第18話 大人になったので
「ごちそうさまでした」
最後のひと口を名残惜しく飲み込んだリゼッタは、深々と頭を下げた。
「素敵なケーキまでご用意していただき、本当にありがとうございました。私、こんなに甘くて幸せの結晶みたいなもの食べたの初めてです」
ぱっと花が咲いたように笑うリゼッタ。
ヴィルフォードは紅茶をひと口含んでから、何でもないことのように口を開いた。
「これで終わりじゃない」
「え?」
「今日で十八だろ」
一瞬、何を言われているのかわからず、きょとんとする。
「そうですけど……?」
「なら、毒見の範囲を広げる」
さらりと言われて「えっと……?」と、瞬きを繰り返しているリゼッタに
「酒だ」
と、ヴィルフォードは短く告げる。
「今までは未成年だったから外していたが、もう問題ないからな」
「……お酒、ですか?」
「ああ」
あまりにもあっさりと頷かれて、リゼッタは思わず背筋を伸ばした。
「え、えっと……私、飲んだことなくて」
「当たり前だろ」
ヴィルフォードが呆れたようなため息をつく。横にいるグレンは、くすりと笑みをこぼした。
「だから試す。どのくらい飲めるのか、弱いのか、強いのか。知っておかないと、今後訪れる公式の場で困るからな」
「な、なるほど……」
つまり、この先。自分は晩餐会みたいな社交会の場にも立ち入ることになる、ということだろうか。
王宮に来たばかりの頃、廊下からこっそり覗いた煌びやかな宴の光景が頭をよぎった。眩しいくらいのシャンデリア。繊細な盛り付けがされた、名前も知らない料理。ひらりと絢爛なドレスをひるがえす貴族たち。
関わったことといえば、宴が終わったあとの皿の片付けだけ。別世界のようだった場所に、下級メイドのリゼッタが。
なんだか、現実味がなかった。
「毒見、ですもんね……」
「そうだ」
タイミングを見計らったように、グレンがリゼッタとヴィルフォードの前に細長いグラスを置いた。ガラスの中で、しゅわしゅわと泡が浮かんでいる琥珀色の液体。顔を近づける。ほのかに感じる甘い香りが、ぱちぱちと弾けたように鼻先をくすぐった。思っていたより、ずっといい匂いだ。
「飲んでみろ」
「はい……いただきます」
緊張しながらグラスを手に取る。ひと口含むと、果実のような甘さが舌の上に広がった。少し味わってからこくんと飲み込むと、炭酸が喉元をくすぐるように通り過ぎた。
「……美味しい、と思います」
「そうか」
安堵したように、ヴィルフォードもグラスに口をつけた。リゼッタも、もう一口。なんだか、頬の辺りがじんわりしてきた気がする。
「なんだか……誕生日ってすごいですね」
「何がだ」
「ケーキが出てきたと思ったら、今度はお酒まで」
グラスを両手で包みながら、リゼッタはどこか夢を見ているような心地でふわりと微笑んだ。
「急に大人になったみたいです」
ヴィルフォードは何も言わない。だけど紫色の瞳だけは、やさしくリゼッタを映している気がした。
.。゜:*:✼.。
結論から言うと、リゼッタは酒に強かった。
多少なり頬が赤らんではいたが、少なくとも、この場に用意された程度のものでは泥酔には至らない。いつもより少しだけ陽気になっている、そんなくらいだ。
グレンが意外そうに目を瞬かせ、ヴィルフォードは呆気に取られたように目を細めた。
「お前、本当は隠れて飲んでたりしてないよな」
「してませんよ、失礼な!」
即座に返し、むうっと頬を膨らませるリゼッタ。ほんのり赤い顔が、いつもより感情を表に出していた。
「まあ、弱いよりはいいかもな」
「はい。これで、お酒の毒見もバッチリですね!」
リゼッタは得意げに胸を張ってみせた。
しばらく、他愛もないやり取りが続く。といっても、ほとんどはリゼッタが一人で喋っていたようなものだが。
やがて、ふと立派な掛け時計を見やって気づく。
「あっ! もうこんな時間!」
慌てて立ち上がり、ぺこりと頭を下げた。
「では、殿下。私はそろそろ失礼させていただきます」
「そうか」
「もう少し殿下と飲みたいような気もしますが、明日も朝早いからちゃんと寝ないと」
自分に言い聞かせるように小さく頷く。それからリゼッタは少しだけ声を和らげて、ちょこんと首を傾げた。
「殿下も、最近はまた眠れてるみたいで安心しました」
「なぜ、そう思う?」
「クマがいつもより薄くなってますし、髪の毛からカモミールの香りがしてました。枕元に置いてくれてたんですよね」
「……お前の鼻は犬並みか」
呆れたような声だったが、否定はしなかった。それがリゼッタの胸をかすかにくすぐる。彼にしては珍しい、どこか照れたような、困ったようなものにも聞こえた。
「そろそろ香りもなくなってる頃だと思いますし、また作りますからね!」
軽やかに言って扉に手をかけようとした、そのとき。
「待て」
振り返ると、ヴィルフォードが何かを腕に抱えていた。彼の腕の中に視線を落とす。それは、丁寧に包まれた花束だった。白と淡いピンク色の芍薬が合わせて九本。幾重にも重なる花弁が、ふんわりと花開いている。
「これ……」
「庭の花は見飽きてるだろうから、花屋に用意させた」
リゼッタが花束を受け取ると、彼は目を逸らしながらぶっきらぼうに呟いた。
「殿下……」
花束を抱えたリゼッタが、ゆっくりと顔を上げる。わずかに潤んだような瞳が向けられて、ヴィルフォードは一瞬だけ言葉を失った。
「……なんだ」
間を置いて返した声はいつもより少し低くて、ほんの少しだけ、たどだとしい。「あの……」と口を開いたリゼッタの顔を、いつもより強い眼差しで見つめていた。
「庭にも芍薬は咲いていますよ?」
あっけらかんと一言。
ヴィルフォードの肩が急降下するように、がくりと落ちた。
「お前は、本当に……」
ため息と一緒に、呆れた声色の呟きがもれる。それ以上の言葉はなかったが、彼の口元がわずかに緩んでいることにリゼッタは気づいていた。
「でも……すごく綺麗です。こうして花束になると、全然違う花のようにも見えますね」
花束を抱き直しながら、リゼッタは柔らかく笑った。
「ありがとうございます、殿下。私、今日のこと、一生、絶対に忘れません」
「……早く寝ろ、酔っ払い」
「だから、全然酔ってなんかいませんって!」
あははと笑ったあと、リゼッタは一度深くお辞儀をして、扉へと向かった。
「おやすみなさい」
部屋を出て、扉を閉める。一人きりになった回廊の上で、花束をもう一度胸に抱き直した。
芍薬の、甘い香りがした。




