第20話 宣告はいつも突然に
七月も半ばを迎え、王宮は燦々とした夏の日差しに包まれていた。黒く長いメイド服は、少し動いただけで汗ばんでしまう。リゼッタは初めて「なんて効率の悪い服なんだろう」と、しみじみ思った。
庭の草も、前よりずっと青く濃くなっている。オオバコ、ヤブガラシ、シロツメクサ。中でも、スベリヒユ。夏を代表する野草だろう。生命力も強くて、どこでも摘める。スベリヒユが食卓に並び出すと「ああ、夏だなあ」なんてノスタルジックになるほど、毎年のように食べてきた。
もちろん緑が鮮やかになるのは、食べられる野草だけではない。
ベラドンナ、ドクゼリ、トリカブト──口にすれば命取りになる、猛毒といわれる野草たちも息づく季節。
腹を空かせた子どもの頃から、間違えは許されなかった。だから覚えた。色、香り、葉の形、葉脈の走り方、茎の断面──祖母と母に何度も注意されて、叱られて。泣きながら覚えたもの一つや二つではない。
野草の知識はリゼッタにとってはただの知識ではなく、生き延びるための術でもあった。まさかそれが、王宮で役に立つ日が来るとは思っていなかったけれど。
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「ごちそうさまでした」
最後の一口を飲み込んで、リゼッタは手を合わせた。
「テーブルマナーも、だいぶマシになってきたな」
「やっぱり殿下もそう思いますか?」
「ああ」
「ありがとうございます。これも殿下の手引きのおかげですね」
「最初は危なっかしくて見てられなかったからな。子どもより酷かった」
「……そこまで言います?」
尻尾でも振りそうな勢いで顔を輝かせたリゼッタだったが、すぐに拗ねたように頬を膨らませてみせた。
「事実だろう」
ヴィルフォードがさらりと返す。
冷たい返しだと思う人もいるかもしれない。だけど、そこに棘はない。嫌味ではないとわかるくらいには、リゼッタはヴィルフォードのことを理解していた。
「でもまあ、おかげさまで私も淑女の仲間入りをした気分です」
胸に手を当てて、少し誇らしげに背筋を伸ばしてみる。
「本物の淑女は、自分で自分のとこを淑女などと言わないと思うが」
「……殿下、そういうところですよ」
「何がだ」
「そういうところです」
「ほっとけ」
「わかってるじゃないですか」
「お前にだけは言われたくない」
ヴィルフォードの口角がわずかに上がった。からかうような、けれど以前よりも柔らかい表情。
こうして笑うところを見る機会が、前より増えた気がする。最初の頃は、笑うような人だとは思っていなかった。
相変わらず変な人だと思うときもあるが、以前よりずっと話しやすくなったのは確かだ。
香り袋も、どうやら枕元に置いてくれているらしい。誕生日を迎える前に香り袋を贈って以来、リゼッタは時折、新しいものを半ば押し付けるようにヴィルフォードに渡していた。
カモミールの旬も終わり、最近はラベンダーを包んでいるのだが──彼の髪から、ふわりとラベンダーの香りがする瞬間がある。周りも、本人ですら、たぶん気づかない程度だけれど。
リゼッタは、あえてそれを言わずにいた。また「犬並みの鼻」なんて、からかわれるかもしれない。それに指摘したら指摘したで、もう枕元に置かなくなるかもしれない。天邪鬼な彼なら、十分にありえる。
そういうわけで、リゼッタは今日も何も言わないことにした。クマも前よりはマシになってきているし、せっかく使ってもらえているなら、余計なことは言わないほうがいいだろう。
向かいにいるヴィルフォードは何事もなかったかのようにシルバーを取り、食事を進め始めている。
リゼッタは食後の甘味──マカロンをさくりと頬張りながら、ヴィルフォードを眺めていた。
ナイフとフォークの動きに無駄がない。切り分ける角度、力加減、口に運ぶ間合い、シルバーやグラスを置くときの静かさ。改めて、手本を超えて絵になるような所作だと実感する。
王族というのは食事の姿まで違うのか、とリゼッタはぼんやり思った。
やがてヴィルフォードの食事も終わり、食器を下げたグレンがテーブルに紅茶を並べる。ヴィルフォードはカップを手に取りながら、窓の外へ視線を向けた。
リゼッタも差し出された紅茶をひと口飲む。渋みと一緒にミントのような爽快感が口に広がった。キレがあり、爽やかで、とても夏らしい紅茶だ。
リゼッタは目の前にいる人物の仕草に少しだけ意識を向けながら、ゆっくりと紅茶を味わった。最近は妙に、この時間が落ち着くようになっていた──のだが。
「来月、サイラス公爵家で夜会がある」
「へえ。そうなんですね」
特に深く考えもせず、素直に相槌を打つ。サイラス公爵家といわれても、自分には縁のない世界の話だ。リゼッタは再びカップを口に運んだ。
「お前も同席する」
「へえ。そうなんですね……?」
もう一度、同じ調子で返しかけて
──んん……?
紅茶を飲み込んだ瞬間、言葉の意味が遅れて追いついた。
「……っええーー!? 私もですか!?」
「大声を出すな。淑女じゃなかったのか」
「すみません……じゃなくて、どうして私まで?」
声をひそめながら、わずかに身を乗り出すリゼッタ。
「毒見役だからだ」
あまりにも当然のように言い放った。
ああ、そういうことか。夜会の場でも、自分の役目は変わらないらしい。それだけのことだ──けれど。
「夜会、ですよね?」
「ああ」
流れるように頷かれる。
──私が、夜会……。
大勢の貴族たちが集まる、華やかで煌びやかな社交の場。それこそ、おとぎ話の世界というか、違う世界の話だと思っていたのに。
「私、場違いじゃありません?」
「毒見役に場違いも何もない」
即答だった。
「お前は毒かどうかを確かめる。それだけだ」
「うっ……そうなんですけど……」
いつも以上に素早く遠慮のない物言いに、ぐうの音も出ないリゼッタ。
そういえば誕生日のとき、酒を試し飲みする前に「今後訪れる場面で、酒が飲めるのか知っておかないと困る」とヴィルフォードは言っていた。思っていたよりも早く、ついに“その場面”が訪れたというわけか。
「まあ、一通りの作法は身につけてもらう必要があるけどな」
「え!?」
「毒見役として連れていくが、表向きは随行者として振る舞ってもらう」
「どうしてですか?」
「そのほうが余計な目を向けられずに済む」
「余計な目……?」
ヴィルフォードは答えない。たぶん、それ以上を聞いても答えてはくれないのだろう。素知らぬ顔で紅茶に口をつけるだけだった。
「それと、当日はドレスを着てもらうからな。それまでに慣れておけ」
「ドレス!? 私が、ですか!?」
「当たり前だ。メイド服で連れて行けるわけないだろ」
「ドレスに、社交界の作法……」
頭の中で煌びやかな夜会の光景がぐるぐると頭の中を回る。高い天井、大輪のように広がるシャンデリア、豪華な料理、高価な衣装や装飾品を身につけた何十人の貴族たち。
その中に立っている自分の姿が、どうしても想像できない。
「……不安しかないんですけど」
「俺は何も心配していない」
迷いのない声。不意を突かれたような答えに、リゼッタはぱちくりと目を瞬かせた。
「『淑女』、なんだろ?」
ヴィルフォードの目が細められる。挑発──ではなく、どこか信頼を含んだ眼差しのような気がした。
「……任せてください!」
気づいたときには、口からその言葉が出ていたけれど。胸に残っていた不安は言葉と一緒に溶け出して、ほんの少しだけ形を変えていた。
「ずいぶんと威勢のいい淑女もいたものだな」
ヴィルフォードが、かすかに笑った。




