王の決闘
決闘の場は、王都北方にある旧王城外郭――
建国広場と呼ばれる、円形の大地だった。
王都の城壁から北へ進み、古い防壁の残骸を越えた先に、その広場はある。周囲を緩やかな丘に囲まれた巨大な窪地で、上空から見ればほぼ完全な円形を描いていた。直径は数百歩を優に超え、鉄騎同士が戦うには十分すぎる広さがある。
地面は固く踏み締められた土で、ところどころに古い石の破片が埋まっている。これはかつて存在した旧王城外郭の石材だと言われていた。城が取り壊された後も、この広場だけはそのまま残された。
理由は単純だった。
この場所こそが、王国という国家が誕生した場所だからである。
かつて王国が建てられたその日、
初代王が鉄騎を立たせ、諸侯に剣ではなく“力”で王権を示した場所。
当時、この地にはまだ城も城壁もなかった。ただ荒れた丘と平地が広がるだけの土地だったと言われている。そこに初代王は巨大な鉄騎を立たせ、周囲に集まった諸侯たちにこう告げた。
王とは、血ではない。
王とは、力である。
その言葉と共に、鉄騎は一歩を踏み出した。
その瞬間、王国は始まった。
以後、この地で行われる鉄騎決闘は、すべて「王権そのもの」を賭けたものと見なされる。
それは単なる見世物の試合ではない。
貴族同士の私闘でもない。
この地で鉄騎を立たせるということは、王権に関わる戦いであるという意味を持つ。
逃げ場はない。
建前も通じない。
勝てば正義。
負ければ終わり。
それがこの場所の掟だった。
だが――
今日の建国広場は、静寂に包まれてはいなかった。
広場の周囲の円環の上部には仮設の観覧席が組まれ、無数の人影が詰めかけている。木材で組まれた段状の席は、広場を取り囲むようにぐるりと並び、上段には布製の屋根まで張られていた。
そこに座っているのは、貴族、商人、軍人、そして一般市民。
決闘の観戦は、許可されていた。
ただし――
観戦料を払った者だけに。
建国広場で行われる鉄騎決闘は、王国でも最大級の見世物でもある。普段は貴族同士の名誉戦が行われることが多いが、今回は事情が違った。
王が戦う。
その噂は、瞬く間に王都中へ広がった。
当然、人は集まる。
そして王国は、それを止めなかった。
むしろ公式に観戦席を設置し、料金を徴収し、記録官を配置した。
王権の戦いを、あえて公開する。
それは政治でもあった。
空は低く、雲が重なり合っていた。
雲は厚く、太陽の光をほとんど遮っている。広場の空気は重く、湿り気を帯びていた。遠くで風が吹き、観覧席の旗がゆっくりと揺れている。
観衆のざわめきは、抑えられていた。
人は多い。
だが、騒がしくはない。
皆が、この決闘の意味を理解しているからだ。
その中でも、最も高い位置に設けられた観覧席。
そこは一般席とは完全に区切られていた。厚い布で覆われた屋根、柔らかな椅子、専用の護衛。
特別観戦席。
王家が招待した者だけが入ることを許された席だった。
その席に、二人の姿があった。
ハイドとイーリスである。
ハイドは椅子に座り、広場を見下ろしていた。視線はまっすぐ戦場へ向けられている。周囲のざわめきも、観客の視線も、ほとんど気にしていない様子だった。
隣にはイーリスが立っている。
小さな身体で背筋を伸ばし、同じく広場を見ていた。彼女の瞳は静かだが、その奥では膨大な情報処理が走っている。
「……人が多いですね」
イーリスが小さく言う。
ハイドは短く答えた。
「そりゃそうだろ」
視線は広場の中央から動かない。
「王が戦うんだ」
それだけで、人は集まる。
ハイドはそれを理解していた。
その視線の先。
広場の中央には、巨大な昇降台が設置されている。
女王シャルロットは、静かに昇降台へと歩を進める。
その背後で、
巨大な扉が、地鳴りと共に開いた。
地下格納庫へ続く門。
鉄の扉が左右にゆっくりと開き、その奥から影が現れる。
現れるのは――
建国の鉄騎。
白を基調とした装甲。
純白の外装の中に、赤い塗装。関節部や内部フレームは金色に輝き、太陽の光を受けて鈍く光っていた。
その姿は、まるで儀礼用の鎧のようでもある。
だが実際には違う。
この鉄騎は、王家専用の戦闘機体。
王の鉄騎である。
過剰な装飾はない。
だが、全身のラインは「王冠」を思わせるように均整が取れ、威圧感を放っている。
派手さはない。
性能も、突出していない。
だが王家の鉄騎には、ひとつだけ他と違うものがあった。
女王は昇降台に立ち、機体の前方へと回る。
胸部の装甲がゆっくりと開いた。
内部に現れるのは、接続端子。
女王はチョーカーの飾りを持ち上げ、首筋を露出させる。
そこには小さな神経接続端子が埋め込まれていた。
王家専用の操縦方式。
女王は端子を首筋へと接続する。
その瞬間――
痛み
世界が、切り替わる。
視界が広がる。
音が変わる。
感覚が、拡張される。
鉄騎の足が、自分の足になる。
鉄騎の腕が、自分の腕になる。
それは操縦ではない。
肉体の拡張だった。
(……久しぶりですね)
女王は、機体の感触を確かめるように指を動かした。
巨大な鉄の指が、ゆっくりと開閉する。
反応は重い。
だが、正確だった。
まるで自分の身体のように動く。
一方、対峙するヴァルター・フォン・グライフナーは、既に搭乗していた。
彼の鉄騎は黒鉄色の重装機体。
関節部は補強され、出力重視の調整がなされている。腕部には分厚い衝撃吸収打撃装備が装着されていた。
真正面からぶつかれば、女王の機体は不利だ。
観客席でもざわめきが広がる。
「重量型だ」
「女王の機体じゃ押し負けるぞ」
「出力が違う」
だがハイドは、その様子を黙って見ていた。
イーリスが小さく言う。
「あの機体は高出力が強み、非力なクラウンでは不利です」
そして広場。
「――始めようか、陛下」
通信越しに、ヴァルターの声が響く。
決闘開始の合図。
次の瞬間、
ヴァルターの鉄騎が地面を砕き、突進する。
巨大な足が大地を抉り、土が跳ね上がる。
力任せ。
速度任せ。
だが、それで十分だと彼は思っている。
女王の鉄騎は、一歩も下がらない。
ハイドはそれを見て、小さく呟いた。
「……ああ」
そして、少しだけ笑う。
「そう来るか」
女王の戦い方を。
この瞬間、彼は理解した。
ハイドはそれを見て、小さく呟いた。
「……ああ」
そして、少しだけ笑う。
「そう来るか」
だが――
それは戦術を理解した笑いではない。
ハイドは、戦い方が理解できるほど賢くはない。
広場の中央では、既に鉄騎同士の距離が一気に詰まっている。
ヴァルターの鉄騎は重装型。
重量も出力も高く、踏み込みは強烈だった。
巨大な脚が大地を砕くたび、建国広場の土が跳ね上がる。観客席まで振動が伝わり、木製の座席が小さく軋んだ。
「速い!」
誰かが叫ぶ。
観客の多くは鉄騎戦を何度も見てきた人間だが、それでもこの突進には息を呑んでいた。
重装機体とは思えない速度だった。
一直線。
女王の機体へ。
だが――
女王の鉄騎は動かない。
白い機体は、ただ静かに立っている。
赤い装飾線と金色のフレームが曇った光を反射し、まるで巨大な像のように動かない。
その様子に、観客席でざわめきが広がる。
「動かないぞ」
「間に合わないんじゃないか」
「押し潰されるぞ」
だが特別観戦席では、違う反応があった。
イーリスは静かに広場を見ている。
彼女の視線は、ヴァルターの機体の関節に向けられていた。
「かなりの無理を機体に強いています」
小さく呟く。
「右肩部、右膝関節、過負荷」
ハイドはその横で、腕を組んでいた。
視線は広場。
だが、彼は何も分析していない。
ただ見ている。
純粋に。
単純に。
巨大な鉄がぶつかる瞬間を。
「ぶつかるな」
それだけだった。
そして――
ぶつかる直前。
女王の鉄騎が、動いた。
ほんの半歩。
横へ。
巨大な機体とは思えないほど、小さく、わずかな移動だった。
だがそれだけで、突進の軌道がずれる。
ヴァルターの鉄騎の肩が、女王の機体の横をかすめる。
その瞬間。
女王の機体の腕が伸びた。
掴む。
ヴァルター機の右腕。
肘の少し下。
関節の近く。
「……?」
ハイドは眉をひそめた。
「なんだ今」
殴ったわけでもない。
蹴ったわけでもない。
ただ、掴んだ。
それだけだった。
次の瞬間。
ヴァルターの鉄騎の腕から、嫌な音がした。
金属が軋む音。
フレームが歪む音。
「……ん?」
ハイドが間抜けな声を出す。
広場では、ヴァルターが怒鳴っていた。
「なっ――!?」
彼は理解できなかった。
殴られていない。
武器も使われていない。
なのに腕の関節が重くなる。
動きが、鈍る。
「何をした!」
女王は答えない。
白い機体は、もう一歩下がる。
ヴァルターは怒りのままに踏み込む。
今度は左腕を振りかぶる。
巨大な拳部。
鉄騎の質量が乗った一撃。
もし当たれば、女王の機体はただでは済まない。
観客席が息を呑む。
だが。
また。
同じことが起きた。
女王の機体は、ほんの少し体をずらす。
拳が空を切る。
そして。
また、掴む。
今度は肩装甲の付け根。
ほんの一瞬。
そして離す。
ヴァルターの鉄騎の動きが、また鈍る。
「……?」
ハイドは首を傾げた。
「……なんだ?」
理解できない。
殴っていない。
武器も使っていない。
なのに相手の動きが遅くなる。
イーリスが横で言う。
「関節負荷、蓄積」
ハイドは即答した。
「分からん」
イーリスは少しだけ黙る。
広場では戦いが続いている。
ヴァルターは怒りに任せて突進する。
踏み込む。
振るう。
だが。
そのたびに。
掴まれる。
触られる。
流される。
その結果。
鉄騎の動きが、少しずつ、確実に、鈍くなる。
観客席でもざわめきが広がる。
「何をしているんだ?」
「攻撃していないぞ」
「でも動きが……」
そして。
十数合ほど経ったころ。
ヴァルターの鉄騎は、明らかに遅くなっていた。
踏み込みが浅い。
腕の動きが重い。
関節が悲鳴を上げている。
ハイドはそれを見て、やっと言った。
「……弱ってる?」
イーリスは答える。
「弱くなっています」
ハイドは頷いた。
「だよな」
理由は分かっていない。
だが結果は分かる。
最初は速かった。
今は遅い。
それだけだ。
広場の中央。
ヴァルターは怒鳴る。
「何をした!」
女王は、静かに言った。
「撫でているだけです」
そして。
最後の瞬間。
ヴァルターが踏み込もうとした瞬間。
女王の機体が動く。
白い腕が伸びる。
胸部装甲を掴む。
ほんの少し。
捻る。
それだけだった。
巨大な鉄騎の重心が崩れる。
脚がもつれる。
そして。
膝が地面についた。
ドォン、と重い音が建国広場に響く。
完全な敗北。
観客席が、静まり返る。
誰も、声を出さない。
記録官の手が震えている。
広場の中央で。
白い鉄騎だけが、静かに立っていた。
特別観戦席で。
ハイドは言った。
「……終わったな」
イーリスは答える。
「はい」
ハイドは少し考えてから言う。
「……あれ」
「はい」
「多分」
そして、首をかしげた。
「強いんだろうな」
理解はしていない、だが。
勝ったことだけは、分かった。




