割に合わぬ獲物
甲板に潮風が吹き抜ける。
出航の号鐘が鳴り、サクスの大型輸送船はゆっくりと港を離れた。
巨大な船体の中央、特設された鉄製の固定甲板に、鉄騎が「座らされて」いる。
デュークだった。
膝を折り、上半身をわずかに前に傾けた姿勢で固定されている。
その姿は、戦闘の構えではない。だが――隠す気もない。
一方で、クニヒトの鉄騎は見当たらない。
船体中央の甲板下。
厚い隔壁の奥、複数の固定具と封鎖措置によって完全に視界から遮断されている。
「……徹底してるな」
ハイドは小さく息を吐いた。
「はい。意図的に“見せない”構成です」
ハナコが即座に答える。
「陽光は、価値が高すぎます。
視認された時点で“狙う理由”になりますので」
「なるほど……」
「その代わりに」
イーリスの声が、わずかに楽しげになる。
「デュークを前面に出しています」
ハイドは苦笑した。
「俺のほうは、見せていいってわけか」
「はい。むしろ“見せるべき存在”です」
甲板では、クニヒトが外套を翻し、船首側に立って海を見ていた。
その隣には、近衛のハナコ。微動だにせず周囲を警戒している。
出航前、クニヒトはこう言っていた。
「鉄騎は見せろ」
「だが、それはデュークにせよ」
「……なるほどな」
ハイドは呟く。
「はい」
イーリスは続ける。
「海賊というのは、損得で動きます。
“鉄騎が乗っている船”
これだけで、接近するリスクが跳ね上がります」
「しかも、その機体が動ける状態で固定されている」
「はい。
“いつでも戦闘に移れる”という前提を強制的に認識させています」
理屈は単純で、そして極めて合理的だった。
「……あの人、皇帝っていうより軍人だな」
ハイドが呟くと、イーリスは即座に返す。
「鉄騎とは力そのものです。この極めて原始的な力には、文化の違いを越えて人は従うものです」
船は沖へ出る。
港の影が小さくなり、水平線が広がるにつれ、周囲の空気が変わっていく。
甲板下では、クニヒトの機体が厳重に固定されている。
動力中枢も遮断され、外部からの干渉は不可能な状態。
一方で、デュークは違う。
完全に見える位置。
完全に固定されながらも、明確に“戦力”として存在している。
「もし接舷された場合は?」
ハイドが何気なく聞く。
「デュークを即時解放します」
「……だよな」
「はい。
その時点で、船上戦闘に移行します」
「外交使節なんだよな、俺たち」
「はい。武力を伴う外交です」
⸻
夜。
甲板に出ると、星が驚くほど近かった。
デュークの影が長く伸び、海面に黒い輪郭を落としている。
まるで、海そのものを睨みつけているようだった。
クニヒトは、その足元に立っていた。
見上げる視線に、敵意はない。
ただ、観察している。
「……やはり、良い機体だな」
そう言って、彼はデュークの装甲に手を置いた。
「重い。古い設計だ。だが、無駄がない」
「褒められてるのか、それ」
「最大級の賛辞だ」
クニヒトは小さく笑う。
「我が国では、こういう機体は“怪物”と呼ばれる。
扱える者が限られ、制御できなければ国を滅ぼすからだ」
ハイドは、決闘の最後を思い出していた。
あの一瞬。
残っているものすべてを使い切った判断。
機体の差ではない。
使い方の差だった。
「ハイド」
クニヒトが名を呼ぶ。
「ヒノクニに来たら、嫌でも政治を見ることになる」
「……覚悟はしてるつもりだ」
「ならいい」
彼は踵を返す。
「だが一つだけ忠告しておく」
振り返る。
「ヒノクニは、負けた相手を“対等”とは見ない」
「じゃあ、どう見る」
「――“使う価値のある存在”だ」
その言葉が、夜の海に落ちた。
⸻
昼の海は、穏やかだった。
船体が波を切る音と、索具が軋む音だけが続く。
甲板中央。
デュークは膝を折り、胴体を起こしたまま座らされている。
その姿は静かだが、明確に“見せつけられている”。
ハイドは、その光景を見上げてから、隣を歩くクニヒトに声をかけた。
「……ひとつ、聞いてもいいですか」
「構わぬ」
「なんで、デュークだけこんなに目立たせるんです?」
クニヒトが答える前に、
「はい、そこは私が説明いたします」
ハナコが一歩前に出た。
「結論から申し上げますと、
これが最も安く、最も確実な海賊避けだからです」
「……安い、ですか?」
「はい」
ハナコは頷く。
「海賊にとって重要なのは、
“勝てるか”と“持ち帰れるか”です」
彼女は、デュークを指す。
「この機体は、その両方を否定します」
「否定?」
「はい。
まず、勝てる保証がない。
さらに、仮に奪えても扱えない可能性が高い」
クニヒトが、静かに口を挟む。
「そして何より――」
デュークを見上げる。
「戦う準備が整っているように見える」
ハイドは、少し納得したように息を吐く。
「……だから“座らせてる”のか」
「はい」
ハナコは頷く。
「立たせれば威圧になる。
だが、構えれば“先に仕掛けられる”と誤解される」
「座らせることで、
“逃げないが、無闇に戦わない”と示す」
「……なるほど」
イーリスが、小さく補足する。
「つまり、“怖がらせる”のではなく、
“割に合わない”と思わせるのです」
クニヒトは、その言葉に小さく笑った。
「良い副官だな」
「……そうですね」
ハイドは、少しだけ照れた。
船は進む。
デュークは座り、海を睨む。
そして海賊たちは、寄らない。
それが、この航海の何よりの証明だった。




