第9話 引き受けます!
「え、待ってください!? つまり、これは最初から仕組まれていて、でも毒見役って、私が紅茶を飲むってことで……!? あと、私が虫って言ったのも嘘って……!?」
「リゼッタさん、落ち着いてください」
「落ち着いてなんて……!」
「とにかく解毒剤を飲め。量は微量だったから、飲めばすぐ治る」
取り乱すリゼッタをよそに、ヴィルフォードの声は終始冷静だった。感情の起伏など微塵もない。毒を仕込んだ紅茶を出して、メイドに飲ませて、割れたカップを前にしても、表情ひとつ変えない。この人が冷酷だと言われる理由を腹の底から理解した。
リゼッタはおとなしく瓶の中身を飲み干す。じんとしていた唇の痺れが、すうっと引いていった。昂っていた気持ちも、波が引いたように静まった気がした。
「……あの、殿下」
「なんだ」
「最初から私を毒見役にするつもりで、わざと毒入りの紅茶を出したんですか」
「ああ」
「これでも病み上がりなんですが……」
「だから、事前に『身体は大丈夫か?』と確認しただろう」
そういう問題なのだろうか。一応は、リゼッタの体調に気を遣ってくれているようだが。毒入りの飲み物を出すなんて、事前に体調確認をしていれば免責になるのだろうか。なるのかもしれない、この人の中では。
「リゼッタさん、すみません。殿下は一度やると言ったら聞かなくて」
グレンがヴィルフォードの分まで申し訳なさそうに頭を下げた。
はたと思い返すリゼッタ。そういえば、紅茶を持ってきたときグレンの指先が震えていた。緊張していた原因は、毒入り紅茶をリゼッタに出す役を担わされていたからだったのか。
「いえ……グレンさんこそ、大変でしたね」
「すみません」
「よくあるんですか、こういうの」
「まあ、たまに、ですかね」
グレンが困ったように笑う。板挟みになった人間の苦労や心労が滲み出るような笑い方だった。
──ああ。この人もきっと、振り回されている側なんだろうなあ。
リゼッタは心から同情した。そしてなんとなく、グレンとは仲良くなれる気がした。
ヴィルフォードが咳払いをしたあと、おもむろに口を開く。
「お前のことは調べさせてもらった。雑草メイド、リゼッタ・アレシュタイン」
そういうことか、とリゼッタは納得する。名乗ってもいないのに、ヴィルフォードはリゼッタの名前を知っていた。たかが下級メイドの名前を、第一王子がわざわざ把握している。普通ではありえない。おそらく中庭で出会ったあの夜から、すでに動いていたということなのだろう。
「確認したかったことがある」
「……何ですか」
「三つだ」
指を折る仕草もなく、ヴィルフォードは淡々と告げていく。
「ひとつ、お前が本当に毒の知識を持っているかどうか。話だけなら誰でもできる。実際に微量の毒に気づけるかどうかを見たかった」
「それ……もし気づかずに飲んでたら、どうしてたんですか?」
「だから、解毒剤があっただろう。それを飲ませて、金輪際近寄らせないだけだ」
あっさりと言い切った。冷酷とか、非情とか、そういう話ではない。合理的な判断を、合理的なままに口にする。それがこの人の普通なのだと、リゼッタは少しずつわかってきた。
「ふたつ、お前が俺の身に危険が及ぶとわかったとき、どう動くか。毒とわかっていながら黙って見ているやつなど、信用に値しない。むしろ怪しいくらいだ」
「……それで、カップを払ったときに『合格』と」
「ああ」
ヴィルフォードは頷き、「まさか叩き落とされるとは思っていなかったが」と呆れ笑いを含んだため息をこぼした。
「みっつ目は」
ヴィルフォードがリゼッタを見た。
「お前が今朝話したことが、本当かどうか」
「私の、身の上話が?」
「嘘をついている人間の話し方と、本当のことを話している人間の違いくらい見分けられる。お前は最初から最後まで目を逸らさなかった。それに、報告書とも相違がない」
「そこまで調べてたんですか……」
思わず引き気味に呟いた。呆れ、というより驚いていた。たかが下級メイドひとりの身の上を、わざわざ報告書にまとめるほど調べてあげていたなんて。
「まあ、お前が嘘をつけない人間なのは、中庭で会ったときからわかっていた。紅茶を飲んだ反応も、実にわかりやすかったしな」
リゼッタはしばらく黙った。
「私のこと……試していたんですか」
「確認だ」
「何がどう違うんですか」
「試す、というのは相手をすでに疑っているとき。確認は、相手を信用する前にやることだ」
リゼッタは、その言葉を頭の中で繰り返した。
いろいろと言ってはいたが、彼はリゼッタを疑っていたわけではない。最初から、信用することを前提として動いていた。それでも確認を怠らないのは、この人の生き方そのものなのだろう。感情ではなく、事実で判断する。王族らしいといえば王族らしいのかもしれない。
「……殿下は、私を信用してくれたんですか?」
聞いてから、少し大胆な問いだったかと思った。だが、ヴィルフォードは怒らなかった。
「信用できない人間を毒見役に置く阿呆がいると思うか?」
「……いないと思います」
「だろう」
ヴィルフォードは薄く目を細めて、窓の外に視線を戻した。それ以上でも以下でもない、という、取り繕いのない表情だった。
とにかく、冷酷と噂される第一王子が、下級メイドのリゼッタ・アレシュタインを信用した。その事実は、先ほど口にした粥のように、じんわりと胸の奥にまで染みていく。
リゼッタは少しの間、ヴィルフォードの横顔を眺めた。窓から差し込む光を受けた銀髪が、細かな粒子のように煌めいている。
──なんか、変な人だなあ。
怖いのか怖くないのか。冷たいのか優しいのか。実際に会ったら、なおさらわからなくなった。でも──少なくとも、嘘はつかない人なのだろう。
「毒見役、ですか……」
改めて口にすると、現実味が増した。
毒を食べる役目。今までだって野草で多少の毒には触れてきた。でも、それとこれとは話が違う。誰かが悪意を持って仕込んだ毒を、口にしてしまうかもしれないのだ。
もし強い毒だったら。もし間に合わなかったら。もし気づかなかったら──喉の奥が、ひやりと冷たくなった。
「その……少しだけ、考えてもいいですか」
恐る恐る言うと、「構わん」とあっさりと返ってきた。
が。
「ただし」
すぐに続いたその一言で、空気が変わった。視線が、逃がさないとでも言うようにリゼッタを捉える。
「ひとつ、確認しておく」
「は、はい……。何でしょう」
リゼッタはびくりと肩を揺らした。
「王宮の庭園に生えている草花は、すべて王家の所有物だ」
「え」
「それを無断で採取し、さらに口にしていた」
「……えっと、それは……」
言い逃れはできない。黙るリゼッタ。
「罪としてはどうなると思う」
「窃盗、とか……でしょうか……?」
「軽く見積もって、だな。報告書を見れば、三ヶ月近く続けてたそうじゃないか」
さらりと言われ、なんとか笑顔に努めていた顔が引きつっていく。
「加えて。西棟への無断出入り」
「うっ……」
「王族専用区画の付近。本来なら下級のメイドなど、よほどのことがなければ立ち入りできない場所だろう?」
「それは……はい。中庭が見えて、つい……」
「やはり。知っていたのにも関わらず、引き返さなかった。つまり不法侵入だ」
──た、試された……!?
いや待て。さっきこの人は「試すのは疑っているとき、確認は信用する前にやること」と言っていた。今のは確認なのか、試しなのか。どっちだ。
ちらりとヴィルフォードを見ると、口の端がわずかに持ち上がっていた。
──なんかこの人、楽しんでない?
手のひらで踊らされているというか。なんだか、猫にじゃれつかれている鼠のような気分になってくる。
「今のは……確認ですか、試しですか」
「さあ、どちらだろうな。まあ、知っていようがいまいが、不法侵入には変わりない」
ヴィルフォードの笑みが深くなった。
ハッとするリゼッタ。正直に「知っていた」と答えても、仮に知らなかったとしても、不法侵入の事実は変わらない。どちらに転んでも結果は同じ。最初から、そういう二択だったのだ。
リゼッタは確信した。
──この人、絶対楽しんでるでしょ。
というか、さっきから一方的に言いくるめられている気がする。じわじわと崖に追い詰められ、逃げ道を塞がれているようだ。
「さらに」
「まだあるんですか!?」
たまらず声が裏返る。確認することはひとつ、と言っていたと思うのだが。
「初対面の夜。王族である俺に対して、草を『食べてみます?』と差し出したな」
「それは、つい出来心と言いますか……」
「王族への無礼にあたる」
「私、そんなつもりじゃ……! それに、草じゃなくてカモミールです! 殿下のクマが気になって、少しでも眠れるようになればいいなって思って……!」
言いながら、だんだん声が小さくなる。善意だったはずなのに、こうして並べられると、ただの言い訳にしか聞こえない。
「善意だったとしても、事実は変わらない」
「まあ……そう言われたら、そうですけど」
「これを踏まえた上で、じっくり考えてみるといい。断れる立場にあるのかどうか、を」
遠回しだが、意味はわかった。断ったら断罪する、ということだ。
観念したかのようにリゼッタは肩の力を抜いて、ひと息ついた。
「……殿下って、意外と意地悪ですよね」
「意地悪?」
「逃げ道を全部塞いでから選ばせるなんて、ずるいです」
わずかに頬を膨らませるリゼッタ。ここまできたら、もう毒見役を引き受ける他ないのだ。ならばせめて、多少の無礼は承知で言いたいことくらい言わせてもらおう。
「事実を並べただけだ」
「その並べ方が意地悪なんですよ」
「……なるほど」
ヴィルフォードが小さく笑った。くすりと声を立てることもなく、目元がわずかに緩んでいるだけ。それだけだったが、リゼッタには彼が笑っているように見えた。
──本当、変な人だなあ。
てっきりまた言いくるめられるか、怒られるかもしれないと思っていたのに。
「意地悪、なんて言われて嫌な気持ちになりません?」
「ならん。言っただろ。他人の言葉には揺らがない、と」
さらりと言い切った。
「お前だって、そうだろ。雑草メイド、リゼッタ・アレシュタイン」
名前を呼ばれて、リゼッタは少し背筋を伸ばした。
雑草メイド──王宮に来てから、ずっとそう呼ばれてきた。陰で笑われながら。それを知ってもなお、リゼッタは在り方を変えなかった。
「はい。私も何を言われても、家族……エマのために働くという気持ちだけは揺らいだことがないので」
静けさが落ちた。ヴィルフォードは、何も言わずリゼッタを見ている。先ほどまでの意地悪な気配は、すっと消えていた。まっすぐな眼差し。何かの確認でも、試されているようでもない。紫色の瞳が静かにリゼッタだけを映している。
「そうか」
短い一言。けれど、その中には否定も嘲りも含まれていないことがわかった。
「だが」
切り出したヴィルフォードの口元に、またわずかな笑みが戻っている。
「俺は、お前の気持ちが大きく揺らぐ言葉をひとつだけ知っている」
「と、言いますと……?」
「毒見役なんて、本当はしなくないと思っている。断罪されるくらいなら引き受けてやるか。と、その程度だろう」
ぎくり、と肩を跳ねさせるリゼッタ。
「図星だな」
ヴィルフォードが、ひと呼吸置いた。
「金貨五枚」
「え?」
「毒見役の特別手当だ。一括で金貨五枚払う。お前の抱えている借金、ほぼ返済できる額のはずだ」
リゼッタの思考が最大限に回転し始めた。
金貨五枚。一括で。エマの薬代だけで考えたら、約一年分だ。手当で借金を返済したら、今まで返済に充てていた分がまるごと浮く。それを全部貯金に回せば、もっとちゃんとした専門の医師に治療を受けさせてあげられる。手術もできて、病気が治るかもしれない。
迷いが一瞬で吹き飛ぶ。代わりに胸を満たしていくのは、はっきりとした希望だった。
「……やります! 私、殿下の毒見役になります!」
「現金なやつだ」
「褒め言葉として受け取ります! 今日から、よろしくお願いします!」
リゼッタの弾んだ即答に、ヴィルフォードはわずかに目を細めた。




