港
歓声は、波のように押し寄せては引いていった。
デュークの中で、ハイドはようやく操縦桿から力を抜く。
指が、じんわりと痺れている。
今になって、全身に遅れてきた疲労が広がっていくのが分かった。
外では、審判が高らかに宣言を繰り返している。
ヒノクニ代表、クニヒトの敗北。
よって――
王国サクスの勝利。
女王シャルロットは、バルコニーの前に進み出た。
白を基調とした装束が、風にはためく。
クラウンは動かない。
だが、その存在感だけで、場は静まっていった。
「ヒノクニ皇帝クニヒトの勇気と誇りに、王国を代表し敬意を表します」
女王の声は、よく通る。
張り上げる必要がない。
「そして――我が王国の代表、ハイド」
一瞬、ハイドの胸が跳ねた。
「その戦いぶり、見事でした」
短い言葉。
だが、重い。
クニヒトは片手を上げて応えた。
その表情に、未練はない。
「約定通り、両国は武をもっての争いをここに終結させます。
ヒノクニとの国交は、改めて交渉の席につきましょう」
女王は、そこで一拍置いた。
「ただし――」
その一言で、空気が引き締まる。
「本日の戦いは、個の武勇に留まるものではありません。
鉄騎という遺物を、いかに“扱うか”。
それを示した場でもありました」
視線が、ハイドへ向く。
「力に溺れず、恐怖から目を逸らさず、それでも前に出る。
その在り方こそ、我が王国が今後示すべき姿です」
女王は、そこで微笑んだ。
「誇りなさい、ハイド。
あなたは、サクスの近衛騎士です」
その言葉が落ちた瞬間、
歓声は、先ほどとは比べものにならないほど大きくなった。
ハイドは、どうしていいか分からず、ただ立ち尽くす。
「……イーリス」
『はい』
「これ、夢じゃないよな」
『夢ではありません。心拍、正常。現実です』
「……そっか」
短く息を吐く。
炭鉱の闇。
鞭の音。
土の匂い。
それらが、遠い記憶になりつつあることに、少しだけ戸惑う。
デュークの装甲越しに、風が当たる。
外は、こんなにも広かったのか。
整備班が、慎重に近づいてくる。
クニヒトの機体の回収が始まり、
観戦席からは、まだ興奮のざわめきが消えない。
イーリスが、静かに言った。
『お疲れさまでした。本当に』
「……なあ」
『何でしょう』
「俺さ」
言葉を探す。
「まだ、よく分かってないんだ。
近衛騎士とか、国を賭けた戦いとか」
『はい』
「でも――」
「今日、負けたくなかった。
それだけは、はっきりしてる」
イーリスは、少しだけ考えるように沈黙した。
『それで十分だと思います。
“理由”は、後から追いついてくるものです』
ハイドは、小さく笑った。
「……お前、たまに難しいこと言うよな」
『学習の成果です』
「そっか」
デュークのハッチが、ゆっくりと開き始める。
外の光が、差し込んでくる。
ハイドは、眩しさに目を細めながら、思った。
(多分……もう、戻れない)
炭鉱には。
あの闇には。
だが、不思議と怖くはなかった。
隣には、イーリスがいる。
足元には、デュークがいる。
それで、いい。
遠くで、女王シャルロットが次の準備に入っているのが見える。
勝利の後始末。
外交。
国内への影響。
この一戦が、波紋を広げていくのは間違いない。
ハイドは、まだ知らない。
これから自分が――
“王国の象徴の一つ”として、
どれほど多くの視線を集めることになるのかを。
だが、今はただ。
地面に足をつけ、
深く、息を吸った。
——————
数日後。
城の外港は、朝靄に包まれていた。
石造りの埠頭に、重い足音が響く。
デュークだった。
白と緑の装甲は修復を終え、整然とした姿に戻っている。その背後、巨大な荷台を曳いていた。鎖と梁で組まれた即席の輸送台。そこには――
桜色だった鉄騎の残骸。
クニヒトの機体は、もはや“機体”とは呼び難い。左腕は欠け、肩部フレームは歪み、装甲は無残に剥がれている。パージされた部位や砕けた補助機構も、まとめて荷台に載せられていた。
だが、乱雑ではない。
丁寧に、回収され、括られている。
それを、ハイドは少し離れた位置から見ていた。
自分が壊した――とは思っていない。
だが、自分が“終わらせた”のは事実だ。
「随分、律儀だな」
隣で、クニヒトが言った。
長い髪を後ろで束ね、簡素な外套を羽織っている。戦場で見たときより、ずっと旅人に近い姿だった。
「壊れたものまで、全部持ち帰らせるとは」
ハイドは、どう返していいか分からず、少し考えてから言う。
「……向こうで、直すんだろ?」
「直すさ。時間は少々かかるがな」
クニヒトは、荷台の桜色の残骸を見上げる。
「負けたからと言って放棄出来るほど鉄騎の価値は安くはない」
その声に、悔恨はない。
あるのは、次を見据える落ち着きだけだ。
その背後で、近衛の女が一歩前に出た。
ハナコ。
切り揃えた髪、鋭い目つき。
立ち姿に、無駄がない。
彼女は、ハイドをじっと見てから、軽く頭を下げた。
「ヒノクニ近衛、ハナコです。
この度の護送と交渉、感謝します」
「……ハイドです」
名乗り返すと、ハナコは一瞬だけ目を細めた。
「あなたが……」
それ以上は言わない。
だが、警戒は隠していない。
イーリスが、ハイドの半歩後ろに立つ。
いつも通りの制服姿。
表情は穏やかだが、視線は周囲をよく見ている。
「出航準備、整っています」
淡々とした声。
数人の大臣たちが、少し離れた場所で小声で打ち合わせをしている。
今回の任務は、“護送”であり、“外交”だ。
ヒノクニとの国交再開。
その象徴として、決闘の勝者であるハイドが“大使役”に選ばれた。
本人の意思は――ほとんど、聞かれていない。
「……俺でいいのか?」
小さく呟く。
イーリスは、すぐに答えた。
「最適です。
ヒノクニ側が“敗北を受け入れた”と示すには、あなたが同行するのが最も分かりやすい」
「……そういうもんか」
クニヒトが、少し笑う。
「そういうものだ。
武で決めた以上、顔を合わせて終わらせる必要がある」
彼は、空を見上げた。
大陸の端。
ここから先は、海だ。
「それに――」
彼は荷台へ歩み寄り、残骸の一部に手をかける。
「このまま帆に任せて進むのは、少し退屈だな」
そう言って引き出したのは、比較的損傷の少ない腕部の駆動ユニットだった。
関節ごと切り離されたそれには、まだ重い回転機構が生きている。
「おい、それ……」
ハイドが眉をひそめる。
クニヒトは、何でもないことのように言った。
「これを使う」
「使うって……何に?」
「船だ」
短く答える。
近くにいた整備兵が一瞬固まる。
「船の後部に固定しろ。軸は外向きに。回転は水を掻く方向へ調整する」
手際よく指示を出すその様子は、戦場のそれと変わらない。
「電源は――」
クニヒトは、自分の壊れた機体を親指で示した。
「俺の機体から引く」
ハナコがわずかに眉を動かす。
「陛下、それは――」
「問題ない。心臓部は生きている」
淡々とした口調。
だが、その内容は常識外れだった。
イーリスが静かに補足する。
「出力供給は可能です。
回転制御も安定化できれば、推進力として機能します」
「……本気かよ」
ハイドが呟く。
クニヒトは、わずかに笑った。
「風任せよりは、確実だろう」
やがて、即席の改修が始まった。
腕部の駆動軸が船尾に固定され、補助梁で支えられる。
配線が引かれ、クニヒトの機体残骸へと接続される。
やがて――
低い唸り音。
回転。
水面が裂け、白い飛沫が上がる。
船体が、わずかに前へ押し出される。
「……動いた」
ハイドが思わず呟く。
帆が張られる前から、船は確かな推進を得ていた。
ハナコは、デュークをじっと見つめている。
「……あの鉄騎、命令を出していない」
「はい」
イーリスが答える。
「自律行動です。
目的地までの牽引と、周囲の安全確保」
「……便利だな」
感心とも、警戒とも取れる声。
クニヒトは、肩をすくめる。
「だからこそ、扱い方を誤ると国が傾く」
彼は、ハイドを見る。
「お前は……どうする?」
「え?」
「この先だ」
海風が、少し強くなる。
ハイドは、すぐには答えられなかった。
近衛騎士。
大使。
鉄騎乗り。
全部、まだ実感がない。
「……分からない」
正直に言う。
「でも、行けって言われた場所には行く。
戦えって言われたら、戦う」
クニヒトは、少し驚いた顔をしてから、笑った。
「正直だな」
「それしか出来ない」
「それでいい」
彼は、静かに頷く。
「国を動かすのは、策士だ。
だが、時代を動かすのは――そういう人間だ」
汽笛が鳴る。
帆が広がり、さらに後方の回転機構が水を掻く。
ゆっくりと、だが力強く――船が離岸する。
港が、遠ざかる。
サクスの城が、小さくなっていく。
ハイドは、甲板の上で、手すりを握った。
隣には、イーリス。
背後には、デューク。
そして、向かいには――
かつて刃を交えた、異国の王。
この航海が、何を連れてくるのかは分からない。
ただ一つ、確かなことがあった。
世界は、もう――
炭鉱の中より、ずっと広い。




