偵察する黒
サクス王国国境付近。
山岳地帯。
人の立ち入らない森林。
昼過ぎ。
風だけが吹いていた。
その山肌に。
異様な物体が伏せている。
巨大な黒い鉄騎。
さらに。
全身へ植物を編み込んだ偽装網が被せられていた。
遠目には自然物にしか見えない。
少なくとも。
普通の人間なら気付かない。
そして。
その鉄騎は動かない。
完全に停止している。
コクピット内部。
一人の少女が欠伸をした。
「ひまー……」
小柄。
年齢は十代半ばほど。
短い金髪。
足をぶらぶらさせながら機体の外を見る。
「まだ終わらないの?」
隣から声が返る。
「終わらん」
低い声。
中年男性だった。
痩せている。
背が高い。
神経質そうな顔。
年齢は四十前後。
彼は偵察カメラを覗きながら言った。
「偵察とはそういうものだ」
少女が嫌そうな顔をする。
「戦う方がいい」
「だからお前を連れてきたくなかった」
男は偵察カメラを覗き続ける。
遠く。
サクスの街道。
王都方面へ続く道。
荷車。
巡回隊。
輸送車列。
全てを記録している。
手元の帳簿へ書き込み。
時折地図へ印を付ける。
少女は椅子へだらしなく座った。
「敵いないじゃん」
「いる」
「どこ」
「見えないだけだ」
少女は鼻を鳴らした。
「面倒」
男は無視した。
慣れているそもそも。
彼女は偵察向きではない。
戦闘向きだ。
本来なら。
もっと別の任務へ回したい。
だが。
今回だけは事情があった。
男はカメラを下に向ける。
遠く。
王都方面。
薄く見える城壁。
そのさらに向こう。
学園方面。
最近異常な情報が増えている。
ヒノクニ。
サクス。
代表決闘。
王立学園。
謎の古代鉄騎。
そして。
ハイド。
男は手帳をめくる。
そこには人物情報。
ハイド。
イーリス。
シャルロット。
クニヒト。
それぞれの名前が並んでいた。
少女が横から覗く。
「その人?」
「そうだ」
「強いの?」
男は少し考えた。
「分からん」
少女は呆れる。
「なんで」
「情報が噛み合わない」
それが正直な感想だった。
まず。
奴隷出身。
次に。
王立学園生。
さらに。
古代鉄騎保有者。
その上。
ヒノクニ皇帝へ勝利。
どれも事実らしい。
だが。
繋がらない。
男は静かに言う。
「異常だ」
少女は楽しそうに笑う。
「じゃあ強いんだ」
「そうとも限らん」
「でも気になる」
「それは否定しない」
男は再びカメラを上げる。
遠く。
山道。
小さな輸送隊が見える。
記録。
人数。
装備。
移動方向。
全てを書き留める。
その手付きは慣れていた。
一方。
少女は完全に飽きていた。
「戦いたいなー」
「駄目だ」
「まだ言ってない」
「どうせ言う」
少女は頬を膨らませた。
男は無視した。
偵察班に必要なのは忍耐。
彼女に最も欠けているものだった。
外。
風が吹く。
偽装網へ絡んだ植物が揺れる。
黒い鉄騎は森へ溶け込んでいる。
もしサクス側の巡回兵が来ても。
恐らく気付かない。
それほど完成された偽装だった。
男は最後に双眼鏡を下ろした。
「……なるほど」
少女が反応する。
「何か見つけた?」
「見つけた」
「敵?」
「いや」
男は遠くを見る。
王都方向。
「面倒な国だ」
少女は笑った。
「面倒じゃない国なんてあるの?」
男は少しだけ考えた。
そして。
静かに答えた。
「ないな」
山の上。
黒い鉄騎は再び沈黙する。
その存在を誰にも知られぬまま。
未だ名も知らぬ第三国の偵察は続いていた。
——————
数日後。
偵察任務は一段落していた。
サクス国内の主要街道。
王都周辺の物流。
巡回部隊の頻度。
一通りの情報は集まっているそのため。
今日は珍しく休息日だった。
そして。
少女は朝から機嫌が良かった。
「街!」
「街だな」
「店!」
「店だな」
「飯!」
「飯だな」
男はため息を吐いた。
サクス王都近郊。
城下町。
人通りは多い。
露店が並び。
商人が声を張り上げている。
肉を焼く匂い。
パンの香り。
果実酒の香り。
様々な匂いが混ざっていた。
少女は完全に観光客だった。
「うわぁ……」
きょろきょろ見回している。
男は財布を確認した。
「使い過ぎるなよ」
「大丈夫」
全く信用できない返事だった。
案の定。
五分後。
少女は肉串を持っていた。
「うまい」
「早いな」
「見つけたから」
当然のように答える。
焼いた肉。
香草。
塩。
非常に単純な料理だ。
だが。
少女は嬉しそうだった。
「本国のと味違う」
男も一本買う。
食べる。
確かに少し違う。
香草の種類が違うのだろう。
「悪くないな」
「でしょ」
何故か得意そうだった。
しばらく歩く。
露店は続く。
パン屋。
果物屋。
装飾品。
古着。
工具。
雑貨。
実に様々だった。
少女は果実飴へ釘付けになった。
「……」
「駄目だぞ」
「まだ何も言ってない」
「顔に書いてある」
少女は不満そうだった。
しかし。
男も少し興味があった。
結局買った。
少女は即座に食べる。
「甘い」
「そうだろうな」
「美味しい」
機嫌が良くなった。
安い。
単純。
だが満足している。
男はそんな様子を見て少し笑った。
普段の彼女は戦闘ばかりだ。
こういう姿は珍しい。
広場へ出る。
大道芸人。
楽師。
子供たち。
賑やかだった。
少女は噴水の縁へ腰掛ける。
「平和だね」
男は周囲を見る。
平和。
確かにそう見える。
だが。
その平和を維持するために。
王都周辺だけでも膨大な人間が働いている。
兵士。
役人。
職人。
商人。
そして。
鉄騎。
男は少し考える。
以前の情報なら。
サクスはもっと不安定だったはずだ。
だが最近は違う。
王家が妙によく動いている。
貴族への監査。
鉱山の接収。
技術開発。
そして。
ヒノクニとの同盟。
全てが急だった。
少女が聞く。
「どうしたの?」
「いや」
男は首を振った。
「少し考え事だ」
少女は気にしない。
露店で買った焼き菓子を食べている。
男はそんな姿を見て呆れる。
「本当に緊張感がないな」
「休みだから」
「偵察員の言葉とは思えん」
少女は笑った。
「今戦えって言われたら戦えるよ」
それは本当だった。
男も知っている。
この少女はそういう人間だ。
普段はだらける。
だが。
戦闘になれば別人になる。
だからこそ。
あの黒い鉄騎の操縦を任されている。
広場を離れる。
今度は職人街。
金属加工。
木工。
革細工。
様々な工房が並ぶ。
男はそちらに興味を示した。
「少し見ていく」
「また仕事?」
「半分な」
少女は嫌そうな顔をした。
しかし付いていく。
職人たちの技術。
工具。
材料。
そういうものも情報になる。
偵察とはそういうものだ。
戦場だけを見る仕事ではない。
町を見る。
人を見る。
生活を見る。
それら全てが国の力になる。
男は工房の様子を観察しながら手帳へ何かを書き込んでいく。
少女はその横でまた何か食べていた。
「まだ食うのか」
「お腹空いた」
「さっき食べただろ」
「別腹」
意味不明だった。
男は諦めた。
城下町の喧騒は続く。
誰も知らない。
この二人が他国の偵察員である事を。
そして。
彼ら自身もまだ知らない。
この国でこれから起きる出来事に、自分たちが巻き込まれる事になるのを。




