異国の訪問者
数日後。
王都は、妙な静けさに包まれていた。
それは、ただ人が少ないという類の静寂ではない。
何かを待つような、あるいは何かを恐れるような、張りつめた沈黙だった。
朝の鐘が鳴り終わっても、人々は外へ出ようとしない。
普段なら活気に満ちる大通りも、今日はまばらな人影があるだけだった。
商人は店の扉を半分だけ開け、外の様子を窺いながら客を待つ。
職人は仕事の手を止め、何度も空を見上げる。
兵士たちは理由も告げられぬまま配置につき、緊張した面持ちで周囲を警戒していた。
空気が、張りつめている。
目には見えない何かが、王都全体を覆っているかのようだった。
ハイドは、城の中庭を見下ろす回廊に立っていた。
石造りの手すりに片手を置きながら、じっと下の様子を眺めている。
理由は分からない。
だが、朝からずっと胸の奥に引っかかる違和感があった。
何より――イーリスが、いつもより静かだった。
「……イーリス」
「はい」
いつも通りの返事。だが、その声音には僅かな硬さが混じっている。
「なんか、城、変じゃないか?」
ハイドは視線を外さずに言った。
問いというよりは、確認に近い。
イーリスは、すぐには答えなかった。
数秒の沈黙。
その短い時間が、やけに長く感じられる。
「外部からの大型飛翔体を検知しています」
「……それ、早く言えよ」
思わず振り返る。
だがツッコミの言葉とは裏腹に、背筋に冷たいものが走った。
その瞬間だった。
地鳴り。
低く、腹の底に響くような振動が、城全体を揺らした。
石壁がわずかに震え、空気が唸る。
ハイドは反射的に手すりを掴む。
「……っ!」
城壁の向こう。
王都正門の方角から、規則的な振動が伝わってくる。
ドン。
ドン。
ドン。
――歩行音。
それも、人間のそれとは比較にならないほど巨大な。
兵士の怒号が、遠くから聞こえ始める。
統制を取ろうとする声と、動揺を隠しきれない叫びが混ざっていた。
「な、なんだ……?」
ハイドの喉が乾く。
イーリスは静かに回廊の端へ歩み寄り、遠方へ視線を向けた。
その動きに無駄はなく、ただ状況を確認するためだけのものだった。
「視認しました」
「何が来てる」
「鉄騎です」
「……何機?」
間髪入れずに問い返す。
「一機」
ハイドは、思わず聞き返した。
「一機?」
「はい」
その数が、逆に異様だった。
城壁の外。
王都へ続く大路の中央を、それは悠然と歩いてきていた。
桜色。
濃い色、それでいて確かな存在感を持つ色彩。
この国のどの鉄騎とも違う、見慣れぬ色。
装甲は滑らかで、無駄な継ぎ目が見当たらない。
装飾は最小限に抑えられているにもかかわらず、全体として異様なまでに“整って”いた。
無機質でありながら、どこか完成された美しさすら感じさせる。
武器は構えていない。
だが、その必要がないとでも言うように、ただ立っているだけで周囲を圧していた。
誰も、近づけない。
「……あれ」
ハイドの喉が小さく鳴る。
「屋台を聞いてきたあの男……」
「はい」
イーリスの声は、わずかに硬い。
「先日、決闘を観戦していた人物の機体と思われます」
鉄騎は、城門前で止まった。
城下の鉄騎は槍を構えたまま、動けない。
命令が出ていないのではない。――出せないのだ。
下手に刺激すれば、何が起きるか分からない。
その圧が、そこにあった。
鉄騎は、ゆっくりと城を見上げ――
次の瞬間。
跳躍した。
地面を蹴る音は、雷鳴のようだった。
爆ぜるような衝撃とともに、巨体が宙を舞う。
一跳びで、城の中庭へ。
着地の衝撃が石畳を揺らし、空気が震えた。
砂埃が舞い上がり、兵士たちが思わず後ずさる。
誰も、攻撃しない。
いや、できない。
そのまま鉄騎は、ゆっくりと城の正面へ歩み寄り――
女王の執務室があるバルコニーの正面で止まった。
そして。
コクピットが、静かに開いた。
内部から、男が立ち上がる。
長い黒髪が風に揺れる。
異国の装束は、この国のものとは明らかに違っていた。
数日前、屋台を尋ねてきた、あの武士風の男。
彼は鉄騎の胸部に立ち、城を見上げた。
その姿は、まるで舞台の中央に立つ役者のようだった。
すべての視線を、一身に受ける存在。
「――サクス王国、女王シャルロット殿」
声が、城全体に響く。
不思議なことに、拡声装置の類は見当たらない。
それでもその声は、明瞭に、はっきりと、全員の耳に届いた。
ハイドは、息を呑む。
(……あいつ)
バルコニーの扉が、開いた。
女王シャルロットが姿を現す。
赤を基調としたドレス。
無駄のない立ち姿。
背筋は真っ直ぐに伸び、そこに一切の揺らぎはない。
恐れは――ない。
女王は鉄騎と男を見下ろし、静かに言った。
「名を名乗りなさい」
その声は、澄んでいた。
男は、わずかに笑みを浮かべる。
「失礼」
そして、胸に手を当てる。
「ヒノクニ皇帝」
城内が、ざわめく。
その名を知らぬ者はいない。
噂でしか語られぬ、東方の大国。
男は、はっきりと言った。
「名は、クニヒト」
沈黙が落ちる。
女王は、即座に理解した。
これは、ただの訪問ではない。
挑発ですらない。
――宣戦布告だ。
「要件を述べなさい」
女王の声は、揺れない。
クニヒトは、ゆっくりと周囲を見渡した。
兵士。
貴族。
使用人。
そして、回廊に立つハイドとイーリス。
一瞬だけ、視線がハイドに向く。
心臓が跳ねる。
だが、その視線はすぐに女王へ戻った。
「貴様らの流儀に従い代表決闘を申し込む」
その一言で、空気が凍りつく。
「国を賭けた、代表決闘である」
ざわめきが怒号へと変わりかける。
だが、女王は静かに手を上げ、それを制した。
一瞬で、場が鎮まる。
「……続けなさい」
クニヒトは、淡々と告げる。
「ヒノクニ代表は、我」
「サクス代表は、貴国が決めよ」
「勝者の国が、敗者の国を従える」
一拍置き、言葉を継ぐ。
「血は流さぬ。
だが、退路もない」
ハイドは、思わず呟いた。
「……国を賭けるって」
「はい」
イーリスが答える。
「非常に合理的な外交手段です」
「合理的で済む話かよ……」
乾いた声が漏れる。
女王は、しばし沈黙した。
城内の全員が、次の言葉を待っている。
やがて、シャルロットは口を開いた。
「なぜ、今なのです」
クニヒトは、即答した。
「貴国が、変わり始めたからだ」
「それは、脅威になりうる」
女王の目が、わずかに細くなる。
「……見ていたのですね」
「はい」
クニヒトは、あっさりと認めた。
「だから、賭ける価値がある」
沈黙。
女王は深く息を吸い、そして静かに吐いた。
「代表は、私が決めると言いましたね」
「そうだ」
「その条件、受けましょう」
城内が、どよめく。
ハイドは思わず身を乗り出した。
「え……?」
女王は続ける。
「決闘の形式、日程、場所。
すべて、王国法に基づいて定めます」
クニヒトは、満足そうに頷いた。
「望むところだ」
彼は鉄騎の中へ戻る。
「楽しみにしている」
「サクスの王」
その言葉に、女王は答えない。
桜色の鉄騎は再び動き出し、
来た時と同じように悠然と城を後にした。
地鳴りが、徐々に遠ざかっていく。
やがて完全に消えたとき――
ようやく、城内に息が戻った。
張りつめていた空気が、一気に緩む。
ハイドは震える声で言った。
「……イーリス」
「はい」
「あれ、俺たち……関係あるよな?」
イーリスは、わずかに考える素振りを見せてから答えた。
「はい」
「高確率で」
ハイドは、乾いた笑いを漏らした。
「……だよな」
遠く、王都の空に夕日が沈み始める。
赤く染まる空。
長く伸びる影。
その静けさの裏で――
歯車は、もう止まらない。
国を賭けた決闘という名の戦争が、
静かに、しかし確実に――動き出していた。




