空の脅威の仮定
翌朝。
学園の空気は、どこか落ち着かなかった。
理由は単純。
ハイドが戻ったからだ。
しかも「空から」。
当然、生徒たちの間では話題になっている。
「本当に飛んだのか?」
「いや、湖から出てきたって」
「女王陛下が直接確認したらしいぞ」
「じゃあ本当なのか……?」
廊下を歩くハイドは、妙に視線を感じていた。
「……見られてる」
後ろを歩くイーリスが答える。
「有名人ですので」
「嫌だなあ……」
以前の視線とは違う。
恐れ。
好奇心。
警戒。
色々混ざっている。
しかも今は「ヒノクニ帰り」という余計な肩書きまで付いた。
ハイドは教室へ入る。
すると、一瞬だけ会話が止まった。
全員の視線が集まる。
「……」
「……」
ハイドが気まずそうに言う。
「お、おはよう」
数秒遅れて、生徒たちが慌てて返事をした。
「お、おう!」
「おはよう!」
「帰ってきたんだな!」
空気がぎこちない。
ハイドは自席へ座る。
マリーが小声で聞いてくる。
「大丈夫ですか?」
「何が?」
「みんな、ちょっと怖がってるというか……」
ハイドは周囲を見る。
確かに距離感がおかしい。
以前なら好奇心混じりだった。
今は違う。
「空から鉄騎が来る」
その噂が、生徒たちの認識を少し変えてしまっている。
ハイド本人は何も変わっていないのに。
そこへアルノーがやって来た。
椅子へどかっと座る。
「お前、今度は何やらかしたんだ」
「俺が聞きたい」
アルノーは真顔だった。
「王家が本気で動き始めてるぞ」
ハイドが嫌そうな顔をする。
「やっぱそう見える?」
「ああ」
アルノーは声を落とした。
「父上も妙に慌てていた」
グランヴィル侯爵。
保守派ではないが、政治には深く関わる人物。
その侯爵が慌てる。
それだけでも異常だ。
「昨日の夜、王家工房が大規模稼働していたらしい」
ハイドが眉をひそめる。
「工房?」
イーリスが静かに反応した。
「鉄騎関連と推定」
アルノーが頷く。
「多分な」
そして少しだけ声を潜める。
「……ヒノクニの件だろ」
ハイドはため息を吐いた。
「やっぱ変なこと持ち込んだかなあ……」
イーリスは否定する。
「情報価値としては極めて高いです」
「それが怖いんだって」
授業開始の鐘が鳴る。
教師が入ってくる。
だが。
その教師ですら、ハイドをちらりと見た。
完全に広まっている。
ハイドは机に突っ伏したくなった。
授業が始まる。
歴史。
旧文明についての講義だった。
教師が黒板へ文字を書く。
「文明崩壊以前の国家構造――」
そこでふと口を止める。
教室を見渡し。
そして何気ない風を装って言った。
「旧文明期には、超長距離輸送技術も存在したと言われています」
教室がざわつく。
絶対わざとだった。
何人かがハイドを見る。
ハイドは頭を抱えた。
「……やめてくれよ」
イーリスだけが平然としている。
教師は続ける。
「ただし現代では失われた技術です」
イーリスが小さく呟く。
「厳密には一部現存」
ハイドが小声で返す。
「静かにしてくれ頼むから」
だが。
もう遅かった。
学園の中で。
ハイドとデュークは、単なる特別生ではなくなり始めていた。
「未知の技術を持ち込んだ存在」
そう見られ始めている。
そして同じ頃。
王都。
王家工房地下区画。
巨大な図面が広げられていた。
線路のような構造。
超長距離加速設備。
複数の技術官たちが議論している。
その中央。
シャルロット女王は静かに図面を見下ろしていた。
「……山を使えば可能です」
技術官が言う。
「ですが必要電力が莫大です」
別の技術官が続ける。
「発射時の機体保護も問題になります」
シャルロットは静かに目を閉じる。
脳裏に浮かぶ。
空から来る鉄騎。
国境を無視する戦力。
そして。
もし他国が既に持っているなら。
「急ぎなさい」
女王は短く命じた。
サクス王国は今。
知らぬ間に、新しい時代へ踏み込み始めていた。
王家工房地下区画。
そこは元々、旧文明遺物の解析施設だった。
巨大な配線。
剥き出しの金属骨格。
用途不明の古代装置。
その中央に、現在新たな図面群が並べられている。
マスドライバー。
ヒノクニが使用したという、超長距離電磁投射装置。
原理自体は理解できた。
理解“だけ”なら。
「磁力による加速……」
技術官の一人が黒板へ式を書く。
「理論は単純です」
別の技術官が頷く。
「直線軌道上で段階加速を繰り返し、質量体を射出する」
「はい」
「問題は実用化です」
空気が重い。
図面上では成立している。
だが。
現実では成立しない。
少なくとも現状のサクス技術では。
技術官長が額を押さえる。
「出力ムラが酷すぎる……」
原因は分かっていた。
素材純度。
現在のサクスで精製される金属は、旧文明期ほど品質が高くない。
微細な不純物。
導電率の誤差。
それらが積み重なり、磁場形成にムラが生じる。
結果。
加速が安定しない。
「またズレたか」
計測担当が唸る。
試験用小型レール。
そこから射出された金属塊が、目標位置から大きく逸れて壁へ突き刺さっていた。
技術官の一人が言う。
「これを鉄騎サイズでやれば、発射直後に分解します」
誰も否定できない。
さらに問題がある。
「計測装置が足りません」
技術官長が図面を叩く。
「射出タイミング同期。磁場位相制御。軌道補正」
彼は深く息を吐く。
「旧文明はどうやっていた……?」
そこへ。
シャルロット女王が現れた。
全員が即座に姿勢を正す。
女王は試験レールを見る。
壁にめり込んだ金属塊。
焼け焦げた配線。
「進捗を」
技術官長が答える。
「原理検証は完了しています」
「実用化は?」
短い沈黙。
「……困難です」
女王は表情を変えない。
技術官長は続ける。
「最も大きい問題は計測精度です」
「説明を」
「現在の装置では、射出タイミング誤差が大きすぎます」
黒板へ数値が書かれる。
「鉄騎サイズの場合、コンマ数秒のズレで着地点が数十キロ単位で変化します」
女王の目が細くなる。
「……それでは兵器になりません」
「はい」
さらに別の技術官が言う。
「加速時の出力変動も深刻です」
「原因は」
「素材純度」
女王は小さく息を吐いた。
結局そこへ戻る。
旧文明製造素材。
それを現代技術で完全再現できない。
だから限界がある。
だが。
技術官の一人が前へ出た。
「ただし、発電量自体は問題ありません」
女王が視線を向ける。
技術官は言った。
「鉄騎を使用します」
工房内が静かになる。
「……続けなさい」
「鉄騎の胴体炉は半永久発電を行っています」
女王は頷く。
既知情報だ。
だからこそ鉄騎は国家戦力となる。
技術官は続ける。
「複数機から直接給電すれば、必要電力量は賄えます」
別の技術官が補足する。
「試算では、量産型八機からの同時供給で射出は可能かと…」
つまり。
国家級設備になる。
簡単には隠せない。
女王は考える。
ヒノクニ。
あの国は、これを実用化している。
つまり。
現代サクスより遥かに高度な制御技術を持つ。
「……技術差が大きいですわね」
技術官長が苦い顔で頷いた。
「はい」
「ですが不可能ではありません」
女王は試験レールへ歩く。
焼けた金属。
焦げた床。
未完成の技術。
だが。
可能性だけはある。
「時間はかかっても構いません」
シャルロットは静かに言う。
「完成させなさい」
技術官たちが息を呑む。
女王は振り返った。
「もし他国が既に運用しているなら」
その声は静かだった。
だが重い。
「サクスだけが持たないという状況は、許容できません」
工房の空気が張り詰める。
誰も反論しない。
なぜなら全員理解している。
これは単なる新兵器ではない。
戦争そのものを変える技術だ。
そして。
その頃。
学園寮。
ハイドはベッドに寝転がっていた。
「なんか最近怖いんだけど」
イーリスが本を読んでいる。
「何がですか」
「女王」
即答だった。
イーリスは少し考える。
「合理的判断です」
「その合理的が怖いんだよ」




