第22話 変わらない中庭
夜会当日の朝は、いつもより落ち着かなかった。
メイドの業務がないせいだ。着替えを済ませ、朝礼を終え掃除道具を手にする時間に、リゼッタはぼんやりと窓の外を眺めていた。
今日はこれから仕立て上がったドレスを着たり、ヘアメイクをしたり、作法の最終確認をしたりする予定だ。出発は午後なのに昼前から準備するなんて、上流の人たちはつくづく大変なものだ、とどこか他人事みたいに思う。
西棟へ向かう約束の時間まで、あと一時間。
リゼッタは窓を開けては閉めて、意味もなく部屋の中をぐるぐるしては、寝台に身を投げる。手持ち無沙汰と、少しの緊張。
──ああもう、全然落ち着かない!
結局、リゼッタは部屋を出た。
.。゜:*:✼.。
向かった先は、あの中庭。
夏を迎えたそこは緑が濃く、まるで小さな森に紛れ込んだようだった。自由に生き生きと伸びた草が、あちこちから顔を出している。
「改めて、立派な庭だなあ」
様相だけでいえば、庭園のほうがよっぽど立派だ。貴族の令嬢たちが散策するならば、あちらのほうがずっと絵になるだろう。
けれどリゼッタにとっては、中庭のほうが居心地がよかった。ある程度の手入れはされているが、飾られていない。ありのままの生命が息づいている。
毒見のたびに横を通り過ぎてはいたけれど、こうしてゆっくり足を止めるのは久しぶりだ。
しゃがみ込み、足元に目を向ける。見慣れた夏の葉が、ひとつ、またひとつと視界に入った。セリ、ヒメジョオン、スベリヒユ──リゼッタはそれらを確かめるように、指先で優しく触れる。柔らかいもの、少しざらついたもの、弾力のあるもの。覚えている感触そのままだった。
ふと、小さな花を見つけた。丸い、ピンクの花──オジギソウだ。ふわふわとした鞠のような花冠が、緑の中でひっそりと揺れている。
「わあ、懐かしい」
葉先をきゅっと摘むと、鳥が羽をたたむように葉を閉じて、お辞儀をするみたいにうなだれる。「恥ずかしがり屋だね」と、エマとよく遊んでいた野草だ。
それだけではない。エマの咳がおさまらないとき、葉をすり潰したり、乾燥させたものをお湯で煎じて飲ませていた。呼吸が楽になる作用がある、と祖母は言っていた。用途によっては毒になるためあまり多用はできないけれど、いざというときの備えとして実家には必ず置いてあったものだ。
──エマ。お姉ちゃん、今日、社交会に出るんだって。信じられないよね。
小さく笑いながら、もう一度葉先を摘む。今度はしぼむ前に、ぴっと葉を切り離した。
ひと口、ぱくり。
ほろ苦く、そして、渋い。だけど葉の青さが広がると同時に、落ち着きが滲んでくる。呼吸が知らないうちにゆっくりになっていた。
──なんだ。緊張してたんだ、やっぱり。
気づいた途端、少しだけ肩の力が抜けた。自分で思っていたより、ずっと緊張していたらしい。
「何をしている、雑草メイド」
不意に背後から声をかけられ、リゼッタの肩がびくりと跳ねる。振り返れば、見慣れた銀色の長い髪と紫の瞳。
「で、殿下……!」
「また草を食べてたのか」
「また、とはなんですか! 最近は食べてませんでしたよ」
「威張って言うことか」
呆れたように息をつきながらも、その視線はリゼッタの手元に向けられている。
「今度は何を?」
「オジギソウです」
葉先を摘んで閉じていく様子をヴィルフォードに見せるリゼッタ。
「かわいいでしょう?」
「興味ない」
「聞いてきたのは殿下のほうなのに、冷たくないですか」
「事実だ」
「じゃあ、なんで声なんてかけたんですか?」
一瞬、言葉が途切れる。ふいと視線を逸らしてから、ヴィルフォードはそっけなく答えた。
「……お前が妙なことをするから、それが目につくだけだ」
どこか言い訳じみた言い方。風が彼の髪を揺らす。まるで心の揺らぎを表すように。
けれど風が止んだのを合図に、いつもの無愛想な表情に戻っていった。
「出先では妙なことするなよ」
「しませんよ! ……たぶん」
「たぶん、か」
「じゃあ、これは約束の証にしておきましょうか」
オジギソウの葉をハンカチで包みながら、リゼッタは少し得意げに続けた。
「これがあれば、ちゃんと大人しくしてますって思い出せますから」
「……やはり、性格はそう簡単には変わらないな」
「殿下が『変えなくていい』って言ったんじゃないですか」
「そうだったな」
リゼッタはくすりと笑って、包んだハンカチをエプロンのポケットにしまった。
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