがひっそりと紛れ込んでいる。
庭師の趣味だろうか。それとも、たまたま抜き忘れただけか。なんにせよ、その鞠のような花が異様に目立つように思えた。
「お嬢さん、そこの花が気になるのかい?」
いつの間にか挨拶を終えていたのか、サイラスがリゼッタのすぐ隣に立っていた。にこやかな顔でリゼッタの視線の先を追っている。
「あ、いえ」
リゼッタはすぐに微笑みを作った。
「黄昏時の庭園も風情がおありだと、そう思っておりました」
「ほう。風情、ですか」
公爵が満足げに目を細める。どうやら悪くはなかったらしい。咄嗟に出たにしては上出来だ、とリゼッタは内心でパトリシアに感謝した。
「ご招待いただき、まとこにありがとうございます。わたくし、リゼッタ・アレシュタインと申します。ご挨拶が遅れてしまい、失礼いたしました」
改めてカーテシーを添えると、サイラスは目尻にしわを寄せてさらに目を細めた。
「これはまた、おくゆかしいお嬢さんだ。殿下がお連れになられたお方だけはありますな」
あごに手を添えながら、しみじみと言う。その指先に、リゼッタの視線がさりげなく止まった。
ひとつ、ふたつ──両手の指という指に、金の太い指輪がはめられている。そこに埋め込まれた高価そうな石は、これ見よがしにきらきらと光っていた。
──すごい数だなあ。
光っている、というよりギラついてるようにも思えた。
屋敷といい、金を持っていると飾り立てたくなるものなのだろうか。だけど、ヴィルフォードがこういった装飾をつけているのを見たことがない。今だって、必要最低限の身なりで訪れている。
金の使い方や価値観は人それぞれだろうが、ずいぶんと違いが現れるものだ。
「さあ、どうぞ。夜会の会場へご案内いたしましょう」
サイラスが手を広げる。
促されるまま、リゼッタはヴィルフォードの半歩後ろをついて歩いた。
屋敷の中も外観に違わず、また過剰なほどに装飾されていた。壁一面に施された金の装飾、天井から下がるいくつもの大きなシャンデリア。足元の絨毯も雪原を歩いているかのように分厚いものだった。
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案内されたのは、広間の一角に設けられた席。
広間よりも数段高い位置にあるそこには、身体を丸めて横になれそうなほど広いテーブルと、ゆったりとした椅子が二脚。会場全体を見渡せる位置であり、下からの視線が集まりそうな場所だった。
──目立つ場所だなあ。
王族が来ているのだから、これくらいの席になるのも当然かもしれない。それにしては、やけに視線を集めやすい気もするけれど。
「殿下とゆっくりお話もしたいところですが、わたくしは一度失礼いたします。まだ挨拶に回らねばならぬ客人たちがおりますので。どうぞ、ごゆるりとお過ごしください」
サイラスはうやうやしく一礼すると、浮かべた微笑みのまま人混みの中へと消えていく。香水の、甘ったるいバニラの香りがほのかに鼻に残った。
ともあれ、無事にリゼッタは腰を落ち着けることができた。
目線の少し下。広間はすでに多くの貴族で賑わっている。談笑の声、グラスやシルバーの触れ合う音、控えめに流れる生演奏。
王宮で盗み見た夜会ほどの規模ではないが、初めて直視する煌びやかな世界に目が泳ぎそうになる。ぐっと堪えて、リゼッタは「淑女らしくしなきゃ」と自分に言い聞かせた。
その隣、流れるように椅子に座ったヴィルフォードは広間をさっと見渡して、静かに口を開いた。
「お前、さっき庭に気を取られていただろ」
「……わかりました?」
「わかりやすすぎる。気をつけろ」
「はい、すみません」
素直に肩をすくめるリゼッタ。
「……まあ、その後の所作は、咄嗟にしては悪くなかった」
ぽつりと付け足された一言に、リゼッタは弾けたように顔を上げる。ヴィルフォードは前を向いていて、横顔からは表情があまり読めない。
けれど、その言葉が彼なりの評価なのだとわかっている。フォローにしては悪くないかな、とリゼッタは小さく息をついた。




