第23話 メイクアップ
西棟の一室──採寸などをした、壁一面を占めるほど大きな鏡がある部屋では、すでに数人の針子たちが待機していた。
「お待ちしておりました、リゼッタ様」
「そんな、私なんかに『様』はいらないですって……」
「ドレスはこちらです」
恐れ多いと苦笑をもらした視線の先。目に飛び込んできた一着のドレスに、リゼッタは思わず言葉を失った。
淡いライラック色のドレス。窓から差し込む陽の光に、シルクがやわらかく輝いていた。胸元は控えめに開き、小さな花の刺繍が施されている。ふわりと広がるスカートには、花びらを模したように幾重にもレースが重なっていた。
「……綺麗」
自然と言葉がこぼれ落ちる。
パーティードレスは戦闘服というか、相手を威圧するためのものだと思っていた。真っ赤だったり、宝石をこれでもかと散りばめたりして、自分の価値や地位を飾り立てて見せるようなものだと。
だけど、目の前にあるドレスは、そうではなかった。
控えめだからこその上品さ。布の重なりや刺繍のひとつひとつが丁寧で、遠目にも上質だとわかる仕立てだった。
「これを、私が?」
「はい。殿下のご指示でお仕立てしたものです」
息を呑む。派手ではない。けれど、決して地味でもない。まるで──“飾り立てなくてもいい”とでも言われているようで、なんだか少しだけ落ち着かなくなる。
「時間もございませんし、早速着付けにまいりましょう」
返事をする間もなく、手慣れた手つきで下着から順番に着替えさせられた。背後に回られ、下着の紐を締められたかと思えば、すぐにコルセットを巻きつけられる。
「力を抜いてください」
と、針子が言い切るより前にぐっと腹部を締め付けられ、息が詰まった。
「も、もう少し……」
「もう少し締めていきます」
「そうじゃ、なくて……」
容赦なく紐が引かれるたび、肋骨の辺りがぎゅうと、それこそ先ほどのオジギソウのように内側へ縮んでいくような気がした。
──くっ、苦しい……。
これがメイド服なら、とっくに着替え終わっているのに。こんな窮屈な格好が、貴族の女性たちの日常なのだとしたら。
リゼッタは素直に尊敬した。やはり、ドレスは戦闘服かもしれない。
なんて考えている間にも、容赦なく引き絞られていた。その上から何枚も布が重ねられていく。重さと締めつけで自由が効かなくて、身体が自分のものではないみたいだ。
だけど、ドレスに足を通して、背中のファスナーがすっと上がりきった瞬間──空気が変わった。
「……すごい」
鏡に映っているのはたしかに自分なのに、どこか知らない人を見ているようだ。
「似合ってますか!?」
「ええ、とてもお似合いですよ」
採寸からお世話になっている針子が、初めて笑ってみせた。
嬉しくて、勢いのまま「ありがとうございます」と言いかけるより先に
「細かい修正をしますので、そのまま鏡のほうを向いていてください」
と、針子の表情がまた真剣なものに戻る。やっぱり職人だな、と思いながらリゼッタは「はい!」と弾んだ声で頷いた。
その後は、流れるように支度が進んでいった。
髪が器用に結い上げられ、淡く化粧を施される。三つ編みメイド服だった自分からは想像できないほど、鏡に映る姿が別人へと変わっていった。
最後に小さな髪飾りが差し込まれる。
「これは?」
鏡越しに覗き込むと、淡いピンク色の花が亜麻色の髪を引き立てるように添えられていた。
「ドレスに合わせてご用意したものです」
そう言われて、もう一度鏡を見るリゼッタ。
──これ、芍薬だ。
気づいた瞬間、誕生日のことが頭をよぎった。ヴィルフォードからもらった花束。綺麗で、華やかな香りがして──それから、ほのかに苦い味。思い出したら、どうしてか胸の奥がくすぐったくなった。
「綺麗だなあ……」
思わず触れようとすると、メイクさんに「必要以上に触ると取れてしまいますので」とやんわり制された。職人気質なのは針子だけではないらしい。けれどまあ、王子の随行人として同席するのだから、慎重になるのも当然だろう。
着付けとヘアメイクが終わり、ひとりきりになった部屋。
リゼッタは鏡の前で、くるりと一回転してみた。ドレスの裾が、花の蕾が開くようにふわりと広がる。
──なんだか、お姫様になった気分。
などと浮かれたのも束の間。鏡に映っている自分のふにゃりとした顔に、少しだけ恥ずかしくなる。
気を取り直すように、咳払いをひとつ落とした。
──そうだ、オジギソウ。
ぴしりと畳まれたメイド服にハッと目を向ける。
危ない、忘れるところだった。大事なお守り──ヴィルフォードとの約束の証だ。
エプロンのポケットからハンカチを取り出す。目立たないように、ドレスの胸元へと忍ばせた。
──よし。
背筋を伸ばしたところで、扉がノックされた。
入ってきたのは、パトリシア。挨拶をするや否や、すぐさま彼女の最終確認が始まった。
とりあえず、立ち姿などの基本姿勢は及第したようだ。コルセットのおかげで背筋が強制的に伸ばされているのもあるが、それを差し引いても悪くないということだろう。
問題は、動きだった。
「歩くときは、中からドレスの裾を押し上げるように」
「こう……ですか」
「蹴りすぎです。球でも蹴っているのですか」
「す、すみません」
ぴしゃりとした指摘に肩がすくむ。ドレスは裾を踏まないように、少し押し上げながら前に進むのだと知った。
改めて、令嬢たちが優雅に魅せている裏では、絶え間ないほどの努力があるのだと実感する。なんだか白鳥みたいだな、とリゼッタはしみじみ思ったりした。
それに比べたら、自分なんてまた半月程度。比べること自体、おこがましいかもしれない。それでも、こんなに綺麗に着飾ってもらったのに、中途半端で終わらせてたまるものか。
足の運びを意識し直し、もう一度。何度か繰り返すうちに、ようやくパトリシアの眉間からしわが消えた。
「まあ、いいでしょう」
「よかったあ」
パトリシアの「まあ、いいでしょう」は彼女なりの評価だと、リゼッタはもう知っていた。
「あなたのような、自由奔走な女性を指導したのは初めてです」
「あはは……」
「ですが」
パトリシアはわずかに言葉を切ると、リゼッタを見据えた。
「あなたのように、飲み込みの早い女性を指導したのも初めてです。自分自身と殿下に、恥をかかせないように」
「……はいっ!」
「ドレス、とてもお似合いですよ。ミス・アレシュタイン」
ずっと鋭かったパトリシアの目つきが、この一瞬だけやわらかくなった。リゼッタのことを認めたのだろう。それが言葉以上に伝わってきた。
「ありがとうございました!」
大きく頭を下げて、顔をあげたときには、パトリシアは背を向けていた。多くは語らない背中。
──みんな、誇りを持ってやってるんだなあ。
リゼッタは少しの間、その背中を見送った。




