決闘申請
それは、紙切れ一枚だった。
だが、ハイドにとっては、石の塊のように重かった。
朝の講義が終わり、教室がざわめき始めた頃。
教官に呼び止められ、別室へ向かう途中で、それを渡された。
「正式な手続きだ」
教官はそれ以上、何も言わなかった。
部屋に入ると、長机の上に置かれた書類が目に入る。
厚手の紙。
装飾はないが、王家の印が押されている。
決闘申請。
その文字を、ハイドはすぐには理解できなかった。
「……これ、は」
声に出して、ようやく意味が頭に入ってくる。
決闘。
鉄騎同士による、正式な私闘。
学園内では原則禁止。
だが、貴族同士の紛争を「学園の外に持ち出さない」ための、例外的制度。
勝敗は公的に記録され、
結果は、両家の名誉として扱われる。
逃げ道はない。
「相手は……」
教官が、淡々と告げる。
「ルートヴィヒ・フォン・ヴァルデック」
やはり、という思いと、
本当に来た、という実感が同時に湧いた。
教官は、ハイドの反応を観察している。
「拒否権はある。だが……」
言葉を切り、続ける。
「拒否すれば、彼らは“別の形”で来るだろう」
ハイドは、黙って書類を見下ろした。
細かい条文は、正直よく分からない。
だが、最後の一文だけは、はっきり読めた。
――決闘は、双方の鉄騎を用い、致死行為を禁ずる。
「……致死、しなければ、いいんですか」
自分の声が、ひどく遠く感じた。
教官は、即答しなかった。
「鉄騎の決闘だ。
“死ななかった”だけで済めば、幸運だろう」
その言い方が、答えだった。
部屋を出ると、廊下にイーリスが立っていた。
最初から、そこにいたかのように。
「決闘申請が届きましたね」
断定。
ハイドは驚かなかった。
「……知ってた?」
「可能性が高いと予測していました。
演習中の介入行為、教官からの非公式示唆、
ルートヴィヒ側の人員接触状況」
淡々と列挙される情報。
「申請は、今日か明日。
形式は、鉄騎決闘。
学園規定内で、最も“合法的”な排除手段です」
排除、という言葉が胸に刺さる。
「……やめた方が、いいのかな」
思わず、口から出た。
イーリスは、一瞬だけ間を置いた。
「それは、あなたが決めることです」
珍しい言い回しだった。
「私は、結果の最適化を行う存在です。
選択自体を、代行する権限はありません」
ハイドは、廊下の壁に背を預ける。
冷たい石の感触が、妙に現実的だった。
「……戦ったら、どうなる」
「勝率は高いです」
即答。
「ただし、相手は奇襲を前提に動くでしょう。
規定違反にならない範囲での“事故”を狙います」
「……事故」
「転倒。
武装破損による制御喪失。
あるいは、第三者の介入」
どれも、以前なら想像もできなかった。
ハイドは、拳を握る。
炭鉱では、殴られる側だった。
逆らうという発想自体が、なかった。
だが、今は。
「……逃げたら」
「彼らは、次の対象を探します」
イーリスの声は、変わらない。
「マリー・エルヴェシア。
あるいは、あなたと関わった他の生徒」
その名前が出た瞬間、胸がざわついた。
「……それは」
「“弱いところから削る”のが、彼らの合理です」
ハイドは、目を閉じた。
守りたい、という感情が、
いつ生まれたのか分からない。
だが、確かに、そこにあった。
「……受ける」
短く言う。
イーリスは、すぐには頷かなかった。
「確認します。
あなたは、恐怖を感じていますか」
「……感じてる」
正直に答える。
「でも、それだけじゃない」
自分の声が、少しだけ強くなる。
「……ここで引いたら、
また、元に戻る気がする」
殴られる側。
奪われる側。
それだけの存在に。
イーリスは、静かに頭を下げた。
「了解しました」
それは、敬意のある動作だった。
「では、私は“勝つための行動”に専念します」
その言葉が、妙に頼もしく、
同時に、少し怖かった。
その日の夕方。
学園中に、決闘の噂が広がった。
公式発表は、まだ。
だが、貴族の子供たちは、嗅ぎつける。
「炭鉱奴隷が、決闘だって?」
「相手はヴァルデック家だぞ」
「無茶だ」
囁き声。
視線。
期待と、嘲笑。
ハイドは、それらを真正面から受け止めるほど、強くはなかった。
だが。
背後に立つ影が、ぶれない。
イーリスは、いつもの距離で、そこにいる。
「ハイド様」
静かな声。
「決闘は、あなたの“価値”を示す場ではありません」
「……じゃあ、何」
「“居場所を奪われない”と示す場です」
その言葉は、冷静で、残酷で、
そして、ひどく現実的だった。
ハイドは、ゆっくりと頷いた。
決闘は、もう避けられない。
そしてこの一戦は、
ただの私闘では終わらない。
誰もが、それを感じていた。
——————
決闘を受けると決めてから、学園の時間は妙に静かになった。
授業は続いている。
訓練もある。
だが、空気だけが一段、張り詰めている。
ハイドは、それを言葉にできなかった。
ただ、夜になると眠りが浅くなり、
目を閉じると、鉄騎の足音が聞こえる気がした。
その日の放課後。
イーリスは、唐突に言った。
「準備を開始します」
「……なにを?」
問い返すと、彼女は首を傾げる。
「決闘です」
それ以外に何があるのか、と言いたげだった。
二人が向かったのは、学園の外れ。
正式な整備区画から外れた、廃材置き場だった。
壊れた訓練用装甲。
歪んだ骨組み。
用途不明の金属片。
ハイドにとっては、ただの瓦礫の山だ。
イーリスは、その中に迷いなく踏み込んだ。
「ここに、十分な素材があります」
そう言って、錆びた金属を拾い上げる。
「……それ、ゴミだぞ」
「いいえ」
即答。
「通信に用いるには、十分な導電率です」
イーリスは、金属片を次々と組み合わせていく。
工具はない。
素手だ。
折る。
曲げる。
噛み合わせる。
まるで、設計図が最初から頭に入っているかのようだった。
「……何を作ってる」
「送信アンテナです」
あまりにも当然のように言う。
「学園の正規設備を使用すると、記録が残ります。
非公式手段が望ましい」
ハイドは、言葉を失った。
鉄騎の決闘の準備というより、
何か“軍事行動”の前段階のように聞こえる。
やがて、奇妙な形の金属構造物が出来上がった。
細く、歪で、
どう見ても武器にはならない。
「……これで?」
「十分です」
イーリスは、それを地面に突き立てる。
次の瞬間。
空気が、わずかに震えた。
低く、重い振動。
「……なに、今の」
ハイドが思わず辺りを見回す。
イーリスは、空を見上げていた。
「応答を確認しました」
その言葉の意味を、ハイドが理解するより先に。
遠くで、何かが動いた。
地鳴り。
規則的で、重い。
――足音だ。
「まさか……」
ハイドの喉が、ひくりと鳴る。
学園の外。
さらに向こう。
城の方角から。
それは来た。
白い城壁の陰で、一度だけ姿が見え、
次の瞬間には、全力で走り出す。
二十メートル級の人型。
騎士のような、スリムな輪郭。
白を基調に、差し色の緑。
ハイドの、鉄騎。
デュークだった。
「……来た」
言葉にならない声が、漏れた。
城で眠っているはずの機体が、
誰にも乗られず、
ただ一人で、こちらへ向かってくる。
イーリスは、淡々と告げる。
「自律移動モードを使用しています。
人目を避けるため、最短経路は通っていません」
「……そんなこと、できるのか」
「本来は、パイロット補助用の機能です」
あくまで、“補助”。
だが今、それは完全に独立した存在のようだった。
学園の整備ハンガーが見えてくる。
夜の帳が下り始め、
人の気配は少ない。
デュークは、減速し、
正確にハンガーの前で停止した。
静止したその姿を見て、
ハイドは、胸の奥がじんと熱くなるのを感じた。
呼ばれて、来た。
それだけの事実が、
ひどく重かった。
「……中に、入る?」
そう聞くと、イーリスは首を振る。
「今回は、不要です」
彼女は、別の準備を始めていた。
細長い棒状のもの。
先端に、紙が括りつけられている。
「……それは」
「矢文です」
ハイドは目を瞬いた。
「城へ送ります」
「撃つのか?」
「非殺傷です」
念を押すように言う。
「王城の警備を考慮し、
威力は最低限に抑えています」
イーリスは、矢を構える。
その姿勢は、正確で、無駄がない。
放たれた矢は、夜空を切り裂き、
城の方向へと消えていった。
「……内容は?」
「演習において、デュークを使用する許可申請です」
「それだけ?」
「はい」
一拍。
「正確には、“事後報告”ですが」
ハイドは、頭を抱えたくなった。
「……怒られないか」
「合理的に考えれば、許可されます」
イーリスは、少しだけ考える素振りを見せる。
「女王陛下は、結果を重視される方です」
その言い方は、確信に満ちていた。
しばらくして。
城の方角から、何の反応もないまま、時間が過ぎる。
「……大丈夫なのか」
「はい」
イーリスは、すでに次の工程を終えていた。
彼女が差し出してきた紙を、ハイドは受け取る。
文字が、整いすぎていた。
癖がない。
揺れがない。
まるで、印刷されたようだ。
「……これ、手書き?」
「はい」
「……すごいな」
思わず言うと、イーリスは一瞬だけ視線を逸らした。
「……学習の結果です」
それだけだった。
夜のハンガーに、
白と緑の鉄騎が静かに佇んでいる。
誰も乗っていない。
それでも、そこに“意思”があるように見えた。
ハイドは、デュークを見上げる。
「……勝てるかな」
独り言のように呟く。
イーリスは、即答しなかった。
「勝敗は、確率の問題です」
やがて、そう前置きしてから。
「ですが、あなたが負ける前提で行動する必要はありません」
それは、励ましではない。
ただの事実だった。
ハイドは、深く息を吸う。
決闘は、もうすぐだ。
そして今、
自分の背後には、
鉄騎と、理解不能な相棒がいる。
それだけで、
炭鉱にいた頃の自分とは、
もう違う場所に立っている気がした。




