許可された敵意
石張りの廊下は、やけに静かだった。
鉄騎学園・教官棟。
その一室の扉が閉まった直後、ルートヴィヒ・フォン・ヴァルデックは、無意識に奥歯を噛み締めていた。
「――以上だ。今回は“厳重注意”に留める」
先ほどまで向かいに座っていた教官の声が、まだ耳に残っている。
厳重注意。
その言葉自体は軽い。
停学も、操縦資格停止もない。
だが、問題はそこではなかった。
(炭鉱奴隷ごときのために、俺が……)
指先が、自然と震える。
あの場でランスを構えた瞬間。
相手は怯えるどころか、必死に生き延びようと足掻いていた。
――それだけなら、まだよかった。
問題は、あの女だ。
イーリス。
生徒名簿では、ただの「同伴者」「特別扱いの存在」。
だが実際には、
量産型鉄騎を“内側から”操った。
(馬鹿な……)
ルートヴィヒは、廊下の壁に拳を打ち付けそうになるのを堪えた。
その時だった。
「……ルートヴィヒ」
小さな声が、背後からかけられる。
振り返ると、先ほどまで処分を告げていた教官が、周囲を気にするように視線を走らせていた。
「今回はな」
声量を極限まで落とし、囁く。
「演習妨害だった。
だから問題になった」
「……何が言いたいのですか」
教官は、ほんの一瞬だけ、躊躇ったように見えた。
そして、決定的な一言を落とす。
「正式な“決闘申請”であれば、話は別だ」
ルートヴィヒの目が、わずかに見開かれる。
「学園規定第七条。
生徒間の決闘は、教官立ち会いのもとであれば認められている」
「……それは、存じています」
「ならいい」
教官は、それ以上何も言わず、踵を返した。
廊下に残されたのは、ルートヴィヒ一人。
だが、その胸中で、何かがはっきりと形を持った。
(――奇襲は、駄目だが)
(決闘なら、いい)
学園は公平を謳っている。
だが実際には、血筋と後ろ盾がすべてだ。
決闘の形式。
使用機体。
立ち会い教官の選定。
そのすべてに、調整の余地がある。
ルートヴィヒは、ゆっくりと息を吐いた。
(次は、仕留める)
そのためには、一人では足りない。
ハイド本人だけでなく、
イーリスという“不確定要素”を排除する必要がある。
その夜。
寮の談話室。
人目につきにくい時間帯を選び、ルートヴィヒは動き始めた。
声をかける相手は、選んでいる。
・王権強化に反発する家系
・新式鉄騎や特別クラスに不満を持つ者
・炭鉱奴隷の出自を嫌悪している者
共通点は一つ。
――現状が気に入らない。
「特別クラスだとさ」
ルートヴィヒは、あくまで軽い調子で切り出す。
「女王のお気に入りらしい」
相手の眉が、わずかに動く。
「しかも、量産型であの動きだ。
放っておけば、いずれ実戦配備だろうな」
「……冗談じゃない」
食いつきは、予想以上だった。
誰もが感じている。
学園の空気が、変わりつつあることを。
「決闘なら、正当だ」
ルートヴィヒは、低く告げる。
「実力を示す、ただそれだけの話だ」
――嘘ではない。
決闘は、学園の伝統だ。
力を示し、序列を明確にする儀式。
ただし。
(奇襲は、決闘の“中”でやればいい)
複数人。
連携。
視界の外からの介入。
規定の隙は、いくらでもある。
その夜のうちに、数名が静かに集まった。
全員、保守派貴族の子息。
そして、同じ不満を抱えている。
「相手は、炭鉱奴隷だ」
ルートヴィヒは、最後にそう言った。
「女王が庇っているから、今は生きているだけだ」
誰かが、短く笑った。
「……なら、決闘で“教育”してやるだけだな」
ルートヴィヒは、その言葉に頷く。
胸の奥で、冷たい確信が固まっていく。
次は、演習ではない。
訓練でもない。
――正式な、決闘だ。
そして、その場には、
もう“偶然”は存在しない。
すべては、準備された敵意として――
ハイドへと向けられる。
——————
訓練場から寮へ戻る途中、学園の中庭は妙に落ち着かない空気に包まれていた。
鉄騎学園は広い。
だがその分、噂が伝わるのも早い。
ハイドは歩きながら、自分の手を何度も握ったり開いたりしていた。
無意識の癖だ。
「……その、さ」
隣を歩くマリー・エルヴェシアが、遠慮がちに口を開いた。
「今日のことなんだけど……」
ハイドは足を止める。
「ごめん。巻き込んだ」
それだけ言うのに、少し時間がかかった。
マリーは慌てて首を振る。
「ち、違うの。ハイドのせいじゃないわ」
声は震えているが、はっきりしていた。
「ああいうの……慣れてなくて。
決闘とか、鉄騎同士であんな距離で……」
言葉が途切れる。
あの時。
実戦用ランスの穂先が、自分の機体を狙った瞬間。
彼女は、何も出来なかった。
「……怖かった?」
ハイドは、少しだけ俯いたまま聞いた。
マリーは小さく頷く。
「うん。でも、それ以上に……」
そこで、言葉が止まった。
視線が、ハイドの背後へと移る。
イーリスは、二人の少し後ろを歩いていた。
距離は、三歩ほど。
意図的なのか、偶然なのか分からないが、常にその位置だ。
背筋を伸ばし、無表情。
学園の制服を着ているはずなのに、どこか“異物”だった。
「……あの」
マリーは、意を決したように口を開く。
「イーリスさん……ですよね」
イーリスは即座に反応した。
「はい」
声は、丁寧な敬語。
しかし、感情の起伏はほとんど感じられない。
「私は、あなたを気にする必要はありません」
それは、慰めのつもりだった。
「ハイド様の訓練相手として、あなたの行動は適切でした。
今回の件は、外乱要因によるものです」
論理的で、正確。
だが――
マリーは、思わず肩をすくめた。
「……その、そうじゃなくて」
言い淀む。
「気にしてないって言われると……
逆に、気になるというか……」
イーリスは、わずかに首を傾けた。
「視線の問題でしょうか」
「え?」
「あなたは、私から視線を向けられていると感じている。
それが、不快感の原因です」
あまりにも直球だった。
マリーの顔が赤くなる。
「い、嫌とかじゃないの!
ただ……その……」
じろじろ見られているような感覚。
値踏みされているような。
それでいて、悪意は感じない。
どう扱えばいいのか、分からない存在。
ハイドは、そのやり取りを横で聞きながら、落ち着かない気持ちになっていた。
「……イーリス」
名を呼ぶ。
「少し、離れてもいい」
イーリスは即座に答える。
「了解しました」
一歩、後ろに下がる。
だが、完全には視線を切らない。
マリーはそれを見て、苦笑した。
「ほら……やっぱり見られてる」
その言葉に、イーリスは初めて沈黙した。
数秒。
内部処理を行っているかのような間。
「……訂正します」
やがて、静かに言う。
「私は、あなたを“監視”しているわけではありません」
「じゃあ……?」
「比較対象です」
マリーは、言葉を失った。
ハイドも、思わず振り返る。
「ハイド様が、どのような人間と協調できるか。
その傾向を把握するために、あなたを観測しています」
淡々とした説明。
だが、その内容は、あまりに率直だった。
「ご不快であれば、観測頻度を下げます」
「……そ、そこまで言われると……」
マリーは、困ったように笑った。
「嫌じゃないけど……慣れないだけ」
その言葉に、イーリスは小さく頷いた。
「学習します」
それだけ言うと、視線を外す。
ほんのわずかだが、確かに。
中庭に、短い沈黙が落ちた。
ハイドは、その空気の中で、ふと気づく。
自分たちが、見られている。
遠く。
校舎の窓。
通路の影。
露骨ではないが、確実に。
(……始まってる)
理由は分からない。
だが、空気が変わった。
イーリスは、それにも気づいていた。
何も言わない。
だが、ハイドの歩調に、ぴたりと合わせてくる。
マリーは、その様子を横目で見て、ぽつりと呟いた。
「……ねえ、ハイド」
「なに」
「あなた、守られてるよね」
それは、羨望ではなかった。
ただの事実確認。
ハイドは、少し考えてから答えた。
「……分からない」
本音だった。
守られているのか。
利用されているのか。
その区別すら、まだつかない。
だが。
背後にいる存在が、
自分を中心に世界を見ている。
その事実だけは、はっきりしていた。
そしてそれが、
誰かにとっては、決して許容できないものだということも。




