第13話 彼女が毒見役になったワケ
食事が一段落した頃、タイミングを見計らったように扉が控えめに叩かれた。
「失礼いたします」
入ってきたのは、グレンだった。手には真っ白なティーポットとティーカップが二つ載ったトレイ。
「食後の紅茶をお持ちしました」
グレンがカップを置いて、紅茶を注いでいく。昼間のような手の震えは一切見当たらない。落ち着いていて、手慣れていた。下手な使用人より、ずっと手際がいい。こうして何度も、ヴィルフォードのために紅茶を注いでいるのだろう。
じぃっと見つめていたところでグレンと目が合う。人懐っこい赤褐色の目が柔らかく細まった。
「初めての毒見、お疲れ様でした。これに毒は入っていないので警戒せず、リラックスした状態で召し上がってください」
「ありがとうございます」
リゼッタが礼をしている間に、ヴィルフォードはすでにカップに手を伸ばしていた。その動作だけで、グレンがいかにヴィルフォードに信用、信頼されているのか十分に伝わった。言葉などいらない、長い時間をかけて積み上げられた二人だけの関係性の強さだ。
いただきます、と紅茶を含むリゼッタ。温かい。舌に残っていた甘さをゆっくりとほどくように、やわらかな苦味と香りが広がっていく。食事の余韻を整えていくようだった。
自然と、リゼッタはふうと息をついていた。肩から力が抜けていく。気づかないうちに張り詰めていたらしい。
「あの、今更なんですけど。気になってることがありまして……」
「何だ」
ヴィルフォードが紅茶のカップを手に取りながら、目だけをこちらに向ける。
「どうして、私なんですか?」
少しの間。リゼッタは慌てて付け加えた。
「あ、その、さっき空いた時間にちょっと調べてたら、毒見には罪人を使うこともあるって見たので……! やっぱり私、そういう扱いなのかなあ、なんて不安になっちゃいまして」
ヴィルフォードはカップをソーサーに置き、
「いくつか理由がある」
と端的に切り出す。
「まず、お前は毒に詳しい。毒見役に必要なのは、死ぬことではなく異変に気づくことだ。毒に当てられて倒れるだけでは、何の証拠も残らない。毒の種類も、量も、犯人の手がかりだってわからないかもしれない。だがお前なら、万一の際に何かを残せる可能性がある」
「な、なるほど……」
考えたこともなかった。毒見とは死を引き受けることだと思っていた。でも確かに、それでは何も解決しない。
「次に。実際に毒入りのものを口にしても、取り乱さなかった」
「殿下を守るためとはいえ、手を振り払ったのに、ですか?」
「その前だ」
ヴィルフォードは静かに続けた。
「毒とわかった瞬間、お前は叫ばなかった。騒がなかった。たとえば晩餐の席で毒が仕込まれたとして、毒見役が取り乱せば混乱に広がる。犯人に逃げる時間を与えるかもしれない。そして、人々の間では余計な疑いが増える」
「……はあ」
「お前はおそらく、毒の種類を考えていたはずだ。それがどの程度なのか。また、身体に起きている反応……。実に冷静だった」
数刻前の出来事を振り返るリゼッタ。言われてみれば、たしかに何の毒に近いか考えていた。それも無意識に。
「そこまで、見てたんですか」
「見ていなければ、お前を毒見役にはしない」
さらりと言われた。褒められた、のだろうか。リゼッタはなんと返せばいいかわからず、「あはは」と笑ってとりあえず紅茶を一口飲んだ。
「そして罪人を使わない理由だが」
ヴィルフォードの目が、わずかに鋭くなった。
「切り捨てられるとわかっている人間は、最後に何をするかわからない。懐柔か、買収されている可能性だってある。信用など、できるはずがない」
ひと息。
「以上だ」
「……ありがとうございます。なんか、ちゃんとした理由があって安心しました」
「ならいい。また明日も頼む」
「はい! 理由もわかってすっきりしましたし、こんな食事を分けていただけるなら頑張れます。いえ、頑張ります!」
我ながら現金だな、とは思った。だけど嘘をついても仕方がない。本当のことなのだから。
「……そうか」
ヴィルフォードの返事は相変わらず短かった。でも、その声がいつもより少しだけ柔らかい気がしたのは──たぶん、気のせいではないと思った。
.。゜:*:✼.。
すべてが終わり「おやすみなさい、殿下」と部屋を辞したリゼッタに、グレンが「こちらです」と廊下を先導した。
しばらく歩いたところで、グレンがふと口を開いた。
「今日はお疲れ様でした」
「ありがとうございます。でも色々ありすぎて、まだ実感がないです」
「そうでしょうね」
グレンが穏やかに笑って、それから少しだけ声を落とした。
「リゼッタさん。さっき殿下がおっしゃっていた理由、全部本当のことですよ。本当のことなんですが」
「……はい?」
「毒見役というのは、本来ならひと口で十分なんです。多くても、スプーン一杯ほどでしょう」
リゼッタの足が止まりかける。
「今日用意されていた食事の量、俺から見ても多かったと思います」
グレンの赤褐色の目が、どこか意味ありげに柔らかく細まった。
「リゼッタさんを毒見役にしたのには、もっと単純な理由があるのかもしれませんね。殿下ご自身も、気づいておられないでしょうけど」
「んんっと……それは、どういう意味ですか?」
「さあ」
とぼけたような顔でグレンは歩き続けている。どうやら、それ以上は何も言う気がないらしい。
やがて、分かれ道の手前で足を止めた。
「俺はここまでです」
軽く一礼する。
「殿下のこと、よろしくお願いしますね」
「え、あ……はい!」
少し慌てて頷くと、グレンは満足したように微笑み、そのまま背を向けて去っていった。
廊下に一人取り残されたリゼッタは、その背中をしばらく見送った。
──殿下もだけど、グレンさんも不思議な人だなあ。
小さく首を傾げながら、宿舎に向かって歩き出す。
胸の奥でグレンの言葉がぐるぐると回り続けていた。けれど。その意味を、今の自分が掴める気はしなかった。
答えは、まだ、わからない。




