第12話 食後の甘味
「全部、問題ありません」
シルバーを置いて「ごちそうさまでした」と手を合わせると、腕を組んだヴィルフォードと目が合った。
「粥のときもそうだったが……お前は、食べているときはずいぶん静かになるな」
「……え?」
「普段は騒がしいメイドなのに」
言われて、リゼッタは少し考えてから「あ」と声をあげた。
「お恥ずかしい限りで……」
「別に、責めているわけじゃない」
気のせいだろうか。彼の口元が、ほんの少し緩んでいるように見えた。
毒見の済んだ料理に手をつけるヴィルフォード。リゼッタは、その所作をつい見つめてしまった。
音がしない。ナイフもフォークも、氷の上を滑るように迷いなく食材を切り分けていく。シャンデリアの光を受けた銀髪が、はらりと揺れた。伏せた目から覗く長いまつ毛──綺麗な人だな、と思った。
「何だ」
不意に視線が上がり、リゼッタは慌てて目を逸らした。
「い、いえ。その……なんか、私の食べかけを殿下が食べてるみたいで申し訳ないなあ、なんて」
「それが毒見の仕事だ。気にする必要はない」
「は、はあ……」
気にするなと言われても。自分が一度手をつけたものを目の前で王子が切り分けている光景なんて、なかなか慣れそうにない。
「では、役目も終わりましたし、私はこれで失礼……」
「待て」
立ち上がろうとしたリゼッタを、短い一言が引き止めた。
「食事が終わるまでそこにいろ。仕事だ」
「……はい」
ゆっくりと腰を下ろしながら、リゼッタはこっそり首を傾げた。
毒見は終わったのに、ここにリゼッタを残し続けるヴィルフォードの意図とは。また何かの確認か、試されてでもいるのだろうか。
けれどヴィルフォードはそれきり視線を皿に戻し、静かに食事を続けている。
──まあでも、私のこと信用してくれたから毒見役になれたんだし。これも仕事仕事。
ひとつ息をついて、気持ちを切り替える。
手持ち無沙汰になったリゼッタ。身体を動かせない代わりに、とにかく視線を巡らせた。食事をするだけとは思えないほど広い部屋。高い天井からは、大きなシャンデリアがいくつも吊るされている。壁には見たこともない装飾や絵画が並んでいて、よくよく見ればテーブルだって椅子だって──
「落ち着きがないな」
「……えっ!? あ、すみません、やることもなくて、つい」
ヴィルフォードが小さなため息を落とす。
「フィナンシェでも食べて待ってろ」
「? フィ……フィン……?」
聞き慣れない単語。リゼッタは、ぱちぱちとまばたきを繰り返した。彼女の反応を目の当たりにしたヴィルフォードは軽く眉を上げる。
「……フィナンシェ。知らないのか」
「お言葉ですが、殿下」
こほん、とわざとらしい咳払いをしたリゼッタはすっと背筋を伸ばし、なぜか誇らしげに言った。
「私の田舎育ちと貧乏育ちを、甘く見ないほうがいいですよ」
一拍の間。
ヴィルフォードが、ふっと息をもらした。笑った、というより、こらえきれなかった、という感じの吐息。
「威張ることじゃないだろ」
そう言った彼の顔は、とても人間味のあるものだった。
──あ、こんな顔もするんだ。
冷酷な第一王子と陰で囁かれているこの人が、こんなふうに笑うなんて。なんだが少しだけ、胸の奥がむずがゆくなった。
「脇のテーブルにあるだろ、長方形の焼き菓子が。それがフィナンシェだ」
ヴィルフォードは手を伸ばすでもなく、視線だけでサイドテーブルを示した。促されるまま、リゼッタはそちらへ歩み寄る。
皿をじっくりと見つめた。
「はあ〜、これがフィナンシェ」
見るからに高級そうな皿に、三本。すべて均等の大きさで、きつね色にムラなく焼きあげられている。なんだか金塊みたいだな──と、思うリゼッタ。そんな例えをする人間は、たぶんこの王宮に彼女しかいないだろう。
「食後の甘味だ。全部食べていい」
「それはさすがに……!」
「かまわん。俺はもう食い飽きてる」
しれっとした返答だった。
食い飽きてる、か。自分には一生縁のない感覚だな、と苦笑しながらリゼッタは皿を取って席に戻った。
「いただきます」
手を合わせてから、恐る恐るひとつ手に取った。指先にほんのりとした温もりが伝わる。
小さくかじると、さくりと軽い食感のあとに、濃い香りがふわっと広がった。
──軽いのに、すごく甘い……。
もう一口。歯に当たる食感はさくりとしているのに、噛んだ瞬間にしっとりと変わる。砂糖だけの甘さではなかった。コクがあって、どこかから木の実の風味がする。
無意識に、もう一口。
さっきよりも少しだけ大きくかじると、今度は香ばしさが際立って感じられた。頬の内側がきゅっと縮む。痛いくらいなのに、それすら嫌ではなかった。ほっぺたが落ちる、とはきっとこういうことなのだろう。
「……殿下、残りの二つ持ち帰ってもいいですか?」
「持ち帰る?」
「はい、エマにあげたくて」
「日持ちするものではない」
「あっ、そうですよね。こんな美味しいものを一人で食べてるのが……」
「それより」
言いかけた言葉をヴィルフォードが静かに遮った。
「俺は、お前に食べてほしい」
「私に……ですか? どうして?」
思わぬ言葉にぱちくりと目を瞬いて聞き返すと、彼はわずかに目を逸らした。
「別に……深い意味はない。ただ、お前が倒れたら誰が妹の薬代を稼ぐ」
「それは、たしかに」
「妹が元気になったら、そのときにでも食わせてやればいい」
紫色の瞳が、ほんの一瞬やさしく輝いた気がした。
リゼッタは少しの間、彼の言葉を噛みしめた。ヴィルフォードは『エマの病気が治る』という前提で話してくれている。いつか来るであろう、当然の未来を言うように。
「その頃には、お前もこんなもので驚かなくなってるだろうがな」
「……はい! 楽しみにしてます」
リゼッタは最後の一個をゆっくりと味わった。
──甘い。
さっきよりも、ずっと甘かった。それがフィナンシェのせいなのか、それとも──胸の奥に灯った、あたたかい何かのせいなのか。
リゼッタには、まだうまくわからなかった。




