第15話 厨房でのひと時
それからさらに数日。桜の花びらも散って、庭では緑が色濃く芽吹きだしている。風もようやく春らしくなってきた、そんな頃。
リゼッタは変わらず、毒見役とメイドの業務に明け暮れていた。サマンサがメイドたちに何か言ったのか、あれから直接的な嫌がらせをされることはなくなっていた。
ヴィルフォードも相変わらず口数が少なく、いまだに感情の流れはよくわからない。けれど、悪い人ではないことははっきりしてきていた。
リゼッタの体調もすこぶる良好だ。きちんと栄養を取るだけで、こんなにも身体の動きが変わるとは思わなかった。頭の回転も、以前より早くなった気がする。
これも、毒見役になれたおかげだろう。ヴィルフォードには頭が上がらない。それに、食事はいつも絶品だった。いまだに舌が未知の味に驚いているくらいだ。ひと口食べるごとに美味しさを噛み締めて、内心で悶えていたのだった。
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その日の昼前、リゼッタは厨房で洗い物に追われていた。
「よ、リゼッタ」
背後から聞き慣れた声がかかる。振り返ると、キースが大きな体を揺らしながら近づいてくるところだった。
「キースさん、おはようございます」
「おはよう。今日も頑張ってるな」
「キースさんも、朝食のスープ美味しかったですよ。身体に染みました」
「まあな」
にこりと笑った彼の目尻に、わずかにしわが寄った。三十代前半くらいの、大柄な男性。けれど威圧感はまったくなく、どこか安心感のある雰囲気を持ち合わせている。リゼッタにとっては、親しみやすい近所のおじさん的な存在であった。
「いやあ、いまだに信じられねえよ。野草食って出汁がらスープで凌いでたメイドが、まさか毒見役になるなんて」
「人生何があるかわかりませんよね」
「まったくだ。でもよかった、顔色もだいぶマシになったみたいだしな」
「ここまで頑張れたのも、キースさんのおかげですよ」
「お、嬉しいこと言ってくれるね」
キースが照れたように鼻の頭をかいた。
思えば、毒見役になったあの日も真っ先に厨房へ向かったのだった──。
「今日から毒見役になりました! だから、出汁がらはもう大丈夫そうです。今まで分けてくださって、本当にありがとうございました!」
勢いよく頭を下げたリゼッタを、キースは笑い飛ばした。
「毒見役か! 庭園に生えてる草に毒がないか見て回るなんて、リゼッタらしいな」
「違います。殿下の毒見役です」
「……マジ?」
「マジですよ」
リゼッタの顔をまじまじ見つめるキース。彼女の茶色い瞳はいつも通りまっすぐで、嘘をついている様子はまるでない。
「……本当に、マジか」
「本当に、マジです」
キースはしばらく黙って、それから口を大きく開けて豪快に笑った。
「大したもんだ。まあ、安心してくれ。俺が毒を入れることなんてないからさ」
「知ってますよ! キースさんが自分の作った料理に、そんなことするわけないじゃないですか」
「わかってるじゃん、可愛いやつめ」
ぽんぽんと頭を撫でられる。やっぱり、近所のおじさんみたいだ──と、そのときも思った。
一通りの洗い物を終えたリゼッタは、食器の吹き上げにとりかかる。
「今日の昼食も楽しみにしてますからね」
「お前、毒見っていうより、ただ飯食いに行ってるだけだろ」
「バレました?」
「バレバレだよ」
キースが呆れたように笑う。リゼッタもつられて笑った。「頑張れよ」と大きな手がぽんと肩を叩いて、キースは厨房の奥へ戻っていった。
さて、と気持ちを切り替える。
昼食の毒見まで、あと少し。リゼッタは手元の食器に視線を落としながら、頭の中で手順を逆算した。窓の掃除、花瓶の水替え、残りの洗濯物を干す──よし、間に合う。
無駄のない動きで、休まず動き続ける。やがて、ほぼ予定通りに業務を終えたリゼッタは、西棟へ向かった。




