第21話 猛特訓
翌日からリゼッタの生活は少しだけ慌ただしくなった。夜会に向けた準備が、思っていた以上に本格的に始まったからだ。
まずはドレスの仕立て。
王宮の一室に通されたリゼッタは、有無を言わさず台の上に立たされる。すぐさま、巻尺を首からぶら下げている針子に全身を採寸をされた。
腕を上げて、背筋を伸ばして、あごを引いて、じっとして──矢継ぎ早に飛んでくる指示に、リゼッタは「はいっ!」と針子の勢いに押されるまま従った。
時々ぶつぶつと独り言を呟く針子の顔は、真剣そのものだ。手つきに無駄がない。王宮に来る前に働いていた町の仕立て屋とは、比べものにならないほどの速さと正確さだった。
「色は、ご指定がございますか」
採寸を終えた針子が、やはり無駄のない口調で訊ねた。
「え、あ、特には?」
「では殿下のご指示通りに」
ヴィルフォードが、指示を。
リゼッタは少しだけ目を丸くさせたが、針子はもう帰り支度を終えていたようだ。丁寧に頭を下げて部屋から出ていった。
──職人だなあ。
あまりの手際のよさに、リゼッタは感心するしかなかった。
どうやらドレスがどんなものになるのかは、仕上がるまでわからないらしい。
──殿下、どんな指示を出したんだろう。
ふと、そんなことを思って気づく。少しだけ、胸が弾んでる自分がいることに。
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作法の指導は、グレンと、どこからか呼び寄せられた講師の二人がかりで始まった。
講師は、四十代くらいの細身の女性。髪を高い位置できっちりと結い上げ、貴婦人のような気品を漂わせている。わずかに吊り上がった目つき。リゼッタの第一印象は「厳しそう」だったが──実際、その通りだった。
パトリシアと名乗った彼女は、リゼッタを一瞥するなり「なるほど」と短く言った。何が“なるほど”なのかはわからなかったが、たぶん、いい意味ではないのだろう。
「歩いてみてください。あちらの壁まで」
言われた通りに歩くと、「足元を見ない」「体幹がぶれている」「腕を振りすぎ」「あごが上がっている」と、全部同時に指摘された。
「もう一度」「もう一回」──何度その台詞を聞いたか、もうわからない。
落雷みたいに降り注ぐパトリシアの指摘とは打って変わって、グレンの指導は穏やかで平和そのものだった。
「いい感じですよ」
テーブルマナーや立ち居振る舞いをひとつひとつ丁寧に確認して、その都合どこかしらを褒めてくれるのだ。
リゼッタが失敗したり、上手くできなくてため息をついたときも、「惜しかったですよ」と垂れた目を子を見守る親のように細めて励ますばかりだった。
「あーあ、ずっとグレンさんが指導してくれたらいいのに」
「それはさすがに、パトリシア様に怒られてしまいますね」
「うっ……それは困ります」
「俺が教えられるのは共通の作法くらいですから。淑女としての振る舞いは、また別のものです」
「ですよねぇ」
苦笑いを浮かべながら、水をひと口。喉を潤したリゼッタは、「んーっ!」と胸に溜まったモヤを振り払うように大きく腕を伸ばした。
「でも、ちゃんとできるようになりたいです。パトリシアさんも、厳しいけど何も間違ったことは言ってませんし。何より……」
随行者として同席する以上、リゼッタの振る舞いはそのままヴィルフォードの評価に繋がる。粗野な随行者だと思われた瞬間、「あの程度の人間しか傍に置けないのか」「随行者の教育もまともにできないのか」とヴィルフォードの顔に泥を塗ることになる。それだけは避けたかった。
「私がちゃんとしていないと、殿下が軽く見られちゃいますから」
「ええ。その意気です」
グレンがいつもより少しだけ明るい声で頷いた。
できないまま、中途半端に終わらせるなんて性に合わない。どうせやるなら、やり遂げてみせる。
「もう一回、お願いします!」
ぎこちないながらも、リゼッタはもう一度背筋を伸ばした。
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それから半月の間、リゼッタは空いた時間のほとんどをパトリシアの指導に費やした。
歩き方、立ち方、カップの持ち方、視線の配り方、首の傾げ方。最後のほうはなんだか色仕掛けのような仕草にも思えたが、男性よりも女性への牽制として使うのだとパトリシアは告げた。曰く、「隙を見せたら負け」なのだと。
なるほど、貴族という人種は微笑みを交わしながら、その下では腹の探り合いをしてるらしい。メイドとはまた違った世界だ、とリゼッタは少しだけ遠い目をした。
とはいえ、これでメイドとしての仕事がなくなるわけではない。朝の掃除も、洗濯も、毒見も、廊下ですれ違う先輩メイドへの挨拶も、いつも通り行っている。その合間に指導が差し込まれるのだから、リゼッタの一日は他のメイドよりも目まぐるしいものだったかもしれない。
そんな彼女の憩いとも言える時間は、二つ。
ひとつは、就寝前にするナンシーとの何気ない会話だ。
だが、ナンシーには夜会のことは教えていない。王族に関することは本来、むやみに口外していいものではなかったらしい。「毒見役になった」と口にしてしまったのも、リゼッタがまだ王宮の暗黙のルールをきちんと理解していなかった頃の話だ。ヴィルフォードには「お前という奴は」と盛大に呆れられ、グレンには困ったような顔で「口は災いの元、ですよ」と諭された。
今なら、軽々しく話すことではなかったとわかる。王族に関わる情報は、それだけで価値を持つ。たとえ、いちメイドのことだとしても、誰かに利用されないとも限らない。最悪の場合、自分だけでなく、周囲やヴィルフォードにまで影響が及ぶかもしれないのだ。
だからナンシーに言わなかったのは彼女を信用していないからではなく、単純に余計な心配をかけたくなかったからだった。
ナンシーもリゼッタの心情を理解していたのだろう。詮索もなく、毎夜変わらずに交わされる「頑張れ」と「おやすみ」がリゼッタの心にじんわりと沁みていた。
もうひとつの憩いは、毒見の時間。
毒見──というけれど。実際のところ、ここ最近のリゼッタにとってはすっかり“美味しいものを食べられる時間”になっていた。
毒の有無を確かめるための、緊張を伴う役目のはずなのに。不思議とこの時間は肩の力が抜ける。温かい料理の湯気と香り包まれて、美味しさに頬が落ちるのと一緒に疲労まで溶けていく気がするからだろう。
「ごはんときが一番幸せです」
あるとき思わずそうもらすと、ヴィルフォードは少し間を置いてから「そうか」とだけ言った。
気のせいだろうか。その次の日から、いつもよりほんの少しだけ量が多くなったように感じられた。
そして、夜会三日前の夜。
「テーブルマナーもだいぶ形になったな」
食事を終えたヴィルフォードが独り言のように呟く。思いがけない一言に、リゼッタはぱっと顔を上げた。
「殿下もそう思いますか!?」
「ああ」
「よかったです。パトリシアさんにしごかれた甲斐がありました」
「あとは、お淑やかにするだけだな」
「はい、頑張ります!」
気合いを入れるように小さく拳を握るリゼッタ。ヴィルフォードは紅茶をすすりならがら、わずかに目を細めた。
「立ち居振る舞いは直せても、性格はそう簡単には変わらないな」
「性格?」
「猪突猛進」
「殿下……それ、悪口で言ってません?」
「さあな」
涼しい顔で紅茶を口に運ぶヴィルフォードに、リゼッタは「さあな、じゃないですよ」と、わざとらしくむくれてみせる。
「性格まで変える必要はない。お前は、お前のままでいい」
こともなげに、ヴィルフォードは言った。紅茶を傾けながら。
意外な言葉に膨らんでいたリゼッタの頬が緩む。肝心なことまで、息を吐くようにさらりと言ってしまう──それがこの人の性格なんだと、リゼッタは内心で頷いた。きっとリゼッタと同じで、彼の性格もまた変わらないものなのだろう。
「三日後、期待している」
「任せてください! 完璧な随行人を演じてみせますから」
ヴィルフォードの口元が、ほんの少しほころんだ。夏の朝風みたいに、爽やかさの中にかすかな熱を帯びたような、そんな笑みだった。




